日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年5月12日日曜日

◆サッカー茨城県選手権 流通経大V 天皇杯へ(茨城新聞)






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サッカーの第99回天皇杯JFA全日本選手権の出場権を懸けた第22回茨城県選手権(県サッカー協会主催、茨城新聞社など共催)最終日は11日、ケーズデンキスタジアム水戸で決勝が行われ、流通経大が1-0でつくばFCに競り勝ち、4年ぶり8度目の優勝で2年連続10度目の天皇杯出場を決めた。

天皇杯は5月25日に全国各地で開幕。流通経大は26日午後1時から札幌厚別公園競技場で北海道代表と1回戦を戦う。

■流通経大・MF菊地泰智(2年) 勝ちにこだわった
相手が中央を固めていたので、相手を走らせようとサイドにボールを散らした。トーナメントなので勝ちにこだわりたかった。

■つくばFC・小松祐己監督 0-1の結果は自信に
体力、戦術、技術まだまだ差は大きいが、0-1の結果は自信になる。リーグ戦につなげてJFL昇格を目標に取り組みたい。

▽決勝=45分ハーフ
流通経大 1-0 つくばFC
0-0
1-0

▽得点者
【流】加瀬(後27分)




◆サッカー茨城県選手権 流通経大V 天皇杯へ(茨城新聞)


◆大迫ブレーメン、来季EL懸けた直接対決に勝利! 最終節に望みつなぐ(ゲキサカ)






ブレーメンのおんがくたい (名作童話) [ あかぎかんこ ]


 ブンデスリーガは11日、第33節を行い、日本代表FW大迫勇也所属するブレーメンはホッフェンハイムを1-0で下した。大迫は復帰後初のフル出場。ブレーメンはUEFAヨーロッパリーグ(EL)出場権をかけた直接対決に勝利し、最終節に望みをつないだ。


【参考】

◆J1鹿島、波乗り切れ 12日、敵地で神戸戦(茨城新聞)






転生したらスライムだった件(11) (シリウスKC) [ 川上 泰樹 ]


明治安田J1第11節最終日は12日、各地で7試合が行われ、8位の鹿島はノエビアスタジアム神戸で13位神戸と対戦する。キックオフは午後2時。通算成績は5勝2分け3敗、勝ち点17。

8日のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)ジョホール・ダルル・タクジム(JDT=マレーシア)戦は敵地で0-1の黒星。決勝トーナメント進出を決められなかった。チームは長時間の移動で9日夜に帰国。疲労が残る中での試合に、大岩監督は「頭では分かっていても体が動かないことがある。しっかり見極めないといけない」と、選手のコンディションに細心の注意を払うつもりだ。

リーグは第6節から勝ち負けを交互に繰り返し、波に乗り切れないでいる。試合ごとにムラがある状況だが、安西が「いいことも悪いこともあるが、一喜一憂せず悲観することなく目の前の試合に臨みたい」と言うように、前向きに改善を試みている。

神戸は5連敗中と不調。イニエスタらのタレントを擁するが、吉田監督就任後も攻守のバランスを欠いている。ビルドアップを重視する相手に対し、土居は「前からプレスに行ったり、一回後ろに下がったり、相手にとって何が嫌なのかを出場した選手が感じ、コミュニケーションを取ってやらないといけない」と言った。柔軟な守備で対応し、狙いを持った攻撃につなげたい。(岡田恭平)


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◆J1鹿島、波乗り切れ 12日、敵地で神戸戦(茨城新聞)





◆鹿島・犬飼&レアンドロ、誕生日勝利を誓う(サンスポ)






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 12日はアウェーの神戸戦。鹿島は11日、1時間半、調整した。敵地でのACL、ジョホール・ダルル・タクジム(マレーシア)戦から中3日で臨む一戦。DF犬飼とMFレアンドロにとっては26歳の誕生日だ。ジョホール戦でミスから失点した犬飼は「自分が無失点に抑え、レアンドロが得点して誕生日を祝います」と必勝を誓った。 (鹿嶋市)







◆鹿島・犬飼&レアンドロ、誕生日勝利を誓う(サンスポ)




◆安西幸輝は三竿健斗に先を越されて奮起。 劇的変化で鹿島入りを決めた(Sportiva)






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遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(42)
安西幸輝 前編 

 マレーシア・ジョホールバルでのACL第5節、グループ最下位のジョホール・ダルル・タクジム対鹿島アントラーズ戦。鹿島は引き分けでグループ突破を決められる状況だったが、試合の主導権を握ったのはホームのジョホール・ダルル・タクジムだった。

 気温28度、湿度88パーセントという気象条件は両チーム同じとはいえ、ホームチームが有利なのは言うまでもない。相手に押し込まれた前半をなんとか0-0でしのいだ鹿島だったが、後半24分に失点し、試合はそのまま終了。鹿島のグループリーグ突破は最終節まで可能性を残したものの、この敗戦で1位突破を逃すことになった。

 ホームでのリーグ開幕戦を落としたものの、3月1日から4月9日まで公式戦8戦負けなし。ゲーム内容が伴わなくとも勝ち点を拾うことができていた。しかし、4月14日のFC東京戦以降の公式戦6試合では2勝4敗と負け越している。

 その理由には、小笠原満男、西大伍、昌子源といった選手の不在が挙げられている。新たなキャプテンとなった内田篤人も負傷離脱している。負傷で言えば、山本脩斗や中村充孝、鈴木優磨、チョン・スンヒョンもいない。三竿健斗も長期離脱から復帰したばかり……。リーダー不在はもちろん、多くの主力を欠いている状態だった(中村とスンヒョンはそれぞれベンチ復帰)。

 前線でのボールロスト、カウンター攻撃への対応の悪さ、セカンド・ボールが拾えない。落ちるシュートやパスの精度……。そんな個人のプレーや判断のミスが生じても、それをチームでカバーすることで、勝利に近づけるが、現在の鹿島は、個人のミスをカバーする組織力も発揮できてはいない。そんな内容の拙さは選手たちも理解し、誰もが危機感を抱いているのは間違いない。「勝たなければ鹿島ではない」という歴史を担いながら、もがいている。

 クラブ創設以来つないできた「勝者のDNA」は、結果が伴わなければ、指揮官や選手を苦しめるものになってしまう。それでも、それを受け継ぎたいと集った男たちは逃げることは許されない。

 昨季、東京ヴェルディから加入した安西幸輝は、60試合を戦ったシーズン、50試合に出場している。本来の左サイドバックだけでなく、右サイドバック、両サイドハーフなど、さまざまなポジションでの起用は、大岩剛監督からの信頼の厚さを物語っていた。そして、2019年3月には日本代表に初選出され、2試合に出場。そんな安西は小学生時代から、高いレベルに身を置くことで成長してきた。衝撃と自信と落胆とを繰り返しながら、ステップアップを続けている。





――埼玉県川口市出身の安西選手が東京ヴェルディのジュニアの一員となったのは? 地元の浦和レッズへの憧れはなかったのでしょうか?

「レッズへの憧れはありましたし、レッズへ行きたいとも思っていました。でも、少年団でコンビを組んでいた澤井直人(フランス2部リーグ・ACアジャクシオ)が、小4のときにヴェルディのセレクションに受かったんです。それが前期セレクションだったんですけど、『後期のセレクションを受けて、いっしょにヴェルディでやろう』と誘われて。僕がFWで、澤井がトップ下でコンビを組んで、やってきたから、澤井とサッカーを続けたいと思って、僕もセレクションを受けたんです。レベルの高いチームでプレーしたいとか、そういう考えはまったくなくて、ただ、いっしょにやりたいって」

――ヴェルディと言えば、名門チーム。そこのセレクションに受かるというのは、子どもながらにすごいなというふうには思わず?

「最初は思わなかったですね。でも、行ってみたら、みんなうますぎて、驚きました。ヴェルディのジュニアは小学4年生からなんですけど、少数精鋭だったし、みんなサッカーがうまいだけじゃなくて、個性も強かった。1個上には(中島)翔哉くん(アル・ドゥハイルSC/カタール)もいましたし、自分を出さないと生き残れない感じの世界でしたね。だけど、ジュニア、ジュニア・ユース、ユース出身でプロになった選手もたくさんいたので、ここにきてよかったなと思いました」

――そのときから将来はJリーガー、プロになると夢見ていたんですか?

「まったくそれはなかったです。ただチームメイト、同期に負けたくないという気持ちだけでした。でも、小学時代の僕は周りよりも成長が遅くて、足も遅いし、スピードがなかった。だから、FWではなく、ボランチでプレーしていました。一応スタメンで試合には使ってもらうんですけど、自分の思い通りのプレーが全然できなかった。パス&コントロールの練習を必死でやったりもしたけれど、少年団でやっていたように自分主体でのプレーができない。当時は泣き虫だったから、練習中からずっと悔しくて泣いてばかりでした。ときには、感情的にキレてしまって、練習途中で帰ったこともありました。チームメイトにはものすごく迷惑をかけてましたね」

――自宅から、ヴェルディの練習場まで通うのも大変でしたよね、きっと。

「はい。片道2時間くらいかかりました。だから、自然と睡眠時間が足りなかったんだと思います。小学生時代は学校の理解もあり、早退することも多かったし、授業にも出られず、保健室で過ごす時間も多かったし、当時の担任の先生には苦労させてしまいました。疲れというか、寝不足のストレスだったんだと今は思います。だから、クラスメイトに当たってしまい、喧嘩することもありました。でも、クラスメイトも僕のことを理解してくれて、宿題を手伝ってくれたり、本当に助けてもらいました。で、小学6年生のときに、すべての全国大会に優勝して、世界大会(ダノンネーションズカップ)にも出場できたんです。そのときにクラスメイトが喜んでくれる様子を見て、初めて応援してくれる人のありがたさを感じました。それまでは、サッカーは自分のためだけにやっていたんですけど。もっとちゃんとやろうと考えるようになったんです」





――そして、中学進学と同時にジュニア・ユースへ。

「でも、当初は昇格できないと言われていたんです。まだ身体も小さかったし。だけど、ジュニアの永田雅人監督(現・日テレ・ベレーザ監督)が、『きっと伸びるから』と言ってくださって、期待枠みたいな形で、ジュニア・ユースへ上がれたんです。実際、中1、中2で身長も伸びました。ポジションもサイドハーフやトップ下などでプレーしていました。試合には出ていたけれど、ユースへ上がれたとしても、試合には出られないかなと思っていました。だったら、高校でサッカーをしたほうがいいんじゃないかなと思っていたときに、都並敏史さんから『サイドバックをやってみたらいいよ』と言われて、ヴェルディでサッカーを続けようと決意しました」

――まだプロは意識していないんですか?

「してませんね。すごい先輩がいたことも事実ですが、同期のメンツもすごかったので。澤井はもちろんですが、畠中槙之輔(横浜FM)、菅嶋弘希(ポルティモネンセSC/ポルトガル)、高木大輔(レノファ山口)がいて、プロは厳しいと思わずにはいられなかった。でも、高1になると、スピードが上がり、足も速くなったし、試合にも出られるようになり、徐々に自信が生まれてきました。当時の監督は、僕をサイドバック以外にも、ボランチなどいろんなポジションで起用してくれたんです。昨季のアントラーズみたいに。さまざまな経験を積めて、勉強できたことがよかった。それで2年になると副キャプテンもやらせてもらい、責任を感じるようにもなりました。そこから一気に成長を実感できたので、夏頃には、トップチーム、プロへ行けると思うようになりました」

――安西選手が加入した2014年シーズンは、畠中、菅嶋、高木、澤井の4選手。合計5名の同期がトップ昇格を果たしたんですね。でも当時のヴェルディはJ2でしたし、いつかはJ1のクラブへ移籍をと考えたことは?

「なかったです。ヴェルディに育ててもらった僕らでヴェルディをJ1へ昇格させて、恩返しをしたいと考えていたので。正直ヴェルディ以外のクラブにはまったく興味がなかったです。それに、すぐに試合に出られるとも思えなかった。ベンチに入れればいいなとか、クビにならないように頑張らなくちゃいけないという気持ちでした。それが開幕戦から試合に出られて、その後もずっと出場を続けるなかで、だんだん意識が変わりました。『とにかくもっと上のレベルでやりたい。J1でプレーしたい』と考えるようになったんです。もちろん、ユース時代と比べれば、J2でもプロならではの難しさはあったし、できないこともいろいろありました。だけど、『もっと』という欲が生まれたんです」


――そのころ、プレミアリーグのウエストハムの練習にも参加していますね。

「はい。2週間いきました。1週間練習したトップチームとは差を感じましたが、U-21チームの練習では18歳の自分でも可能性を感じることができた。2年目、3年目もレギュラーとしてプレーしていくうちに、自分はやれるという気持ちがどんどん大きくなって、やりたいことが多くなり、自己中心的なプレーが増えていったんです。いつでもJ1へ行けるくらいの気持ちだったけど、それは過信だったと思います。だから3年目はケガでもなく、スタメンを外されてしまった。それで気づきました。自分の能力を過大評価しすぎていたって」

――その3年目となる2016年シーズンは、ヴェルディで1年下の三竿健斗選手が鹿島へ移籍加入したシーズンでしたね。

「ジュニア時代からいっしょにやってきた健斗は、U-17ワールドカップのメンバーにも入ったし、アンダーカテゴリーの代表にも招集されていた選手。それが認められたのか、鹿島への移籍が決まりました。しかも、『あの』アントラーズ。強いクラブというイメージしかなかったし、いいなぁという気持ちもありました。あのときは、本当に悔しかったですね。僕のほうが先に(J1へ)行きたかったから。だけど、そんな気持ちも自分を過大評価していたから。それを改めて、意識を変えようと決意したのが4年目だったんです。食事の内容、睡眠時間、ピッチ以外の面で、サッカーへつぎ込む時間を増やしていきました」

――そして、その4年目の終わりに、アントラーズからオファーが届くんですね。川崎フロンターレからもオファーがあったと聞きましたが。

「はい。最初はJ1へ行けるなら、クラブはどこでもいい。というような気持ちだったんですけど、鹿島から声をかけてもらったら、迷わず鹿島へと決めました」


◆安西幸輝は三竿健斗に先を越されて奮起。 劇的変化で鹿島入りを決めた(Sportiva)




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