日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年2月23日木曜日

◆上田綺世がベルギーで吐露する本音。日本人FWの壁と「あれしかできなかった」W杯【現地コラム】(フットボールチャンネル)






上田綺世がベルギーリーグで奮闘している。昨夏加入したセルクル・ブルージュでここまで10得点を挙げているが、「求められることとの相違」を感じているという。サッカー日本代表で悔しさと危機感を感じたストライカーは、ベルギーで何を感じているのだろうか。(取材・文:元川悦子【ベルギー】)


上田綺世がサッカー日本代表で感じた悔しさ


 昨夏に鹿島アントラーズからベルギー1部のセルクル・ブルージュへ移籍した上田綺世は、ワールドカップ(W杯)までに7ゴールを決めた。「Jリーグで20点取って得点王になったとしてもW杯に出られるわけではない。海外でも活躍できるクオリティーがないと活躍できない」と言い切り、リスク覚悟で選択した海外挑戦で明確な結果を残し、日本代表26人の1人として名を連ねた。

 しかしながら、本大会での出場はコスタリカ戦前半の45分間だけ。

「初めてのW杯でもちろん緊張しましたし、その緊張感の中で活躍したかった。相手が中を締めて統一感を持って徹底してやってきたので、僕たちはちぐはぐしてしまった。自分自身はクロスからもそうですし、一度壁になってもう一度、動き直してというイメージはしてましたけど、相手の守備が固くてそう簡単にはいかなかった」と本人はまさかの敗戦後に悔しさをにじませていた。

 あれから3カ月。上田はベルギー1部・プレーオフ(PO)圏内を目指して奮闘している。目下、セルクル・ブルージュは26試合戦って8位。8位までがプレーオフに進むことができる者の、前後の勝ち点が詰まっているため、決して楽観できない状況だ。

「このクラブは昨季の10位がベストというのを聞いているので、POに入れたらいいし、1つでも高い順位で終われたらいいのかなと思います」と背番号39をつける男は1試合1試合に勝負をかけている。


ベルギーで抱える複雑な感情


 その上田だが、後半戦に入ってさらに3ゴールを重ね、すでに得点数を2ケタとしている。その実績は高く評価すべきだが、託されているポジションは3-4-2-1の左シャドー。鹿島や日本代表で主戦場にしてきた1トップを担えていない現状には複雑な感情もあるという。

「9番(センターフォワード)をできていないのは、やっぱり体の強さとか、求められることとの相違とか、いろんな要素があると思います。試合には出られているものの、自分のベストポジションではないという事実があるので、その中で自分が身に着けられるものを身に着けたり、FWだったら分からないサッカー観にどんどんトライしていこうと考えてます。

 最終的にはやっぱり9番をやりたいというのはあるので、そこの感覚をなくさないように動き出しとかゴール前に入るタイミングだとかにはこだわり続けています。自分はどのポジションをやっていてもFWだと思ってるんで、そこは忘れないようにしています」と彼は今の環境下でできるFWとしての成長や進化に注力しているという。

 そういった思いがあるのも、やはりカタールW杯での悔しさによるところが大きい。同じ東京五輪世代の三笘薫や堂安律らが世界の舞台で結果を出す姿を目の当たりにして、「早く彼らと同じ領域に達しないといけない」という危機感が強まったようだ。


「あれしかできなかった」ワールドカップで募った危機感と刺激


「W杯で世界基準が分かったというよりは、どっちかというと、日本代表で活躍する薫君や律といった同じ世代の選手が欧州5大リーグのトップトップでやっているという事実に刺激を受けました。ああいうところで常に戦っている選手は、W杯のような大舞台でも違いを出せる。世界の相手との差というよりも、むしろ同じチーム内の選手との差を僕は感じたんです。

 実際、自分はコスタリカ戦しか出られなかったし、その試合でもあれしかできなかった。コスタリカ戦でできなかった自分がドイツやスペイン戦に出ていたら何ができたんだろう…という考えもあります。

 僕にとっては薫君や律、(田中)碧のような選手が同世代にいることが幸せ。彼らは自分よりも早く海外に来て、もがいて、今の地位を築いた。W杯の時にはそのことがすごく伝わってきました。そんな彼らをリスペクトしていますし、自分も今のセルクル・ブルージュでつねに自分自身を向き合い、アップデートをしていかないと。そう強く思っています」

 上田は改めて本音を吐露する。彼自身もリスクを冒してベルギーに赴いたが、三笘や堂安、田中碧らはもっと早くから困難な環境に身を投じ、異なるサッカー文化や考え方の違いに適応し、少しずつ実績を積み上げてきたのだ。ベルギーに渡ってからの7~8カ月間、異なるポジションでの起用、自分がほしいタイミングでボールをもらえないジレンマ、ぬかるんだピッチでのボールコントロールの難しさなど、Jリーグ時代にはなかった数々の出来事に直面してきた上田だからこそ、同世代の欧州組の実情がよく分かるはず。だからこそ、「彼らと同じ土俵に上がりたい」という思いを強めたに違いない。


上田綺世の野望と願い


 過去にもベルギーからは遠藤航がシュツットガルト、伊東純也がスタッド・ランスに引き抜かれ、鎌田大地がフランクフルトへのローンバックに成功した。目覚ましい数字と活躍を見せていれば、欧州5大リーグへの道は確実に開けてくる。すでに今季10ゴールをマークしている上田の存在も徐々に知られ始めているはず。最終的にPOに進出し、さらにゴール・アシストを重ね、攻守両面でハードワークを続けていれば、今年の夏には彼の願いが叶うかもしれない。

 そこで1つ気になるのはポジションだ。日本人FWはなかなか最前線で起用してもらえないという現実がこれまでも多かったからだ。大迫勇也にしても、ケルン時代はボランチやサイドに入るケースがあったし、ブレーメンではトップ下が主戦場になっていた。最前線で明確な結果を残したのは、マインツ、レスター時代の岡崎慎司くらいだろう。

 それだけ日本人が9番の役割を担うというのはハードルの高いこと。今は左シャドーでプレーの幅を広げている上田には、ぜひともその高い壁を打ち破ってほしい。それができれば、確実に日本代表エースの座をつかめるはず。その時期は早ければ早いほどいい。そういった未来像を見据えつつ、彼はセルクル・ブルージュでできることを全てやりきることが肝要だ。

「僕はずっと前に言ってたんですけど、アジア人としての壁を越えたい。アジア人という枠で見られたくないっていうのがあって、それをやっぱり成し遂げる1人でありたい。日本人としての価値を引き上げたらいいのかなと思います」と目をギラつかせた上田。彼が「日本人FW」「アジア人FW」という枠組みを超える日を楽しみに待ちたい。

(取材・文:元川悦子【ベルギー】)




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◆「タイトル獲得へフロンターレを倒さなければ」…シャイな知念慶が殻を破って「叫び、吠えるアントラーズの男」になる(Sportiva)



知念慶,鈴木優磨


知念慶(鹿島アントラーズ)インタビュー後編


 今季、完全移籍で加入した鹿島アントラーズのクラブハウスに足を踏み入れ、練習グラウンドに立って感じた空気を、知念慶はこう言葉にする。

「グラウンドに出ると、ちょっとピリついた空気がありました。ここで自分はゼロからまた、スタートするのかと思うと、身が引き締まりました」

 練習でもさっそく、その空気感を体感している。

「在籍したチームはどこも練習から球際が激しかったですけど、アントラーズはまたさらにそれを強く感じます。特に(鈴木)優磨のスイッチが入って、練習からチームメイトに対して激しく当たりにいく姿を見ると、なおさら『これが鹿島か』って実感しますよね。

 チームメイトに聞いても、それが日常茶飯事だと言うので、『鹿島の厳しさ』とはこういうことを言っているのかと思いました」

 その熱さを追い求めて、知念は新天地に鹿島を選んだ。

「アントラーズでプレーする以上、戦術や技術の前に、情熱が必要だと思っています。川崎から加入したからといってうまく見せようとするのではなく、自分の持ち味でもある泥臭さを出していきたいと思っています」

 知念自身も「ゼロからのスタート」と表現したように、新しい環境に飛び込めば、イチから自分の性格やプレーの特徴を周りに伝え、知ってもらわなければならない。

「率直に言えば、もちろん移籍の難しさも感じています。フロンターレ時代のように、完全に自分の特徴を出しきれているかと言われたら、まだまだなところはどうしてもある。

 でも、そうした葛藤や毎日すら、今は楽しい。チームがうまくいっていない時には、自分自身がどうしたらもっとチームが機能するかを考えますし、自分がもっと活きるには、活かしてもらうにはどうすればいいかも考える。

 今まではどちらかというと、自分は見ていて、みんなについていくだけでしたけど、今はチームのために、自分から動かなければいけない状況になったことで、すぐに行動に移すようになりました。そこは、自分のなかでひとつ壁を越えようとしている感覚があります」


【悠さんだったらどうする?】


 鹿島の印象について聞くと、こう教えてくれた。

「アントラーズは本当に年齢の若い選手が多い。自分がフロンターレで優勝を経験した時は、成熟した選手が多くて、ゲームの流れや時間の使い方も含めて、うまくコントロールしてくれていました。

 シーズンを通して試合に勝った時も、負けた時も、うまく修正して勝っていったところがあったので、自分自身も先輩たちが率先してやってきたことを、この若い選手が多いアントラーズで見せていけたらと思っています」

 宮崎県で行なったキャンプ期間中の練習試合で、鹿島はJ2のチームを相手に3連敗を喫した。年齢の若い選手が多いチームだけに、その結果に一喜一憂してしまう雰囲気を知念は感じ取ったという。

「こういう時、(小林)悠さんだったらどうするんだろうなと思って、チームが苦しい時や結果が出ない時に、悠さんが取っていた行動を思い出したりしていました」

 思い描いたのは同じFWであり、尊敬する選手にも名前を挙げた小林悠の姿だった。

「FWは点を獲ることが役割ですし、MFのようにチームの戦術的なところを担っているわけではないので、細かいところまで言及することはできない。

 でも、チームを盛り上げるような声は出すことができるし、一人ひとりとコミュニケーションを取っていくことで、細かいプレーの話もすることができる。だから、少しずつでも一人ひとりと話をする時間を作るようにしています」

 そこには2020年に1年間、大分トリニータに期限付き移籍した経験も活きていた。

「大分に移籍した時は、自分自身も初めての経験だったので、あの時、もっとああしておけばよかったとか、こうしておけばうまくいったのかなって考えることも多かった。その反省を生かして今、取り組めています」

 積極的にチームメイトとコミュニケーションを取ることで、チームや自身のプレーに効果をもたらそうと努めている。


【妻から言われた自身の変化】


「性格的にめちゃめちゃシャイなので、移籍したら苦労するだろうなと思っていたところもありました。実際、大分ではチームメイトと馴染むまでに時間がかかったところもあったので。

 でも、アントラーズでは自分は年齢的にも年上の世代なので、自分から積極的にコミュニケーションを取ろうと、チームメイトと食事に行くようにしています。

 本音を明かせば、個人的にはひとりで食事をする時間が好きだったりするんですけど、それじゃあダメだと思って、クラブハウスでも積極的に話していますし、練習でも声を出したりと、自分からアクションを起こすようにしています」

 チームメイトの家族と食事に行ったときには、妻から「前より自分から話すようになったよね」と言われたと笑う。

 最も近くで知念を見てきた人の言葉だけに、彼が変わろうとしている、または変わってきている証拠なのだろう。

「自分自身でも殻を破りたい、破らなければいけないと思っていたので、ゴールを取ってチームを勝たせることが一番ですけど、優磨もそうであるように、チームのためにという献身性を大切にしていきたい。チームのために、点も獲るし、頑張って走って、戦う。そんな選手になりたいなって」

 川崎フロンターレ時代は3度のリーグ優勝をはじめ、4つのタイトルを獲得した。一方、鹿島は2018年のAFCチャンピオンズリーグ優勝を最後に、タイトルから遠ざかっている。

 かつて鹿島でタイトルを獲った経験のある昌子源、植田直通が復帰し、彼らが鹿島の"伝統"を継承していく立場ならば、知念は"革新"、すなわちチームに新しい風を吹かせる存在になる。鹿島ではなく、ほかのチームでタイトルを獲ったからこそ、今の鹿島にもたらせること、伝えられることがきっとあるはずだ。

 公式戦で初めてディープレッドのユニフォームに袖を通すことになるJ1第2節、ホーム開幕戦の相手は、古巣である川崎だ。




◆「タイトル獲得へフロンターレを倒さなければ」…シャイな知念慶が殻を破って「叫び、吠えるアントラーズの男」になる(Sportiva)





◆知念慶はフロンターレにいたら「選手として終わっていくなって」アントラーズ移籍を伝えた家長昭博からは「心に響くメッセージ」が届いた(Sportiva)



知念慶


知念慶(鹿島アントラーズ)インタビュー前編

 水色から深紅へ──。

 知念慶が川崎フロンターレから鹿島アントラーズに移籍した決意を語る。それは、決意というにはいささか安易で、むしろ心根と表現したほうがいいだろう。

「スタメンで試合に出たい、チームの主力になりたいという思いも少なからずありましたけど、もっと自分自身が精神的に強くなりたかった。そうじゃなければ、選手として、このまま終わっていくなって思ったんです」

 2020年の1年間、大分トリニータに期限付き移籍したが、愛知学院大学を卒業して加入した川崎では5シーズンを過ごした。

「フロンターレで5年過ごし、チームメイト、スタッフ、環境にも馴染めていて、すごい居心地がよかったんです。その居心地のよさが、逆に自分の気持ちをもマンネリ化させてしまっていたというか......」

 加入した2017年に、川崎はJ1で初優勝を飾った。そのルーキーイヤーはリーグ戦4試合1得点の成績に終わったが、川崎がJ1連覇を達成した2018年はリーグ戦27試合に出場して4得点の数字を残した。

 期限付き移籍から復帰した2021年もリーグ戦22試合に出場して4得点を挙げると、再びJ1優勝に貢献した。2022年の昨季はリーグ戦27試合に出場して7得点と、自身にとってキャリアハイとなる記録を叩き出した。

 毎年のように優勝争いを繰り広げるチームで着実に出場数を増やし、ストライカーの指標となる得点数も伸ばしていた。

「ある程度は試合に絡めるけど、完全にスタメンの座は掴めてはいないというか。1軍というよりも、1.5軍のような立ち位置が毎年続いていました。そうした状況のなかで、その環境に慣れてしまっている自分がいた。

 本来は、その立ち位置に対して葛藤したり、もがいたりしなければいけないと思うんですけど、試合に出れば1試合1試合に対する課題はありながらも、自分が置かれている状況に対しては、別に何も思わなくなっている自分がいました」


【新天地を鹿島に選んだ理由】


 これといったきっかけやタイミングがあったわけではない。だが、日々すごしていくなかで、自分の心境を実感した瞬間はあった。

「プロになって5年も経つと、その週の練習で自分が先発か控えかどうかは、肌感覚でわかるようになってくる。だから、スタメンで試合に出られるということがわかった時にはモチベーションが上がるはずなのに、『よっしゃ、やってやるぞ!』という気持ちが湧いてこなかった。

 心のどこかで、『今週、先発で頑張っても、次の週にはまた控えに戻ってしまうんだろうな』というくらいの感覚というか。どこかで、自分の立ち位置を自分で決めつけてしまっていました」

 知念はそれを自ら「甘え」と表現した。

「精神的に自分は甘いところが多いと自己分析しています。フロンターレの選手たちはみんな日々努力していますけど、自分はそこも『周りがやっているから自分も』というところがどこかにあった」

「だから」と、言葉を続ける。

「このままフロンターレにいたら、甘えてしまう、絶対に。自分もある程度、試合に絡んで、ある程度、試合に勝つことができたら、少なからずちょっとした満足感は得られてしまうと思ったんです」

 知念の「だから」はさらに続く。

「自分自身がやらなければ本当にやばいぞ、という環境に身を置こうと思ったんです。プロのサッカー選手なので、結果や数字を意識するところもありますけど、それ以上に自分がもっとやり続ける姿勢みたいなものを、自分のなかでも明確に決めなければいけないと思いました」

 出場試合数や得点数といった数字以上に、自分に対する強さを求めた理由だった。

「自分の性格的にも、本来はその場に居続けたほうがきっと楽というか、いいんでしょうけど、一度しかないサッカー人生なので、チャレンジしたいなって思ったんです」

 知念は「ある程度」から脱却しようと、移籍を決意した。新天地を鹿島に求めたのは、自分自身を追い込むためだった。


【変わることができるのでは...】


「アントラーズって、もともと自分のなかでは特別なイメージがありました。試合で対戦する時は、いつもすごく燃えるんですよね。Jリーグの日程が発表された時も、ここでアントラーズと対戦するのかと確認していたように、特に熱くなる1試合でした。

 アントラーズと対戦する週は気合いが入りましたし、試合前も緊張感がものすごくあった。そう自分が思っているようなチームに行ったら、自分のなかに燃え上がるものが自然と沸き上がってくるのではないかと、オファーがあった時には真っ先に思いました」

 対戦相手としていつも以上に燃えるチームの一員になれば、自分自身の闘志にさらに火がつくのではないか──。

「誰かに相談することはなかった」という知念だが、5年間を過ごした川崎のチームメイトに移籍することを報告すると、みんながみんな「さみしくなる」と返信をくれた。そのなかで、少し異なる反応で、また心に響くメッセージを送ってくれたのが、家長昭博だった。

「相当な覚悟があることはわかるよ」

 知念は言う。

「うれしかったですね。アキさん(家長)自身もここまで幾度も移籍をしていて、その時々でいろいろな出来事や経験をしてきた人だと思いますし、そのすべてを成長の糧にしてきた人だとも思います。

 その人に、自分の覚悟を感じ取ってもらえた。そう思ったら、アキさん自身もそういう決断をして、今に至っているのかなと思うことができました。自分自身もアントラーズという厳しい環境に身を置くことで、変わることができるのではないかと思ったんです」

 鹿島で選手としてのたくましさを身につけ、自分のなかにある甘さを払拭する──。完全移籍により加入したのは、自身の退路を断ち、自分自身を追い込むためだった。






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