日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年5月26日土曜日

◆秋田豊が目指すビジョンは 「指導者としてアントラーズに戻りたい」(Sportiva))





遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(14) 
秋田 豊 後編


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◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
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◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
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◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)


「今日スタジアムへ向かうバスの中で、いろんなことを考えたんです。鹿島へ移籍して、試合に出たい、レギュラーになりたいと思っていたけれど、移籍1年目で、これほど自分がピッチに立って、試合に出ずっぱりになるとは、イメージしていなかった。

 アジアへ行ったり、外国人選手と戦ったり、しかも中3日ですぐに試合がやってきたりとか……。身体よりも本当に頭が疲れるんだなと痛感しました。でも、こういうなかでもタイトルを獲得してきたのが、鹿島。相当スゴイことなんだなぁ……と。でも、僕自身がいるときに鹿島がタイトルを獲れなかった……というふうにはなりたくない。(W杯によるリーグ戦)中断期間が終わってからしっかりと巻き返したい」

 5月20日、J1リーグ仙台との一戦が終わった直後、安西幸輝は2月中旬のACLからスタートした鹿島での3カ月間をそう振り返った。

 その3カ月間、鹿島は所属するフィールドプレーヤー27人中24人が試合に出場している。数多くの試合を消化するのは、強豪クラブの宿命とはいえ、今季の鹿島は事情が違った。次々と負傷離脱する選手が相次いだ。一時は10名近くが離脱し、スタメン、ベンチ以外のほとんどの選手がプレーできない状態という時期もあったほどだ。

 そんななかで、今季加入した安西をはじめとした若い選手が経験を積むことには繋がったものの、結果は芳しくはない。ひとつ消化試合が少ないものの、首位との勝ち点差は19ポイントと大きく離れての11位。ただ、ACLの準々決勝進出が決定してはいるが、リーグタイトルをここで諦めるという空気は鹿島にはない。新加入の安西とて、それは同じだった。

 *    *    *

 愛知県出身の秋田豊が、鹿島アントラーズでプロデビューしたのは1993年。すぐさまレギュラーとなり、11年間の在籍でリーグ戦334試合、ナビスコカップ戦45試合、天皇杯38試合に出場。5度のチャンピオンシップもすべてに出場している。そして、4度のリーグ、3度のナビスコカップ、2度の天皇杯で頂点に輝いた。

1998年フランス、2002年日韓と2度のワールドカップメンバーにも選出されて、日本屈指のセンターバックとなったが、その理由は「鹿島アントラーズ」というクラブにあったという。




――愛知学院大学の秋田さんと鹿島アントラーズを結んだものはなんだったのですか?

「1年のときから、毎年住金(住友金属、鹿島アントラーズの母体)の練習に参加させてもらっていたんですよ。卒業したらJリーグでプレーしたいと思っていたので、最初は地元のトヨタ自動車(名古屋グランパスの母体)が目標でした。住金はジーコもいたけれど、当時は2部だったし、Jリーグに入れるかは未知数だったから」

――しかし、鹿島アントラーズが見事Jリーグの一員に。

「サプライズでした。アントラーズがJリーグに加盟するなら、ぜひお願いします! という感じでした」

――アントラーズにはジーコはもちろんのこと、本田技研組など、プロ意識の高い選手が多かったと思うのですが、1993年に大卒ルーキーとして加入したとき、プロの壁を感じることありませんでしたか?

「特になかったですね。というのも、愛知学院というところは、自分でやらないとダメなチーム環境でしたから。選手が自立していて、自主的にトレーニングをすることが当たり前でした。自分で自分を追い込むことも、僕にとっては特別なことではなかったんです。だから、アントラーズのピリッとした緊張感のなかでの練習は、『すごく疲れるけど、プロなら当然だよな』と受け止めていたんです」

――居心地がよかったと。

「そう。居心地がよくて、肌に合うというのが第一印象でしたね。シーズン前の身体作りの合宿から参加したんですけど、非常にリアリティを感じたし、シーズンを戦ううえで、こういうトレーニングが必要なんだなと、納得感があった。これがプロなんだなって。

 ただ、技術的なもの、体力やスピードという部分では、壁というかまだ足りないと感じるところはありましたね。だから、基礎練習の多いメニューは助かりました(笑)。

それでもヘディングだったり、メンタルだったり、自分にしかない武器、ストロングポイントはわかっていたので。そういうものが支えとなり、足りない部分を練習で埋めていくという感じでしたね」

――そして、1995 年には日本代表デビューを飾り、1998年ワールドカップフランス大会の舞台に立ちました。

「当時のJリーグはすばらしい外国人選手が集まっていたんです。錚々(そうそう)たる顔ぶれの選手がいましたから、世界のスーパースターが。カレカ(柏)にピクシー(ストイコビッチ/名古屋)、スキラッチ(磐田)。エムボマ(ガンバ大阪)だってそうだし。

 僕は毎試合そういう”世界レベル”の選手と戦っていた。彼らエースを抑えるのが僕のミッションだったし、タスクだから。それをやり続けたことが、代表でプレーする自信、ワールドカップで戦う自信に繋がりましたね」

――そして、アントラーズでは、たくさんのタイトルを獲得。不動のセンターバックとして長く君臨しました。

「とはいえ、常に競争、競争でしたよ。僕にもいつも『刺客』が送られてきましたから(笑)。でもそれは当然なんですよ。強いチームを維持するうえでは、競争は必要だし、将来を見据えて、少し年齢のずれたいい選手をどんどん入れて、育てないと空白期間が生まれるし、もしくは高いお金で他から選手を獲得しなくちゃいけなくなるから」




――それでも、ポジションを守り切りました。

「そうですね。奇跡的に(笑)。もし、他のクラブだったら、僕は選手としてつぶれていたと思います。僕が代表でワールドカップに出るなんて、誰も思っていなかったはず。もちろん、アントラーズというクラブが僕を育ててくれたことが大きいです。

 それ以外では、早く結婚して、家庭中心の生活を送ることになったのも、鹿嶋という町で暮らしていたから。サッカーに集中できる環境だったからこそですね」

――鹿嶋という場所を考えたとき、アントラーズは勝たなければならないクラブだったと思うのですが。

「僕が加入したとき、フロントの方から、『君たちはまずは鹿嶋という場所を有名にするためにサッカーをするんだ』という話があったんです。町おこしですね。そういう明確なビジョンがあり、そのためにも勝たなくちゃいけない。勝つためのチーム作りをするという流れなんですよね」

――Jリーグが始まってから、鹿嶋の暴走族が減ったという逸話があります。

「減りましたよ(笑)。娯楽がなくて、ストレス発散のためにバイクを走らせていた人たち、実はお祭り好きなんですよ。それが2週間に一度、カシマスタジアムで行なわれている。実際に喧嘩はしないけれど、相手チームとの真剣勝負があるわけですから(笑)」

――そういう町にフットボールというカルチャーを植えつけたのが鹿島アントラーズだったんですね。しかも強い。喜んでくれる人たちの存在が力になったのではないですか?

「もちろん。町の人たちはとても温かくて、本当の家族みたいに、僕の子どもたちとも接してくれる。すごくいい町だったよね。一生、鹿島にいたいと本気で考えていました。子どもたちもここで育ち、コミュニティもできているし。ここで引退して、指導者として……と考えていました」

――しかし、2004年に名古屋グランパスへ移籍することに。

「鹿島は過去、選手を切ったことがないんですよ。もし契約を延長しないとなっても、ちゃんと移籍先を探してくれるクラブ。それをしなかったのは、僕が初めてのケースだったんです。コーチとしてのオファーをもらったんです。今考えれば、すごくいい条件でした。だけど、2003年もずっと試合に出ていたのに、突然でしたからね。代表への気持ちもまだ持っていたし、やっぱり現役を続けたかったから」

――他クラブでプレーしたことで、初めて知る鹿島アントラーズの強みもあったんじゃないですか?

「一番感じたのは、フロントも、選手も、サポーターも、すべての人たちが、当たり前のことを、当たり前のようにやっているクラブが鹿島なんだなと。たとえば、選手は目の前のトレーニングに全力を尽くす。そこから勝つための準備が始まっていることを知っているんです。フロントはそういう選手をサポートしてくれる。サポーターも日本一のクラブのサポーターになるために、どうすべきかをいつも考えてくれた」

―― 一枚岩なんですね。

「だからと言って、甘えもないんです。(鈴木)満さんという強化部長がいて、監督や選手を評価するように、誰もが厳しく仲間を評価し合える空気がちゃんとあるんです。その評価基準も明確でブレたり、揺れたりしない。みんな見ている方向が同じなんです」

――鹿島への愛情は変わらない。

「変わらないです。鹿島イズムというのは、僕の身体の中に入っているから。DNAに刻み込まれていますから。いつか、鹿島で指揮を執るのは大きな目標でもあるし、夢でもあります。もちろん、選手と監督とは違うということはわかっている。だからこそ、そこを目指したいと考えるんです」


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秋田豊が目指すビジョンは「指導者としてアントラーズに戻りたい」

◆鹿島、来季加入の順天堂大MF名古新太郎を特別指定選手として登録(ゲキサカ)





 鹿島アントラーズは25日、来季加入が内定している順天堂大所属のMF名古新太郎(4年)が『2018年JFA・Jリーグ特別指定選手』として日本サッカー協会に承認されたことを発表した。

 名古は静岡学園高から順天堂大に進学。ドリブルの鋭さ、傑出した技術力で1年次から全日本大学選抜のメンバーに定着すると、昨年はユニバーシアード・台北大会で世界一を経験した。順天堂大では視野の広さやゲームメイク能力を買われ、ボランチとして起用されている。

以下、プロフィール

●MF名古新太郎
(なご・しんたろう) 
■生年月日
1996年4月17日
■出身
大阪府 
■身長/体重
168センチ/64キロ
■経歴
豊里SC-東淀川FC-静岡学園高-順天堂大


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鹿島、来季加入の順天堂大MF名古新太郎を特別指定選手として登録


◆鹿島、名古新太郎を特別指定選手に登録…来季加入内定の順天堂大MF(サッカーキング)





 鹿島アントラーズは25日、2019シーズンの加入が内定している順天堂大学4年のMF名古新太郎が「2018年JFA・Jリーグ特別指定選手」として、日本サッカー協会(JFA)より22日付で承認されたことを発表した。

 名古は1996年生まれの22歳で、身長168センチメートルのMF。静岡学園高校から順天堂大学へ進学した。2016年から全日本大学選抜に名を連ね、昨年はユニバーシアード日本代表の一員として台北大会優勝に貢献。今季は順天堂大のキャプテンを務めている。

 鹿島は3月1日、名古の来季新加入内定を発表。今回の「JFA・Jリーグ特別指定選手」登録により、今季中の試合出場も可能となった。

「JFA・Jリーグ特別指定選手」の制度概要は以下のとおり。

▼目的
サッカー選手として最も成長する年代に、種別や連盟の垣根を超え、「個人の能力に応じた環境」を提供することを目的とする。

▼概要
全日本大学連盟、全国高等学校体育連盟等の所属チームに登録されたまま、受け入れ先となるクラブでJリーグ等の試合出場が可能となる。




鹿島、名古新太郎を特別指定選手に登録…来季加入内定の順天堂大MF




◆“一日早く”合流の柴崎、コンディションは「今が最高である必要はない」(ゲキサカ)





 当初の予定よりも一日早い合流となった。事前に日本サッカー協会から伝えられていたMF柴崎岳(ヘタフェ)の日本代表合流は25日だったが、「元々、僕がそういう予定だった」と24日にチームに加わり、トレーニングで汗を流した。

 今季ヘタフェに加入した柴崎は、初のリーガ・エスパニョーラ1部を経験。開幕スタメンを勝ち取ると、4試合連続での先発出場を果たし、第4節ではバルセロナを相手に鮮やかなボレーシュートでリーガ初得点を記録。順風満帆な船出かと思われたが、同試合で負傷すると、長期の離脱を余儀なくされた。第15節エイバル戦で復帰したものの、その後は思ったような出場機会を得られず。18年に入るとベンチを温める機会も増え、1年目のシーズンを22試合1得点の記録で終えた。

 しかし、初のリーガ1部挑戦で自身の成長を感じる部分はあった。「世界主要リーグのスピードだったりに慣れた部分はあるので、そこは一つの成長だと思う。なかなか日本ではできない体験を1年間できたことは、そこはW杯を戦う上でアドバンテージになると、僕自身は思っている」。

 本人は「そこまで良くはなかったと思っている」と振り返ったが、リーガ最終節マラガ戦では先発出場を果たすと、攻撃にリズムを生み出すだけでなく好機も演出し、1-0の完封勝利に貢献。良い流れで代表に合流したものの、「コンディションは、まだまだ合宿中に上げられるし、今が最高である必要はないと個人的には思っている」と答える。

「ガーナ戦に向けて調整するというのと、その先もしチャンスがあるのであれば、本大会に向けてしっかり準備をしたいと思う」。まずは30日ガーナ戦、そして、その先に見据えるロシアW杯本大会に向けてさらにコンディションを上げていく。

(取材・文 折戸岳彦)




“一日早く”合流の柴崎、コンディションは「今が最高である必要はない」




◆昌子、イニエスタを「チームメート」と呼べる神戸の選手がうらやましい(報知)





 日本代表は24日、千葉県内で合宿を行った。

 鹿島の同僚DF植田、MF三竿らとともにこの日から合流。軽めの調整で汗を流した。イニエスタの加入について「神戸の選手は『チームメート』って言えるんですよね。うらやましい」と笑顔。16年クラブW杯でRマドリード(スペイン)のポルトガル代表FWのC・ロナウドを止めた25歳は「対戦相手として、止めることしか考えてません」。


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昌子、イニエスタを「チームメート」と呼べる神戸の選手がうらやましい



◆昌子「3バックと4バックは全然違う。でも対応できる」(ゲキサカ)





 伝統的に4バックを貫いている鹿島に所属する日本代表DF昌子源にとって、西野ジャパンが3バックを選択した場合は不慣れなシステムということになる。しかし、そこは歴戦の雄。対応力には自信がある。

「3バックと4バックは正直、全然違うと思う。でも、対応できると思うし、対応していかないとダメ。どうなるか分からないのでしっかり準備していきたい」

 一概に3バックといってもストッパーとリベロでは役割が大きく違ううえに、ストッパーでも左右で求められるものは変わってくる。そんな中でも昌子が考えるのは「メインは守備。(3バックなら)鹿島とは違うフォーメーションになるので、しっかり声を出してコミュニケーションを取ることが大事になる」ということだ。

 3バックの場合に自身がどこでどのようにプレーするかについても、「ある程度は想像ができている」と強調する。練習前にはピッチの中央で円陣を組み、西野朗監督からの檄に耳を傾けた。

「『ガーナ戦はW杯の前の大事な試合。みんながワクワクする、W杯に期待できる試合を見せなきゃいけない』『各ポジションで競争はあるが、まずはみんなが共存しないといけない』『オールジャパンで戦おう。共存したときの日本は強い』。西野監督からはそういうことを言ってもらった。力を合わせたときに強い日本を、もう一度見せたいと思う」

 取材エリアでは報道陣の質問に対して常に柔軟な受け答えで高い対応力を見せる昌子。ピッチ内でもシステムへの対応力で勝負をかける。

(取材・文 矢内由美子)




昌子「3バックと4バックは全然違う。でも対応できる」




◆サッカー日本代表合宿 鹿島3選手合流 W杯メンバー入りへ気合(茨城新聞)





J1鹿島の昌子、植田、三竿健が24日、千葉県内での日本代表合宿に合流し、ランニングやボール回しなど軽めのメニューを約1時間こなした。

鹿島は20日にJ1第15節仙台戦を戦い、21日からの3日間はオフ。3月末から続いた連戦を終え、つかの間の休養を挟んでの合流となった。昌子は「オフは子供と楽しんで癒やしをもらった」と明るい表情だった。

西野新監督となって初の代表合宿。30日の国際親善試合ガーナ戦を経て、ワールドカップ(W杯)ロシア大会の登録メンバー23人が決まる。昌子は「練習から100パーセントでやらないといけない。しっかりいいプレーを見せて、連係で意思疎通を図っていきたい」と意気込んでいた。また植田は「チームの状態はすごくいいと思う。またこれから競争が始まるので、いい準備をして臨みたい」と話した。

脚を痛めた影響で仙台戦を回避した三竿健も順調にメニューを消化。「戦う準備はできている。自分の力を最大限出すのが大事。日本が勝てるように頑張りたい」と力を込めた。 (岡田恭平)




サッカー日本代表合宿 鹿島3選手合流 W杯メンバー入りへ気合




◆金崎夢生がポルティモネンセ復帰か。今季7得点、鹿島のエースが移籍希望?(フットボールチャンネル)





 鹿島アントラーズのFW金崎夢生が、ポルトガル1部リーグのポルティモネンセへ復帰する可能性があるようだ。ポルトガル『ア・ボラ』が伝えている。

 金崎は2013年から2015年にかけてポルティモネンセに所属。54試合に出場して18ゴールを決めた。

 その後日本に戻った金崎だが、再びポルティモネンセへ行くことを希望しているという。ポルティモネンセ幹部が日本を訪れていることも、この移籍を後押しするとみられている。

 2017/18シーズンに中島翔哉が大活躍したポルティモネンセは、再び日本人選手の飛躍の舞台になるかもしれない。

 ただし、この移籍が実現すれば、鹿島にとって大きな損失となることは確実だ。同選手は今季J1リーグでここまで日本人選手トップの7得点を挙げている。

【了】


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金崎夢生がポルティモネンセ復帰か。今季7得点、鹿島のエースが移籍希望?




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