
日刊鹿島アントラーズニュース
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2018年12月31日月曜日
◆ジーコが語るメッシとC・ロナウドの最高たる所以…「私も彼らをお手本にするだろう」(ゲキサカ)

FWリオネル・メッシはたとえW杯で優勝していなくても最高の選手だ――そう語るのはジーコである。スペイン『アス』が伝えている。
バルセロナでの輝かしい成績の一方で、メッシはアルゼンチン代表で4度のW杯に出場したにもかかわらず、決勝までたどり着けたのはたった1回だけだ。2018年のW杯では、アルゼンチン代表は最終的に王者となったフランス代表に破れて敗退している。次のカタールで行われるW杯は2022年であり、メッシは35歳になる。
だが、自身もブラジル代表としてW杯を取れなかったジーコは、メッシの実力の高さはW杯を優勝していなくても明らかだという。『オムニスポーツ』に語った。
「サッカーというのは集団戦であり、一人がいいプレーしたからといって、それだけで決まるわけじゃないことがほとんどだ。大切なのはチームとしていいプレーをすることだよ」
「自分が試合を決めるときもあるが、自分が活躍すれば大会で優勝できるわけじゃない。だからメッシがW杯で優勝できないからといって、彼の実力は否定されるものじゃない」
「クリスティアーノ・ロナウドもメッシも、ずっとチームのためにプレーし続けている。もし私がいま若かったら、私も彼らをお手本にするだろう。あのレベルの選手が、チームのためにプレーしているのだから」
「彼らが最高の選手たる所以は、チームのために入念な準備をしているからだ。一流の選手は外で馬鹿騒ぎをしたりSNSばかりやったり、パーティに出るために練習をすっぽかしたりしない」
「彼らが入念な準備を欠かさないのは、個人としてのパフォーマンスを上げるためだが、それがクラブのためになると理解しているからでもある」
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◆ジーコが語るメッシとC・ロナウドの最高たる所以…「私も彼らをお手本にするだろう」(ゲキサカ)

◆小笠原満男が元ブラジル代表小突き勝負優先したワケ(ニッカン)

今季限りでの現役引退を発表した鹿島の元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。記録にも、記憶にも残る名選手。日刊スポーツの歴代担当記者がその人物像を描いた。
◇ ◇
私が鹿島を担当したのは2003年の1シーズンだけだったが、印象に残る場面はいくつもあった。
同年7月5日の磐田戦。セリエAサンプドリアに移籍するFW柳沢のラストマッチだった。試合は柳沢のゴールもあり、前半で4-0。結局5-2で勝った。
試合後、スタジアムは柳沢の送別ムードでいっぱいだったが、小笠原は違う空気を醸し出していた。話を聞くと、こう言った。
「彼にとっては最後かもしれないけど、僕らにとっては最後じゃない。2点取られたことを反省しないといけない」
ムードに流されることなく、勝負へのこだわりを口にした。2歳上の柳沢をあえて「彼」と呼び、これからエース抜きで戦っていかなくては覚悟を示したように聞こえた。
当時の小笠原は24歳。血気盛んでもあった。
同年4月19日の東京V戦では、試合中にチームメートのFWエウレルの胸を小突いた。個人プレーにはしる元ブラジル代表を許せなかった。
その3日後に通訳をまじえて話し合って和解すると、こう明かしてくれた。
「こういう機会でもないと話せないから良かった。エウレルは『努力するから』と言っていた。いい話ができました。手を出すのはよくなかったけど、言い合うのはよくやっているし、けちをつけようと思ったわけではない」
数日間の小笠原の心境をおもんぱかって「つらかったのでは?」と聞くと「周りが思うほどたいしたことじゃない。これからも要求はしていきたいし」と続けた。つくづく、気持ちが強い選手だった。
そんな小笠原の性格は、チーム内でよく理解されていた。当時スカウト部長だった平野勝哉さんは「ブラジル代表を突き飛ばすんだから、時代も変わったよね」と笑い飛ばしていた。
あれから15年。引退にあたって、当社の歴代担当記者の記事を読んだ。その後も、勝負へのこだわりは少しも変わっていなかったことを再確認した。これこそが、プロの姿勢なのだと思う。
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◆小笠原満男が元ブラジル代表小突き勝負優先したワケ(ニッカン)

◆《ザスパだより》沼田出身の田中 鹿島から移籍(上毛新聞)

J3ザスパクサツ群馬は29日、J1鹿島から群馬県出身のMF田中稔也としやが移籍すると発表した。J2甲府からMF窪田良、J2岡山からMF加藤健人が移籍、J2京都からGKキム・チョルホが期限付き移籍で加入することも決まった。
田中は沼田市出身の21歳。昭和村の中学生サッカークラブFC KRILO(クリロ)から鹿島ユースに進み、2016年にトップチームに昇格。16、17年はリーグ戦出場の機会はなかったが、今季リーグ戦4試合に出場した。クラブを通じて「(ザスパに)必要としてもらったからには結果を残せるように頑張る。地元の群馬を盛り上げて必ずJ2昇格を果たす」とコメントした。
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◆《ザスパだより》沼田出身の田中 鹿島から移籍(上毛新聞)
◆小笠原満男「記者さんもプロ」直撃取材に誠実な対応(ニッカン)

今季限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。記録にも、記憶にも残る名選手。日刊スポーツの歴代担当記者がその人物像を描いた。
◇ ◇
12年1月中旬。冷たい冬の雨が降りしきる鹿島クラブハウスの駐車場で、小笠原を待っていた。同期の盟友MF本山雅志(現J3北九州)とともに、米MLSのクラブに移籍を視野に入れているという情報が入り、1対1で話すため、自主トレ終わりを直撃した。
担当を外れて1年半あまり。突然現れた記者の顔を見て「珍しいですね」と一言。直撃の理由を伝えると、一瞬の沈黙の後「記者さんもプロの仕事をしているから、書くなとは言えない。ただ、現状をしっかり説明させて下さい」と、決然とした表情で話し始めた。
表面上は自主トレを兼ねた練習参加とされたが、米挑戦の希望があること、現地で練習参加して環境や待遇を判断しないと決められないこと…。「希望しても実現するかはまだ分からない」とも。久しぶりに顔を出した一記者の仕事を鑑みながら、努めて誠実に。
自家用車の中から、窓を降ろして対応したため車内に雨が降り込んでいた。それを指摘すると「記者さんもぬれているから一緒でしょ」。結果的に即時に原稿にはせず、推移を見守り、移籍は実現しなかった。ただ、ガチンコにはガチンコで返す「男」の姿を見た。【09年鹿島担当=菅家大輔】
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◆小笠原満男「記者さんもプロ」直撃取材に誠実な対応(ニッカン)

◆鹿島が勝っていたらレアルはマイナス計上?(ニッカン)

今回は先日行われたクラブワールドカップ(クラブW杯)について見てみたいと思います。まず賞金面ですが、報道によると総額で約1650万ドル(約18億1500万円)が賞金として配分されたとのことでした。
(1)優勝 500万ドル(約5億5000万円)
(2)準優勝 400万ドル(約4億4000万円)
(3)3位 250万ドル(約2億7500万円)
(4)4位 200万ドル(約2億2000万円)
(5)5位 150万ドル(約1億6500万円)
(6)6位 100万ドル(約1億1000万円)
(7)7位 50万ドル(約5500万円)
日本から唯一参加した鹿島アントラーズの経済的な影響面を見てみると、クラブの売上としては50億円前後になりますので、優勝すると約10%が稼げるという見方ができます。売上利益の部分では、50億円近い売り上げに対して利益がわずか2~3%であること考えると、実質1、2億円という数字になりますから、優勝賞金とまではいかないまでも2位、もしくは3位の賞金がクラブにポンと入ってくることを想像すると非常に大きな影響がある大会だったと言っても良いのではないでしょうか。
同時に決勝進出を逃した南米王者のリバープレートの経営陣にとってみれば、クラブの売り上げとしては75億円前後ですが、利益率が鹿島同様だとすれば非常にダメージの大きなPK戦による敗退となってしまったことになります。
一方で優勝したレアル・マドリードは900億円前後の売り上げがあるメガクラブで、現地の報道によれば選手1人当たりに優勝賞金として10万ユーロ(約1300万円)を用意しているとありました。25人の選手が登録されておりましたので、これだけでも約3億2500万円という金額になります。仮に鹿島アントラーズが出だしで得点し、そのまま逃げ切っていたら…。
レアルが3位決定戦に回り、そこで勝利したと考えてもクラブの規模から、賞金は約2億7500万円ですから、チームとしても選手としても全然「うま味がない」結果となってしまうことになります。
優勝すれば、チームの売り上げという利益面では大きくないかもしれませんが、今回で終わってしまうと言われている大会史上初の3連覇という箔(はく)がついた形で終わることができ、その歴史にチームの名前が残ります。
ハーフタイムには(事実確認はしておりませんが)きっと経営陣から大きな激励があったに違いありません。選手だけでなく監督・コーチ人などのスタッフの勝利給や、その他関係各者の移動費などの支出を考えると、大きな負債を負うという不名誉な結果に終わっていたかもしれません。
この大会はどうやら新しく生まれ変わると報道されており、参加クラブ数が24チームに増加するだけでなく、4年ごとの開催になるなど大刷新を予定しているようです。これは2019年に行われるFIFA会長選を睨んだ現会長の働きもあるようで、非常に政治色が強いと受け止められてもおかしくはありません。
ちなみに3大会分(12年間)のスポンサー総収入額は250億ドルとも報じられており、日本円で2兆7500億円にもなる計算になります。Jリーグと共にトヨタカップという名前で歴史を刻んできた大会。この世界一決定戦とも言える試合を毎年年末に寒い国立競技場で見て育った我々日本のフットボールファンにとってみれば寂しさを感じてしまいますが、同時に今や世界規模に発展している巨大なフットボール市場に対して日本企業のビジネス面の成長と追随が求められていることのようにも感じます。
次回はいよいよ目の前に迫った移籍マーケットの最新情報とファイナンシャルフェアプレーの状況などについてお話ししていきたいと思います。【酒井浩之】
(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「フットボール金融論」)
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◆鹿島が勝っていたらレアルはマイナス計上?(ニッカン)
◆【鹿島】内田記者が明かすミツオの素顔(報知)

記者1年目の01年秋、鹿島担当を命じられた。02年W杯を見越して、デスクから「柳沢をつかまえろ(関係を作れ)」と指示されたが、代表エース候補には他紙の記者が張り付き、名刺を渡す隙すら与えてくれない。困っていると、他の記者が近寄ろうとしない22歳の若い選手が目に留まった。小笠原だった。
ノーマークの理由はすぐに分かった。取材に入ろうとするや車のドアを閉めて、シャットアウト。次の日も、その次の日も同じ。何とか口を開かせようと、自宅からクラブハウスまでの約1時間30分、質問を考えるようになり、手を替え品を替えてぶつけてみたが、すべて返り討ちにあった。
03年4月、コメントを取らなければいけないことが起きた。試合中に同僚のFWエウレルを小突き、クラブの仲介で2人が面談した。質問の切り出しは「良い話し合いができましたか?」。ドアを閉める音は聞こえず、「はい、できました。理由はどうあれ、してはいけなかった」と返ってきた。
初めて取材ができるまで1年半を要した。あとで「変な質問に俺は答えないからね。あと知らない人」と笑ったが、まさに派手な言葉を引き出そうとする質問ばかりぶつけていたように思う。純粋な疑問を投げかけるように心がけると、取材に応じる回数も増え、小笠原の考えも、すごさも分かるようになった。
一見、パスミス。でも、「あれがジャブになって後半のゴールにつながる」と計算ずく。一見、乱闘寸前の行為は「チームにスイッチを入れるためのパフォーマンス」。無口はそのままだが決してぶっきらぼうではなく、相手の穴を見つける目、自チームの状態をつかむ心は繊細なのだと彼の言葉から知ることができた。
結局、無駄話ができるまで6年、愚痴のようなことを聞けるまで14年かかった。そんな選手のプレーを見られなくなるのは、本当につらい。そんな私の心を読んでか、小笠原はこの日の会見後、車から降りて最後にこう言った。「中学から高校に行くみたいなもんだからさ。またねー」。(01~03、06~17年鹿島担当・内田 知宏)
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◆【鹿島】内田記者が明かすミツオの素顔(報知)

◆<流通経済大柏>失意の夏がもたらした3つの変化 前回準Vの雪辱を果たすために【選手権出場校紹介】(サッカーキング)

流通経済大学柏が、3つの変化を経て、集大成の舞台に挑む。最大のライバルである市立船橋を破って千葉県代表となった流経大柏は、30日に開幕する第97回全国高校サッカー選手権大会の優勝候補だ。前回の準優勝校であり、全国大会の上位の常連。昨年はインターハイを制している。
しかし、今季は夏に悔しい思いを味わった。インターハイの県予選で習志野に敗れ、全国大会の出場を逃したのだ。3年生主体で臨んだが、不慣れなポジションで起用された選手も多く、戸惑う部分があったのは間違いない。だとしても、ピッチ内で解決に向かうエネルギーは圧倒的に足りなかった。試合に出ていない選手たちが納得しなかったのも無理はない。試合が終わった後、選手たちは、Bチームの選手から「戦う姿勢が見えない」と核心を突く指摘を受けた。1週間後に行われた高円宮杯U-18プレミアリーグEASTの浦和レッズユース戦は、内容こそ乏しかったが、個々が球際と勝利への執着心、責任感を見せて勝利。関川郁万(3年、鹿島アントラーズ加入内定)が「勝ち点3以上のものがあった」と話したとおり、試合後は選手とスタンドの応援団が何度も声を掛け合い、涙を流す選手もいる異様な光景となった。
不甲斐なさと、一体感を味わった夏を経て、チームは大きく変化した。1つ目の変化は、メンバー編成だ。夏以降、下級生が先発に定着するようになった。元々、今季はプレミアリーグEASTで早い段階から数名が起用されていたが、左部開斗(3年)は「インハイで負けて、チームが『やるしかない』という感じになったし、下級生もやりやすくなって、切磋琢磨して良い仕上がりになった」と話す。県予選決勝は1年生3人、2年生1人が先発。新たなエネルギーをチームに与えていた。
2つ目の変化は、主将の交代だ。当初は関川が主将を務めていた。しかし、ヒザの手術から復帰した後もしばらく調子が上がらず、再調整が必要となり、新たな主将を選ぶことになった。走り込みの時期に「とにかく頑張れて、元気のいい選手」という指導スタッフの要望で白羽の矢が立ったのは、前線で体を張れる左部だった。「インターハイ予選を負けた後、Bチームに落ちたけど、すごく元気があって、パワフルだった。Aチームに復帰したときに新しい主将になったので、Bチームの元気を採り入れようと思った。今は、とにかく『元気を出せ、雰囲気を良くしろ』と言っている」と話す新主将は、新たな雰囲気をもたらした。
そして、3つ目の変化は、頼れるストッパー・関川の復調だ。インターハイの県予選準決勝では、バックパスの処理に手間取ったところを奪われて決勝点を献上。「動きにキレのない状態で試合を迎えて、前半から(接触プレーで)削られて、足は動かないし、頭も働かないし、声も出ない。悪循環だった」と悔しさを味わったが、選手権の県予選決勝では、周囲を鼓舞しながら、市立船橋の強力な攻撃陣を完封してみせた。あらゆる面で夏とは違う。関川とともに1年次から主力で活躍している熊澤和希(3年)は、県予選の全4試合で得点。「昨年(準優勝)の借りを返すチャンス。優勝しか狙わない」と力強く宣言した。迫力ある応援を繰り出す仲間とともに、歓喜を味わうために、流経大柏は突き進む。
取材・文=平野貴也
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◆<流通経済大柏>失意の夏がもたらした3つの変化 前回準Vの雪辱を果たすために【選手権出場校紹介】(サッカーキング)
◆小笠原入りで“お宝”に!? 鹿島アントラーズのカレンダー(産経新聞)

今季限りで現役引退を表明したサッカーJ1鹿島アントラーズの元日本代表、小笠原満男選手(39)の引退ショックが広がっている。鹿島の「レジェンド」は来年の球団公式カレンダーにも雄姿を見せる。
国内では鹿島一筋。人一倍、負けず嫌いの寡黙な男で知られた小笠原。その去就は本人次第ともいわれた。引退表明した今月27日以降、ファンからは感謝と惜しむ声が相次いでいる。
来年の鹿島の公式カレンダーで、小笠原は11、12月の最終ページに登場しているほか、29日にフランス1部リーグ、トゥールーズに移籍することで合意した昌子源選手(26)も1、2月の表紙を飾っている。熱烈な鹿島サポーターにとっては“お宝”になりそうだ。
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◆小笠原入りで“お宝”に!? 鹿島アントラーズのカレンダー(産経新聞)

2018年12月30日日曜日
◆本山東福岡と雪の決勝 中田「晴れてたら帝京勝ち」(ニッカン)

<HEY!SAY!サッカー選手権(3)>
「積もってるなあ!」。ピッチに入場した帝京・中田浩二主将(現鹿島職員)は、一面の銀世界に目を見張った。
全国高校サッカー選手権(30日開幕)の平成時代を振り返る連載「HEY!SAY!サッカー選手権」。第3回は「雪の決勝」として語り継がれる平成9年度(97年度)の第76回大会だ。「黄金世代」が高3で迎えた同大会決勝は、帝京と東福岡が顔を合わせた。
キックオフ1時間前から降り始めた雪でピッチはまっ白。蹴るサッカーを選んだ帝京に対し、本山雅志擁する東福岡は巧みにパスをつなぎ対抗、帝京は逆転負けを喫した。鹿島に同期入団した本山氏からは試合後「一緒に鹿島で頑張ろう」と声をかけられた。
もしあの日、雪が降っていなければ-。そう考えることもあるという。
中田氏 勝ってただろうなと思いますね。なぜって? そう思うしかないじゃないですか(笑い)。モト(本山)と飲んだ時はよく雪の決勝の話になるけど、モトも人がいいから「晴れてたら帝京勝ってたよね~」と言ってくれます。
近年では13年の決勝が大雪に見舞われたが、延期の措置がとられた。
中田氏 僕らの時もやらなくてよかったんじゃないかと思うこともあったけど、それがあったから13年が延期になったのかもしれないし、僕らのしたことは1つの基準になったのかな。
「雪の決勝」はさまざまな側面で日本サッカー史に色濃く残っている。【杉山理紗】

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◆本山東福岡と雪の決勝 中田「晴れてたら帝京勝ち」(ニッカン)

◆小笠原を読み解くキーワード 本気 生肉 東北人魂(ニッカン)

今季限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。記録にも、記憶にも残る名選手。日刊スポーツの歴代担当記者がその人物像を描いた。
◇ ◇
小学生に向かって、小笠原は言った。「一生懸命、勝ちに来てください。本気で勝ちに来てください」。
昨年末、高校時代を過ごした岩手・大船渡で、自らが方々に掛け合って完成した人工芝グラウンドのお披露目イベントが行われた。東日本大震災からの復興を支援する「東北人魂」の活動の一環で、鹿島同期入団の本山雅志(北九州)、中田浩二氏(鹿島CRO)らとともに子どもらと試合を行う。言葉は、その直前に投げかけた。声も表情も、悪く言えばぶっきらぼう。親しみはまるでない。プロとの交流を楽しみにしていた少年の表情も一変。緊張感が生まれた。
「遊び」や「楽しもう」といった心ではダメだったのだろうか。後日尋ねた。
「そういう人もいていいとは思うんですけど、やっぱり上に行くヤツっていうのは、ああいうところでも遠慮しないでやれる選手だと思う。意識で変わるんで。『楽しかった』で終わらせるか、勝ちに行ってうまくなりたいと思うか…」。
鹿島で、常に体現してきた「ジーコ・スピリット」。いつ何時も勝利を求める姿は、子どもたちに対しても変わることはなかった。それは「原点」とも言える大船渡の子どもたちが相手だったから、なおのことだったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
39歳まで、第一線で戦い続けてきた。その体の秘密を、誰もが不思議がる。筋力トレーニングや体幹トレーニングは、やらされるだけで、自らはほとんどしない。今、菓子類もガツガツ食べる。被災地を回っている最中には、移動のバスの中でカップラーメンを平然と腹の中に入れた。
生肉も平気で口にする。しゃぶしゃぶなのに、しゃぶしゃぶせずに食べることも。「良い肉は、このまま食えるんだよ」が口癖。たまに嘔吐(おうと)することがあると、チームメートは「拾ったもんを食うからだよ」とからかう。鹿島で長年見てきた青木剛(南葛SC=東京都1部)は、その体のつくりを「特殊だ」と驚き、畏敬の念を抱いた。
その秘密を、本人は「全部、高校時代に鍛えられたから。高校時代が全て」と言ってきた。大船渡高校時代は、ポテトチップスなどの菓子類も、カップラーメンなども全く食べなかった。筋トレのたぐいも、高校時代に突き詰め、鍛えてきた。その“貯金”があったからだと、本気で言う。何が本当で、どこからが冗談か…。いずれにしろ「東北」「岩手」「大船渡」という地域が、鹿島を常勝軍団に導く「小笠原満男」という人間を形成したことは間違いない。
◇ ◇ ◇
小笠原には願いがある。東北人魂の活動に、夢を込める。「せっかくこういうことをやっているんだから、あの中からオレらに続く東北出身のJリーガーが出て欲しいじゃないですか」。だから、冒頭の言葉が生まれた。
「『楽しかった』で終わるんじゃなくて『ああいう風になりたい』とか『ああいう選手に勝ちたい』っていう気持ちになって欲しいなって。頑張って練習して、コツコツ努力できるようになって欲しいなって」。
小笠原は厳しい。誰に対しても厳しい。そう見える。
でも、恐らく彼は、厳しいことを言っているとは思っていないはず。なぜなら、自分自身が、それが当たり前のことだとやってきたから。そして、乗り越えてきたから。
譲れない思いがある。変わらない信念がある。だから、39歳まで第一線で走り続けてきた。引退はする。だけど、小笠原満男という人間は、これからも変わることはないだろう。1人でも多くのサッカー少年が、その背中を追うことを願いたい。【18年鹿島担当=今村健人】
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◆小笠原を読み解くキーワード 本気 生肉 東北人魂(ニッカン)

◆大迫から“同じ顔”をした昌子へ「チャレンジすれば道は開ける」(ゲキサカ)

かつてともにプレーした後輩が海を渡る決断を下した。日本代表FW大迫勇也は「懐かしい」と、約4年半前の自身の姿にDF昌子源の姿を重ねていた――。
前日の28日に日本代表に合流した大迫だが、直近のリーグ戦で右臀部を打撲した影響で宿舎で別調整。翌29日はグラウンドに姿を見せたものの、別メニューでの調整を続けた。アジアカップに臨む日本代表において、前線の核となるだけにコンディションは気がかりだが、本人は「大事を取っているという感じ」と問題ないことを強調。1月9日のトルクメニスタン戦に「合わせることが一番」と、初戦に良い形で臨めるように調整を進めていこうとしている。
そして、大会に向けて「まずはチャレンジすること。チャレンジしないと始まらないので、しっかりと自分たちの存在をアジアの中で示せればと思う。メンバーが変わったばかりなので、その中でうまくいかないときもしっかりとまとまり、逆に力に変えられるチームになっていきたい」と意気込みを示した。
27日には鹿島の先輩であるMF小笠原満男が現役引退を発表。28日には「ご飯を一緒に食べて、いろいろと話をできた」と語り、その内容については「男同士の話なので、あまり言いたくないですね」と続けた。そして、その席には今日フランス1部トゥールーズへの移籍が発表された昌子も同席していたようだ。
移籍を決断した後輩の顔を見た大迫は、「チャレンジする前というか、いい顔をしていた。懐かしい。俺が行ったとき、こんな顔をしてたんだろうなという感じの顔をしていた」と4年半前に鹿島からドイツへと飛び立った自身の姿が重なったようだ。
「楽しみだし、チャレンジしてほしい。誰もが成功するか、失敗するか分からない中で、しっかりとチャレンジすれば道は開けると思うので、頑張ってほしい」。先輩は“同じ顔”をした後輩へとエールを贈った。
(取材・文 折戸岳彦)
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◆大迫から“同じ顔”をした昌子へ「チャレンジすれば道は開ける」(ゲキサカ)

◆幻の米国移籍計画 引退・小笠原が貫いた鹿島愛(東スポWeb)

J1鹿島への“愛”を貫いた。元日本代表MF小笠原満男(39)が27日、現役引退を発表した。現役生活の大半を過ごした鹿島で17度のタイトル奪取に貢献。日本代表でも2度のW杯に出場するなど活躍したが、最後まで鹿島を最優先に行動した。また日本サッカーをけん引してきたレジェンドの引退にアジアカップ(来年1月5日開幕、UAE)に向け、合宿中の森保ジャパンにも衝撃が走った。
1998年に岩手・大船渡高から鹿島入りした小笠原が引退を決断した。
2006年にイタリア1部メッシーナに移籍した1シーズンを除き、鹿島一筋。チーム20冠のうち17冠に貢献し、J1通算525試合で69得点を挙げ、09年にはMVPに選出された。日本代表では02年日韓、06年ドイツW杯に出場した。
小笠原はクラブを通じて「これまで自分を支えてくれた方々、一緒に頑張ってきた選手達、応援してくれたサポーター、鹿島アントラーズに関わるすべての方々に感謝しています」「鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とても嬉しく、そして誇りに思います」などとコメントした。
普段は寡黙ながらも自分の哲学を貫き、黙々とプレーする姿は多くの選手からも支持された。特に鹿島というクラブに愛着を持ち、脈々と受け継がれる“ジーコイズム”の伝道者としてもチームに貢献してきた。そんな小笠原は、鹿島のために“幻の移籍計画”を立てていたという。
それが米メジャーリーグサッカーへの移籍だった。ある代理人は数年前の話として「小笠原はベテランの域に入って『このまま鹿島にいても負担になるかもしれない』と言いだして海外移籍を検討していた。米国に行きたいということで、受け入れ先を探していた時期があった。別にクラブから言われたわけではなく、自分から鹿島のためにと…」。
世代交代を進めていたクラブの現状を考えての行動。鹿島以外の国内クラブでプレーする気はなかったため、米国進出を検討していたという。結果として移籍は実現しなかったが、その後は小笠原は考えを改め、鹿島のさらなる躍進と後進の育成というテーマを持ち、今季は悲願だったクラブ初のアジア制覇に力を注いだ。99年の世界ユース選手権(現U―20W杯)で準優勝。MF小野伸二(39)らとともに「黄金世代」と呼ばれた。唯一の“スキャンダル”は04年の日本代表合宿中に同僚7人と飲酒し「キャバクラセブン」とやゆされたこと。今後は鹿島と日本サッカーのために再スタートする。
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◆幻の米国移籍計画 引退・小笠原が貫いた鹿島愛(東スポWeb)
◆植田直通と豊川雄太の対峙、これぞ「運命」。高校&鹿島で同期、欧州で親友は最高のライバルに(フットボールチャンネル)

これほどドラマチックな関係はあるだろうか。かつて大津高校や鹿島アントラーズで同期だった植田直通と豊川雄太が、ベルギーリーグの舞台で対戦相手になって再会する。今季2度目の両者の対戦は、2人への運命的なクリスマスプレゼントとなった。(取材・文:舩木渉【ベルギー】)

鹿島に同期入団。そしてベルギーで再会
今、欧州主要リーグで最も多くの日本人選手がプレーしているのはベルギーになった。かつてはドイツ・ブンデスリーガで数多くのサムライたちの奮闘を見られたが、今季のベルギー1部リーグには8人もの日本人選手が籍を置いている。
そして街中からクリスマスムードが抜けきらない12月26日、その8人のうち2人が同時にピッチに立ち、しのぎを削った。セルクル・ブルージュのDF植田直通とオイペンのFW豊川雄太。かつて大津高校や鹿島アントラーズで共に戦った、同い年の盟友が欧州の地で2度目の再会を果たした。
植田は21日に行われたベルギー1部第20節のヘント戦を終えた後、次節に控えた豊川との対戦に向けて「次は年内最終節でしっかり勝って今年を終わりたいというのもあるし、あまりそこは意識せず」とは言いつつも、「今回出た反省材料を、しっかりと自分自身練習で改善できなければいけないと思う。でも、前回オイペンに負けているので、そこは借りを返したい」と静かに闘志を燃やしていた。
10月末、オイペンのホームに乗り込んだセルクル・ブルージュは0-2で敗れていた。しかも、その試合で植田は後半アディショナルタイムにオウンゴールを献上している。最近は18節でアンデルレヒトに2-1で勝利したものの、19節はヘントに1-4と完敗を喫しており、セルクル・ブルージュとしては絶対に勝っておきたい試合だった。
植田と豊川、少年時代から多くの時間を共に過ごしてきた戦友にして親友の2人。前者は熊本県宇土市出身で、宇土市立住吉小学校から熊本県立大津高校に進学した、後者は中学時代をFCKマリーゴールド ジュニアユース熊本で過ごし、大津高校へ。ともに1994年生まれで、高校を卒業すると、共に鹿島アントラーズに入団した。
植田が鹿島で揉まれて日本代表まで順調に階段を上り詰めた一方、豊川は2016年から2017年にかけてJ2のファジアーノ岡山に武者修行へ出るなど山あり谷ありのキャリアを歩んできている。2016年にはリオデジャネイロ五輪代表に選ばれた植田に対し、豊川はギリギリで最終メンバーから落選するなど、多少のすれ違いもあった。それでも2018年、2人はチームメイトとしてではなく、対戦相手として再会することになる。しかも日本ではなく、ヨーロッパのトップリーグで。
「たぶんもう運命でしょうね」(豊川)
2度目の対戦を終えた豊川は「たぶんもう運命でしょうね」と、笑顔を見せる。そして「中学校のトレセンから一緒ですし、俺がプロに行けたのもあいつがいて、いろいろなスカウトがあいつを見に来ていたところで…というのがあるので」と続けた。
植田がいなければ、鹿島に入れていないし、今ヨーロッパでプレーしている自分はいなかったかもしれない。豊川はそう感じている。「植田は吊りさがっているボールをずっとヘディングしていた思い出しかない」と冗談を言って笑うが、心の底から信頼しあえる無二の親友に変わりはない。
一方、10年来の戦友とのマッチアップで2連敗となってしまった植田は「あいつには決められませんでしたけど、負けたというのは本当に悔しい」と充実感漂う表情で語った。序盤のゴールが響き、セルクル・ブルージュはあまりいいところを見せられないまま0-1で敗れた。
「本当に嫌な相手ですよ。本当に。前やった時もそうでしたけど、ああいう一瞬でも隙を見せたらそこを狙ってくるようなプレースタイルだから、常にあいつのいるところを確認しながら見ていました」
豊川はオイペンの1トップに入って、積極的に仕掛け続けた。Jリーグ時代は2列目のアタッカーのイメージが強かったが、今は全く違う。自分よりも大柄なDFに対しても果敢に勝負を挑み、必死にボールに食らいつく。最終ラインと駆け引きし続け、チャンスを虎視眈々と狙ってていた。
これまではチームメイトとして見ていたところから、対戦相手になってみて、植田は豊川の明らかな変化を実感していた。
「(豊川とプロで)一緒にやっていたのは鹿島の時だけだったので、そこから岡山に行って、オイペンに行って、かなり成長したなと思う。それが今こうやって結果に出ていて、オイペンのエースとして出ているし、やっぱり試合を一緒にやってみても、すごく怖い選手になったなと僕は思っています」
互いの存在を刺激に飛躍できるか
後半が始まってそれほど経たない頃、豊川は右サイドからのクロスに飛び込んで、シュートモーションに入ったところで相手選手との接触で声をあげて倒れた。ゴール前の相手の嫌がるところに入り込んでくるオイペンの背番号20が痛がる姿を、植田はポジションを上げながら一瞥して少し気遣ったように見えた。直接マッチアップする機会はそれほど多くなかったが、2人は常にお互いのことを意識してプレーしていた。
植田は語る。
「(豊川と)競り合ったりはしたんですけど、前の試合とかは簡単に勝てていても、あいつはやっぱり映像を見て勉強しているんでしょうね、今日とかはかなり。僕も嫌がるような競り合い方をしてきたし、あいつは常に成長しているなと感じました」
一方、豊川は植田の見立て通り、競り合いに無類の強さを発揮する元チームメイトとの戦いをあえて避けるように巧みに駆け引きをしていた。「あいつ(植田)、高かったです。だからあいつのところには行かず、5番のところに行きました」。相方のイサアク・コネが本職のセンターバックでないことを見抜いていたのである。
「あいつは代表にも入って、いろいろな活躍をして、ワールドカップに出たりもしていますけど、俺も負けないように、こっちでしっかりと頑張って…という思いはずっと持っていますので」
植田よりも一足先にヨーロッパで挑戦を始めていた豊川だが、親友が自分と同じリーグにやってきたことで運命的なものを感じ取り、さらなる成長を目指すうえでの刺激にしている。今季はリーグ戦21試合中18試合に出場し、ベンチスタートだった3試合も全て途中投入でピッチに立っている。クロード・マケレレ監督から1トップの大役を任されて4得点、「来年はもっと得点という結果にこだわる」と自信を深めているところだ。
一方、センターバック陣に負傷者が相次いでいることもあるが、植田も欧州初挑戦ながら17試合に出場し、うち13試合で先発起用された。「なかなか自分のやりたいようにやれないもどかしさもあるけれども、そういうのも僕はすごく楽しいし、それを乗り越えて僕ももう一段階レベルアップすると思う。自分がもっと指示を出して、自分がチームを動かしていかなきゃいけない」と最終ラインを引っ張るディフェンスリーダーとしての自覚も芽生えてきている。
余談にはなるが、実は26日のセルクル・ブルージュ対オイペンには2人の大津高校時代の同級生が観戦に訪れていたという。観客席には鹿島のユニフォームを着たファンの姿もあった。それを見た豊川は「植田のユニフォームを着ていたんですよね…俺がいること忘れちゃったのかな?」と冗談めかして笑っていた。
いやいや、そんなはずはない。我々メディアも、大津高校時代の同級生も、植田のユニフォームをまとった鹿島ファンも…皆2人の「運命」に引き寄せられてこの試合に集まったのだ。植田と豊川、1994年生まれで来年25歳になるこの2人の運命的な筋書きのないドラマは、今後どのような物語を描いていくか。続きを見届けるのが楽しみで仕方ない。
(取材・文:舩木渉【ベルギー】)
【了】
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