今季限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。記録にも、記憶にも残る名選手。日刊スポーツの歴代担当記者がその人物像を描いた。
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小学生に向かって、小笠原は言った。「一生懸命、勝ちに来てください。本気で勝ちに来てください」。
昨年末、高校時代を過ごした岩手・大船渡で、自らが方々に掛け合って完成した人工芝グラウンドのお披露目イベントが行われた。東日本大震災からの復興を支援する「東北人魂」の活動の一環で、鹿島同期入団の本山雅志(北九州)、中田浩二氏(鹿島CRO)らとともに子どもらと試合を行う。言葉は、その直前に投げかけた。声も表情も、悪く言えばぶっきらぼう。親しみはまるでない。プロとの交流を楽しみにしていた少年の表情も一変。緊張感が生まれた。
「遊び」や「楽しもう」といった心ではダメだったのだろうか。後日尋ねた。
「そういう人もいていいとは思うんですけど、やっぱり上に行くヤツっていうのは、ああいうところでも遠慮しないでやれる選手だと思う。意識で変わるんで。『楽しかった』で終わらせるか、勝ちに行ってうまくなりたいと思うか…」。
鹿島で、常に体現してきた「ジーコ・スピリット」。いつ何時も勝利を求める姿は、子どもたちに対しても変わることはなかった。それは「原点」とも言える大船渡の子どもたちが相手だったから、なおのことだったのかもしれない。
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39歳まで、第一線で戦い続けてきた。その体の秘密を、誰もが不思議がる。筋力トレーニングや体幹トレーニングは、やらされるだけで、自らはほとんどしない。今、菓子類もガツガツ食べる。被災地を回っている最中には、移動のバスの中でカップラーメンを平然と腹の中に入れた。
生肉も平気で口にする。しゃぶしゃぶなのに、しゃぶしゃぶせずに食べることも。「良い肉は、このまま食えるんだよ」が口癖。たまに嘔吐(おうと)することがあると、チームメートは「拾ったもんを食うからだよ」とからかう。鹿島で長年見てきた青木剛(南葛SC=東京都1部)は、その体のつくりを「特殊だ」と驚き、畏敬の念を抱いた。
その秘密を、本人は「全部、高校時代に鍛えられたから。高校時代が全て」と言ってきた。大船渡高校時代は、ポテトチップスなどの菓子類も、カップラーメンなども全く食べなかった。筋トレのたぐいも、高校時代に突き詰め、鍛えてきた。その“貯金”があったからだと、本気で言う。何が本当で、どこからが冗談か…。いずれにしろ「東北」「岩手」「大船渡」という地域が、鹿島を常勝軍団に導く「小笠原満男」という人間を形成したことは間違いない。
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小笠原には願いがある。東北人魂の活動に、夢を込める。「せっかくこういうことをやっているんだから、あの中からオレらに続く東北出身のJリーガーが出て欲しいじゃないですか」。だから、冒頭の言葉が生まれた。
「『楽しかった』で終わるんじゃなくて『ああいう風になりたい』とか『ああいう選手に勝ちたい』っていう気持ちになって欲しいなって。頑張って練習して、コツコツ努力できるようになって欲しいなって」。
小笠原は厳しい。誰に対しても厳しい。そう見える。
でも、恐らく彼は、厳しいことを言っているとは思っていないはず。なぜなら、自分自身が、それが当たり前のことだとやってきたから。そして、乗り越えてきたから。
譲れない思いがある。変わらない信念がある。だから、39歳まで第一線で走り続けてきた。引退はする。だけど、小笠原満男という人間は、これからも変わることはないだろう。1人でも多くのサッカー少年が、その背中を追うことを願いたい。【18年鹿島担当=今村健人】
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