幼馴染がさらにビビる事態に
鹿島アントラーズの10番のまま引退することを拒み、納得いくまでサッカーを続けることを選んだ6年前から、彼の幼馴染はよく言っていた。
「もっさんの引退試合は地元福岡で俺らが仕切ってやる。だからそれまでは思う存分、どんなチームでもいいから、できるだけ長く、あの人にはサッカー選手をやっていてほしい」
自分は指導者や監督になる気はないからとA級、S級のライセンスを取らず、現役でサッカーをすることが一番楽しいと語っていた。きっと50歳くらいまで現役を続けて、最後は仲間に囲まれた小さな引退試合で現役を終えるのだろう――。
そんな彼らしい謙虚な現役引退を想像していたのだが、現実はまったく違っていた。
本山雅志の引退試合「モトフェス2023」から1か月以上が経っても、だまされたような気分が消えない。彼は本当に引退したのだろうか。なにかこのあと伏線回収があるんじゃないか。
昨年末、本山はマレーシアのチームの契約を終えて帰国。しばらく次のチームが決まらなかったが、自分から積極的に次のチームを探していなかった。いつものことだ。彼は頑として代理人をつけない選手だった。自分に直接オファーをくれるチーム、求めてくれているチームを自分で直接見て決定する。
敏腕代理人と契約していたら、必ずワールドカップに行けただろうと考えると非常に残念だが、これも本山雅志だから仕方がない。
マレーシアでプレーする前の2020年にも、1年間プロサッカー選手としてプレーせず、実家の本山鮮魚店を手伝っていた。今度もまたひょっこり、次のチームが決まるだろうと思っていた。
引退の連絡をくれたのは3月末。
「鹿島のスカウトをお手伝いすることになったから、ちゃんと引退発表しないとね。引退試合もちゃんとやることにしたから」
咀嚼すると、おそらくこうである。
→鹿島は功労者である本山の動向をずっと案じて見てくれていた。指導者をやらないならスカウトはどうかとオファー。まずは北九州の実家を拠点とし、鹿嶋でも定期的に活動する内容を提示。
→鹿島のためになるならと本山は現役続行より引退と引退試合、アントラーズアカデミースカウトへの就任を決めた。
10月になったある日、前出の幼馴染、現ヴィッセル神戸YPDコーチである宮原裕司から連絡が来た。
「第一弾“モトフェス”出場メンバーの発表見た? 俺以外、全員鹿島出身とか日本代表だった人なんだけど。ジーコさんまでいるし。俺、行って大丈夫かな」
フェス???
その後、現役選手の出場メンバーが追加発表され、宮原がさらにビビる事態となる。今季で引退を発表した小野伸二をはじめ、優勝争いをしている神戸の大迫勇也まで名を連ねた。
モトフェス当日は、開場前からカシマスタジアムの周りは真っ赤に染まる。本山が好きな言葉「感謝」が書かれた記念Tシャツは開場前に売り切れ、他のグッズも午前中には完売。
スタジアムに入ると、コンコース柱で本山雅志写真展が施され、すべてを追いきれないほどのイベントがあちこちで行なわれていて、試合前からすでに楽しい。
ピッチでは、返礼イベントであるアントラーズOBとのキッズのゲームがもう始まっている。ほかにもクラウドファンディングに参加いただいた方々には、出場メンバーとのハイタッチ、特別シート、特別チケット、エスコートパーソン、ピッチ上での記念撮影、ボールパーソン、トークショーなど1日を通じてモトフェスを楽しんでいただく企画が用意されていた。
マッチデープログラムもまた楽しい。「今日は来てくれてありがとうございます。僕よりも楽しんでくれると嬉しいです。本山雅志」と書かれた表紙。開くと登録メンバー一人ひとりに本山からの紹介文が付いている。
「ハリネズミを飼育していたんです(中村祥朗)」「激熱のうどん好き!(柳沢敦)」という愉快なものもあれば、「相手に背負われても足を出して守れる稀有なDF(昌子源)」や「周りの選手の動かし方をよく知っているし点も取れる、頭のいいCBでした(岩政大樹)」とプレースタイルを的確に評したものもある。
そして、最後のページにはクラウドファンディングへの御礼。鹿島の未来のためにと、彼とアントラーズが楽しい引退試合を準備したことが分かる。
神様ジーコの始球式から、いよいよ引退試合が始まった。豪華なスターティングメンバーのピッチの中に、見慣れない顔の選手がいる。なんとクラウドファンディングによってこの引退試合でピッチに立つ4名の方々だった。
名良橋晃は下に着ていた東福岡高校時代の赤い10番のユニホームで笑いをさらう。 サポーターはOBも含めて、すべての選手の応援チャントをスタジアムに響かせる。何度もシュートをお膳立てしてもらった本山がやっとハットトリックを決めたところで試合終了。スタジアム全体は終始笑顔で溢れていた。
引退セレモニー。スペシャルVTRが始まった。さすがに感動して本人もサポーターも涙に包まれる瞬間が来るはずだ。
しかし、ピッチの真ん中にいる本山はといえば、まず44歳にして萌え袖だ。オリベイラ、ビスマルクなどスペシャルメッセージが流れると、そのたびにビジョンにお辞儀を繰り返す。
時々ピッチサイドにいるご両親に向かって手を振る。見せ場の10冠、三連覇の映像では坊主頭の自分の姿に頭を抱える。まったく泣かせてもらえないまま引退セレモニーが終わってしまう。
最後は鹿島アントラーズの伝統。ゴール裏のサポーターシートに登って赤いメガホンを持つ。
「応援ありがとうございました。今、アントラーズは6年間優勝から遠ざかっています。僕も5年間優勝できなかった時が一番辛かったです。でも折れずに頑張り続けて、そのあとの10度目の優勝、三冠につながりました。だから今きついですけど、いっしょに応援よろしくお願いします」
自分の引退コメントというより、もはや鹿島アントラーズのスタッフからのお願いコメントである。
記者会見会場に入ってくると、開口一番、
「楽しかったです。疲れたぁ~」
会場が笑いに包まれる。今後のスカウトの仕事について聞かれると、「今日、思うようにプレーできない部分があったんで、明日からもっと練習します! 鹿島のジュニアユースとサッカーして、彼らをやっつけないといけないんで」。まだまた自分自身もサッカーが上手くなりたい様子だ。
外からスカウトして連れてくるよりも前に、まず鹿島のジュニアユースをしっかり観たい。そのなかでトップに必要な選手を見極めてから、足りない選手、刺激を与えてくれる個性を持つ選手を外から探したいのだという。
会見も終盤になり、自身のサッカー人生について総括する時間が訪れる。
「ワールドカップも出てみたかったし、怪我もありましたし。悔いはありますよ、サッカー大好きですから。やりきった感は明日から少しづつ出てくるのかな。でも、今日改めて人に恵まれた、みんなに支えられたサッカー人生だったと思いました。
プロになる前、まず小学生の頃は、幼馴染代表として今日もプレーしてくれた宮原裕司たちが、毎日毎日、夜いつまでも僕がもう帰ろうと言うまで、サッカーに付き合ってくれました。そのあと、今日花束を渡しに来てくださった東福岡高校の志波先生に出会って、伸ちゃん(小野)やミツ(小笠原)やたくさんの自分より上手くてサッカーが大好きな同期とプレーして、たくさんサッカーを学ぶことができた。
よく79年組はライバルですか? と聞かれるんですけど、伸ちゃんやミツと戦おうと思ったことはないです。正直、自分が闘っていたのは怪我や病気でしたし。
僕は下手ではないけど、すごく上手い選手じゃないと思うんです、自分で。でも、こんなに長くプロを続けることができたのは、周りの人たちに恵まれていたからですよね。今日の引退試合も、俺呼ばれてないよ、って連絡くれた方々も申しわけないくらいたくさんいて...」
ここまで話したあと、彼は一瞬考えて、笑いながら言った。
「もう一回、(モトフェス)やりますか」
芝上のファンタジスタは今日もまた、華麗なテクニックで私たちを翻弄するのだ。
<文中敬称略>
取材・文●佐藤香織