2018鹿島アントラーズ ホーム・ユニホーム図iPhone6 6PLUS 7 7...
1週間あまりで、鹿島アントラーズに所属した3選手の欧州移籍が決まった。
7月9日、安西幸輝(24歳)がポルトガルのポルティモネンセへ。12日、安部裕葵(20歳)がスペインのFCバルセロナへ。そして、15日、鈴木優磨(23歳)のベルギーのシント=トロイデンへ。それぞれクラブ間合意が成立したことが鹿島アントラーズから発表された。
それぞれ20代前半。チームの中心選手として、昨季ACL優勝に貢献した選手ばかりだ。
「中心選手といっても、昨シーズン後半からだから。これからの選手です」
シーズン前のカンファレンスで大岩剛監督が語っていたが、クラブとしても、やっと育ってきたという実感を掴んでいたに違いない。
昨夏、植田直通をベルギーのサークル・ブルッヘに、昨年末には昌子源をフランスのトゥールーズに送り出していることを考えると、鹿島はこの1年で5人もの選手が海外移籍したことになる。
「『海外でプレーしたい』と選手が思うのは自然なこと。代表に選ばれたり、海外のクラブと対戦すれば、外でやってみたいという気持ちは自然と強くなる。俺自身もそうだったから。特に今の若い選手は、俺よりもそういう気持ちは強いと思う。
俺は『みんな行けっていうし、行ってみようか』という、どこか軽いノリだったけど(笑)。サッカー選手としてプロでやってきて、自分の国を離れてサッカーをするというのは、非常に大きな決断だと思うけど、現役が終わったときに振り返れば、海外でプレーしたというのは大きな出来事だし、すごい大きな経験になるから」
2010年のワールドカップ後、ドイツの名門シャルケへ移籍した内田篤人はそう語る。
真面目にやればみんな助けてくれる。
内田はシャルケで数度の延長契約を結び、7シーズンにわたって在籍した。移籍が活発な欧州では異例の長さだ。
移籍直後の2010-11シーズンには欧州CLベスト4入りを果たし、ドイツ杯でも優勝。5シーズンのうち、リーグ戦で104試合出場した。毎シーズンのように欧州CLやELを戦った。最後の2シーズンは長期の負傷離脱を強いられたが、2017年夏にウニオン・ベルリンへと移籍した際には、退団セレモニーが開かれたほどだった。
それだけシャルケのサポーターに愛されたのだ。
「周りの見る眼は厳しかった。俺もシャルケに加入した当初は、『なんで内田なんて獲ったんだ』っていう声もあったと思う。最初からうまく行ったわけじゃないし。でも、(マヌエル・)ノイアー(現バイエルン・ミュンヘン)とか、みんなが助けてくれたからね。真面目にやっていれば、みんな助けてくれるから。それにあのシーズンはCLもあって、慌ただしくて、ガリガリっていけた部分もあるけど(笑)」
プレシーズンから戦いは始まる。
通訳をつけなかった内田のコミュニケーション術は、高校で学んだ程度の英語だけだった。なおかつ大人しいの性格の内田だったが、それを受け入れるチームの雰囲気が彼の水に合った。
当時指揮を執っていたフェリックス・マガト監督は、規律を重んじる鬼軍曹として有名だった。ただチームメートについては「真面目な選手が多い」と内田は当時話していた。
「まずはポジションを奪うこと。結果的に奪えればいいんだけれど、最初に奪っちゃえば、何も困ることはない。そうなれば。言葉が分からないとか関係ないから。戦術をすべて理解できなくても、自分がいいプレーをすればいいだけ」
その中で自身の立ち位置を確立するためには、プレシーズンが大切になる。内田はこう続ける。
「チームが始動したときは、アフリカ・ネーションズカップやコパ・アメリカに出ていたアフリカや南米の代表選手がいない。最初はユースから“お試し”でトップに合流している選手が多くて、まずはそういう選手に勝たないといけないし、プレシーズンで試合に出られないと厳しい。
その後に“本当の主力”が合流して、そういう各国代表クラスに勝たなくちゃいけない。移籍市場が閉まる直前のギリギリで加入する選手もいるからね。今思えばいろいろあったけど、俺もよくやってきたね(笑)」
シャルケ加入直後のプレシーズンの合宿中、足を痛めながらも内田は練習を休まなかった。「休めって言われたけど、『やれるから』って言ってやっちゃった」と話していたことを思い出した。
「帰らないつもりで頑張れるか」
ブンデスリーガで上位を狙うシャルケ。そこでのポジション争いは当然容易ではなかった。負けが続いて監督が代われば、その序列はゼロからスタートとなる。内田もポジションが常に安泰だったわけではないし、レギュラーを外された時期もあった。しかし、そのたびに定位置を取り返した。
「海外組の選手と話すと、最後は根性なんだよ。やっぱり半年、1年で帰るんじゃなくて、帰らないつもりで頑張れるか。長谷部(誠)さんだって、長くいればいろいろと波はあっただろうけれど、今はめちゃくちゃいい。
(鹿島の後輩たちには)スタートでこけないで、うまくいってほしいって思うけれど、難しいことはいろいろある。自分の技量が足りない、監督と合わない、怪我をしちゃうとか、人それぞれにポイントがあるから、それを見極めて頑張ってほしい」
CLはノイアーとラウールのおかげ。
8年ぶりに鹿島へ復帰した内田は、海外志向の強い選手たちに何度となく「行った人にしかわからない」と話し、自身の経験を伝えている。安西も「CLのベスト4を経験した篤人くんと同じ風景を見たい」と移籍発表時の取材で語っていた。
「CLベスト4なんて、ノイアーとラウール(・ゴンサレス)に連れて行ったもらっただけだから。俺なんて、端っこで走っていただけ、(ジェフェルソン・)ファルファンと一緒にね(笑)。だけど、『お前が周囲に、まだまだだよと言わなくちゃいけない。お前しか知らないんだから』って言ってくれる人がいて、そういうのも大事なのかなと思うようにもなった。
この選手はこういうところが足りないんじゃないかなとか、海外へ行けばこういうところを頑張らなくちゃいけないとか、こんな試練が来るだろうとか、なんとなくイメージもできる。だけど、本人には教えない。俺が言ったところでさ。やっぱり行かなきゃわからないから」
「鹿島はほかのクラブとは……」
それにしても、このタイミングで3人も選手が移籍してしまう現状を、今季キャプテンを務める内田はどう感じているのだろうか?
「周囲から見れば、いっぱい移籍させてしまって、大変じゃないかと思われると思う。監督やジーコも話していたけれど、移籍させないでタイトルを狙うことも大事かもしれない。でも、成長した選手が海外へと気持ちが向いていくのは自然なことだから。育てた選手を手助けして送り出しても、それでも鹿島はタイトルを獲り続ける。それはほかのクラブにはできないことなんじゃないかって。俺もそう思う。
確かに今は怪我人も多いし、スタメンの選手がいなくなるのは、痛い。それを踏まえたうえで、アントラーズというクラブがどこを見ているのかと言ったら、(選手を)出しながらもタイトルを獲るということ。それは難しいことだけど、アントラーズはほかのクラブとは違うから。
もし、今海外に出ている選手が全員鹿島に残っていたら、A代表と同じくらいのクオリティがあるんだけど、彼らを出しながらもタイトルを獲り続けるのが鹿島。だからこそ、移籍する選手には頑張ってほしい。たぶん、今回の移籍で満足している選手はいないと思う。やっぱりここから次、その次だから。タイミングと運に恵まれたら、大きなクラブへ行けるかもしれないし、『おおっ』っていうチームで活躍してほしいね。
あと、シャルケに誰か日本人選手が行ってほしいんだよね。そしたら、俺も見に行きたいなぁ。自分の場合は海外へ行って、本当にいい経験をさせてもらって、いい仲間にも恵まれた。だから今回出ていく選手にも、そういう仲間に恵まれて、サッカーのど真ん中、本場で、充実したサッカー生活を送ってほしい」
層が薄くなっても育てるのが鹿島。
懐かしそうに笑う内田は、ゲルゼンキルヘンにあるスタジアムやクラブハウスに思いを馳せているようだった。喜怒哀楽、あらゆる感情をむき出しにして戦った日々がそこには刻まれているのだろう。
しかし、今の内田の戦場は鹿島にある。3月のジュビロ磐田戦で負傷後、長くリハビリが続いているが、7月に入って全体練習にも部分合流している。
「復帰の目安をなんとなくは考えているけれど、ここまで来て、もう一度痛めるのは避けたいから。ただ、ここから迎えるシーズンの山場には間に合わせたい」
鹿島に復帰した昨シーズンも、夏に負傷から戦線復帰し、リーグ戦、ACL、ルヴァンカップと過密日程を戦うチームの中で役割を果たした。10月のACL準決勝、水原三星と戦ったホームでのファーストレグ、アディショナルタイムに決めた内田の決勝ゴールは優勝へ向けての大きな弾みになった。
タイトルは若い選手に自信を与える大きな起爆剤だ。そういう意味ではACL獲得で、海外移籍が増えるのも、内田の言葉を借りれば「自然の流れ」なのだ。
「選手層が薄くなったとしても、育てるのがこのクラブ」
そう語る内田自身も、かつてリーグ3連覇という経験が海外挑戦の後押しになったはず。だからこそ、鹿島のキャプテンとして、今季もタイトル獲得を果たしたい。
◆1週間で3人が海外移籍した鹿島。 内田篤人「それでもタイトルを狙う」(Number)