日刊鹿島アントラーズニュース

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2014年12月8日月曜日

◆新潟のホーム最終戦をなぜカシマで…Jリーグが代替地決定の経緯を説明(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?153070-153070-fl



 Jリーグは7日、大雪のため中止となったJ1第34節アルビレックス新潟対柏レイソルの代替試合を8日にカシマスタジアムで開催することになった経緯について、公式サイトで発表した。

 6日に新潟の本拠地デンカビッグスワンスタジアムで開催を予定していた柏戦は大雪の影響により、試合中止が決定。8日午後7時からカシマスタジアムで代替開催することが発表された。

 Jリーグは代替地決定に関し、「競技公平性を念頭に、まず新潟における同地開催を最大限優先」して検討したが、翌日以降も降雪予報が続いているため近日中の開催は難しいとして、新潟での開催を断念。「なるべく早い日程で代替開催を実施したいという新潟および柏両クラブの意向」を受け、埼玉県、東京都、神奈川県内のスタジアムに加え、柏も含めた関東近郊のスタジアムと調整を進めたという。

 しかし、「すでに他の予定が入っている」「各地の自治体や警察等への申請手続きがこの短期間で間に合わない」といった状況が相次ぎ、その中で「鹿島アントラーズおよび県立カシマサッカースタジアムの全面協力を得られたため、新潟、柏両クラブの意思確認の上、Jリーグも県立カシマサッカースタジアムでの開催を承認した」としている。

 代替試合をめぐっては、新潟サポーターにとってホーム最終戦という大事な試合であるにもかかわらず、平日夜に新潟から遠方であるカシマという中立地で開催することに批判の声があがっていた。

◆戦友の79年組に感謝する中田浩二「素晴らしい時間を過ごせた」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20141207/256553.html


試合後、引退セレモニーを行った中田浩二 [写真]=浦正弘


 12月6日、今季限りでの現役引退を表明した鹿島アントラーズの元日本代表DF中田浩二が、試合後に記者会見を行った。

 引退決断に至る経緯については、「チームと11月から色々と話していて、出場機会がない中で世代交代が進んでいて、僕がいすわっていたら…という思いもありました。チームがいい状況の中で練習しているのも厳しかった」と明かした。

「チームが大事な時期だったから」という中田は、「(小笠原)満男やソガ(曽ヶ端準)には怒られましたけど。最終的にはチームメイトには誰にも相談せずに引退を決めました」と続けた。

 同期入団で同い年でもある3選手の名前を挙げ、「満男、モト(本山雅志)、ソガだけではなく79年組はチームの枠を超えて仲が良くみんなで素晴らしい時間を過ごせた。友人であり、みんなで切磋琢磨した結果こうなったと思う」と話し、「バン(播戸竜二)も満男たちと話していたら来てくれて涙を流してくてたのは嬉しかった」と感謝の言葉を述べた。

 鹿島の若手選手に対しては、「若手は頑張ってくれて僕たちの言うことを素直に聞いてくれた。アントラーズの魂を受け継いで行って欲しい」とコメント。中田は、「特に1人をあげるとすると、柴崎(岳)選手はこれからのアントラーズを継いでいく選手。代表だしもっと上を目指していってほしい」と期待を寄せた。

 今後の去就に関しては、「クラブと話し合うことになります。(トニーニョ・)セレーゾ監督からは現場でもという話をしてもらったが、まずは自分で整理をつけたい。今すぐには同期が3人もいるので指導者は難しいかな(笑)。狭い世界にいたと思うので、広い視野をもっていろいろなことに関わって、自分の道を見つけていけたらいいなと思う」と語っている。

◆中田浩二、笑顔の引退「鹿島以外でのプレーが想像できなかった」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20141207/256569.html


数々のタイトル獲得に貢献してきた中田浩二 [写真]=Getty Images


 同期3選手をはじめとする仲間達に見守られながら、中田浩二が言葉を紡いだ。

「決断をするまでに様々な葛藤がありました。チームに貢献できない悔しさやもどかしさ、チャンスがあればまだまだやれるという自信があり、様々な選択肢の中で迷い悩みました。しかし、最終的には自分がアントラーズ以外のユニフォームを着てプレーしている姿が想像できなかったので、現役引退を決断しました」

 6日、今季のJ1が終わると同時に、中田の17年に及ぶプロサッカー選手としてのキャリアに幕が下りた。98年に帝京高校から鹿島アントラーズに加入すると、合計11個ものタイトル獲得に貢献し、フランスとスイスでもプレー。日本代表でも「黄金世代」の一員として、自国開催を含む2度のワールドカップ出場やシドニー・オリンピックでのベスト8、ワールドユース(現 U-20ワールドカップ)準優勝という輝かしい足跡を残してきた。華やかな経歴の陰には、2003年の左ひざじん帯断裂や契約制度の違いによる海外移籍の障害に見舞われるなど少なくない苦難もあったが、本人は「本当に素晴らしいキャリアを送れた」と振り返る。

 若返りを図るチーム事情もあり、今季のリーグ戦出場は3試合のみ。優勝の望みがあった最終戦のスタメン平均年齢は、25.45歳まで下がった。移籍決断の際、若いチームの中で今季もフル回転した同期の小笠原満男と曽ヶ端準には「怒られた」というが、「本当は彼らにも相談したかったけれど、チームが大事な時でしたし、最終的にはチームメートには誰にも相談せずに引退を決めました」と明かす。最後の最後までチームに配慮する姿勢は、今季から先発に定着して日本代表にも選出された21歳の昌子源が、「常に僕らに目を配ってくれた」という言葉の通り。

 試合前のチーム全体の円陣で、勝って送り出そうと声をかけた小笠原は「偉大な浩二の前で情けない試合をしてしまった」と勝利をはなむけにできずに悔しさをにじませながら、「ずっと一緒にやってきて、辛いこともいいこともあったけど、浩二と一緒にやれてよかった。本音で言えばもっとやりたかったし、今日のピッチにも立ってもらいたかった」と引退を惜しむ言葉を絞り出した。最終節の対戦相手だったサガン鳥栖に所属する同じ1979年生まれの播戸竜二も、中田のもとを訪れて涙を流したという。試合後の引退セレモニーでは、スタンドに残った鳥栖のサポーターも別れを見守った。

「満男、モト(本山雅志)、ソガ。この3人は、本当に素晴らしい友であり、ライバルでした。彼ら3人がいたから、僕は今まで頑張れたと思いますし、このような経験ができたと思います。一番最初に引退することはちょっとシャクですけども、本当に今までありがとう」という同期への感謝とともに、中田はセレモニー後の会見で13年半に渡って在籍したクラブへの愛着も語った。

「途中で海外移籍もしましたけど、それも鹿島での自分があったからこそ。本当に感謝しているし、鹿島は僕の全てだと思う」

 普段は寡黙な小笠原が感極まる中、自身は最後まで涙を見せなかった。鹿島と日本サッカーを黄金に彩ってきた功労者は、多くの人々に愛されながら笑顔でピッチに別れを告げた。

◆C大阪後任監督にアウトゥオリ氏最有力 鹿島などで指揮の実績(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/12/08/kiji/K20141208009423640.html



 C大阪が来季の新監督として、06年に鹿島で指揮を執ったブラジル人のパウロ・アウトゥオリ氏(58)を最有力候補に挙げていることが7日、分かった。複数の関係者によれば、すでに水面下で動き出しており、近日中にも正式オファーが提示される可能性が高いという。J2降格が確定している中、今後の交渉がスムーズに進めば、豊富な指導実績を誇る指揮官にJ1復帰を託すことになる。

 来季はJ2で戦うC大阪が、懸案の監督人事で新たな動きを見せた。複数の関係者によれば、06年に鹿島で指揮を執ったアウトゥオリ氏を最有力候補に挙げていることが判明。近日中にも代理人を通じて正式オファーを提示する可能性が高いという。今年9月に就任した大熊裕司監督は、兼任するU―18監督に戻ることが決まっており、早くから後任選びにあたってきた。

 豊富な指導実績を誇るアウトゥオリ氏は、南米王者を決めるコパ・リベルタドーレス杯をクルゼイロとサンパウロで制覇。ブラジルの名門を率いるだけでなく、ペルー代表などでも監督を務めた。06年に指揮を執った鹿島ではリーグ6位。優勝争いに絡めなかったとはいえ、高卒新人の現日本代表DF内田篤人を開幕スタメンに抜てきするなど、若手の積極起用で注目を集めた。

 シーズン中に2度の監督交代に踏み切るなど、迷走を続けJ2に降格したC大阪。「育成型クラブ」を掲げ、来季からはセカンドチームも立ち上げる中、選手を鍛え上げ、なおかつチームをまとめられる人材を探してきた。当初はKリーグ・浦項で監督を務める黄善洪(ファンソンホン)氏にオファーしたが破談となり、ここに来て最上位に浮上したのがアウトゥオリ氏。この日、宮本強化本部長は「今は大事なタイミング。具体的なことは申し上げられない」と話すにとどめた。

 今後は去就が流動的となっている選手との残留交渉も行っていくだけに、監督を定めクラブの方向性を示すことを大きな課題としてきた。来季の強化部長には大熊清氏の就任が内定しており、クラブは新たな体制で巻き返しを図る。

 ◆パウロ・アウトゥオリ 1956年(昭31)8月25日、ブラジル・リオデジャネイロ州出身の58歳。現役時代は国内でプレーし、91年にCSマリティモの監督に就任。97年にクルゼイロ、05年サンパウロでコパ・リベルタドーレス杯を制覇。05年はクラブW杯も優勝。06年に鹿島で監督。今年はアトレチコ・ミネイロの監督を務めていたが4月に途中解任されている。

◆鹿島昌子、武闘派植田の涙にビックリ(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20141207-1406093.html

 鹿島が7日、茨城・鹿嶋市のクラブハウスで年内最後のミーティングを行い、今季の全体活動を締めくくった。

 前日6日の最終節(カシマ)で鳥栖に0-1で敗れ、暫定3位で終了。逆転優勝を逃した上、今季限りで引退するDF中田浩二(35)の最終戦を勝利で飾ることができなかった。

 試合後、涙を流して悔しがった日本代表DF昌子源(21)は「テレビに映ったみたいで『源の涙に、もらい泣き』とかメールがいっぱい来た」と照れ笑い。状況について「最初は泣かへんと思ったけど、浩二さんの姿が見えたら急にウルッときた。最低でも勝利を届けたかったので。でも、隣を見たらナオ(武闘派で知られるDF植田直通)が泣いてた。『えっ、こいつも泣くんや』とビックリして泣きやんだ」と笑った。

 今季は全34試合に先発出場。日本代表にも選ばれるなど飛躍のシーズンとなった。「自分も予想できなかった。毎試合、1つ2つのことを学びながら成長できたし、早く試合したい」と来季を待ちわびていた。

◆鹿島2季連続無冠 6分で失点反撃できず(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20141207-1405809.html



<J1:鹿島0-1鳥栖>◇最終節◇6日◇カシマ

 鹿島が2季連続の無冠に終わった。上位がこけ、2点差以上で鳥栖に勝てば逆転優勝だったが、暫定3位止まり。前半6分にロングシュートで先制を許すと、運動量と球際で勝負してくる相手に押され、反撃できなかった。後半ロスタイム3分にMF土居がゴールネットを揺らすもオフサイド。最大9差をひっくり返すチャンスを手放した。

 5季ぶりの頂点には届かなかったが、世代交代2カ年計画で一定の成果を挙げた。セレーゾ監督が就任した昨季前半はベテランに頼り、その間に鍛えた若手を徐々に投入。頭角を現した選手を今季から積極的に登用した。昨季開幕時に7人いた30代は小笠原と曽ケ端だけになり、10代だった植田やカイオを先発に固定。入団4年目の柴崎、昌子、土居が全34戦に出場した。

 一方で、2度のW杯に出場した黄金世代の中田が引退を決断。花道を勝利で飾れず、涙を流した同期の小笠原は「ふがいない。(中田)浩二が安心して任せられるチームじゃなかったということ」とV逸の怒りをかみしめた。それでも、若返りながら最終節まで優勝の可能性を残した。「鹿島はタイトルを取り続けなければいけないクラブ」と中田。来季の目標は3冠。黄金期を支えた男の思いは後輩に託された。【木下淳】

◆【J1:第34節 鹿島 vs 鳥栖】レポート:数々の試練を乗り越えた鳥栖が底力を見せ完勝。鹿島は逆転優勝の条件が揃いながらそれを果たせず(J's GOAL)


http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00182639.html

12月6日(土) 2014 J1リーグ戦 第34節
鹿島 0 - 1 鳥栖 (15:33/カシマ/25,318人)
得点者:6' 高橋義希(鳥栖)
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2年連続で逆転優勝の可能性を残して最終節をホームで迎えた鹿島だったが、昨年に続き今年も歓喜の瞬間は訪れなかった。チームとして1年間積み上げてきたものを発揮したのはむしろ鳥栖。力の限りを尽くし、大雪のため試合が月曜日に順延した柏にプレッシャーを与える勝点3を獲得した。

先制点が試合を大きく動かした。
6分に安田理大のクロスを池田圭が落とし、高橋義希がそれを叩き込む。流れるような一連の動きでいきなりリードを奪った。これにより、試合前の時点でG大阪と得失点差が2だった鹿島は3点を奪わなければならなくなる。そのプレッシャーから来る焦りと、33節までで総失点33と堅守を誇る鳥栖のハードワークの前に攻撃の形が全くつくれない。サイドで起点をつくれば激しいプレッシャーで潰され、楔のパスはインターセプトされる。ボールを持ってパスの出し所を探せば探すほど、相手の網にかかるばかりだった。

「気持ちを落ち着かせてビルドアップしよう」。
ハーフタイムにトニーニョ セレーゾ監督が呼びかけるも、後半になっても事態は好転しない。しかし53分、精彩を欠いていた豊川雄太に替わり中村充孝がピッチに入ると、ようやく攻撃の糸口を掴み始めた。ところが、そのリズムも63分に小笠原満男が退くと、相手を自陣に押し込むというより撃ち合いの展開となってしまう。失点する危険性もはらんだ賭けに打って出たがそれが奏功することはなく、谷口博之を入れて4-1-4-1に布陣を変えた鳥栖が最後まで体をはってゴールを守り、1-0で逃げ切った。

「今回の結果に繋がったのはJ2時代から自分たちのスタイルを貫き通してきた結果だと思います。一昨年、ACLに届かなかった、そのあとも、去年の苦しいシーズンも、そして今年、監督交代というなかでも、チームとしてスタイルを貫き通したところが一番良かったのではないかと思います」。
試合後、静かな口調で今季を振り返った吉田恵監督。チームを襲った危機を乗り越え、「前節も、一人退場したなかで、浦和さんに同点に追いついた。また今日の試合は選手が変わったなかで最後まで走り抜いてくれた」と選手を讃える試合を見せた。

「守備は粘り強くというのがシーズン終盤に来てできていた。その集大成だったと思う」。
ゴールマウスから守備陣を見守っていた林彰洋の「集大成」という言葉が、この日の鳥栖の姿を的確に表す。天皇杯でG大阪が優勝すればリーグ戦4位のクラブにACLへの出場権が舞い込むため、試合のなかった柏レイソルとの勝点差を3に開く最高の試合でシーズン最終戦を締めくくった。

鹿島はリーグ最終戦というだけでなく、中田浩二というクラブに多大な功績を残した選手の最後の試合を勝利で飾ることができなかった。涙にくれる小笠原満男、曽ヶ端準、本山雅志の3人とは対照的に、セレモニーのなかでも引退会見のなかでも、中田の目に涙はなかった。
「17年間、夢のような世界を本当にありがとうございました」。
試合後も、力が出し切れず、打ちひしがれる若手を食事に連れて行き、来季に向けて切り替えさせるなど、最後までにこやかな表情を崩さずピッチを去った。

以上

2014.12.07 Reported by 田中滋

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