内田篤人 (蒼きSAMURAIワールドカップをめざせ!)[本/雑誌] (児童書)...
内田篤人インタビュー。
前編【アントラーズとJリーグ】に続く後編のテーマは「自分」。首位を走る鹿島アントラーズの中で、周りから期待される役割と、自分が理想とするレベルとの隔たり。試合に絡めなかったもどかしさ。そして、自身の身体との向き合い方。前半だけで交代させられた松本山雅戦の経験を経て、内田篤人を突き動かすものとは?【聞き手=飯尾篤史/写真=徳丸篤史】
■でも、試合に絡まなきゃ
――内田選手自身のことで言うと、昨年の鹿島復帰から、チームメイトにいろいろと話し掛けたり、タッチライン際でチームを鼓舞したりする姿が見られます。これまで縁遠かったキャプテンに今年就任して、新しい自分というか、何か変化を感じるところってありますか。
「チームメイトに対しては去年から言ってきたし、今年も言おうと思っていたんですけど、『キャプテンをやれ』と言われたときから、試合に絡まなきゃダメだな、と。去年はケガをしても言えていた。でも、今年はキャプテンになって、ケガで試合に出ていないのに、周りには言えないなって、より強く思いましたね」
――キャプテンであり、内田篤人であるわけなんだから、大岩剛監督だって、自分のことは棚に上げてでも発言してほしい、と思っているはずですが。
「うん。剛さんも『ケガをしていても言ってくれ。篤人が思う立場もあるだろうけど、そういうのは関係なく、遠慮なく言ってくれ』と。『それも期待して獲得したんだから』と言ってくれましたけど、自分の中では、試合に出てプレーして、こうやってやるんだよ、というのを見せないとダメだな、と思う。なんだかんだ半年休みましたから、本当に歯痒いというか」
――内田選手が抱えるもどかしさは、最近の試合後のコメントにも滲み出ています。前半だけで交代させられた10月18日の松本山雅戦後の「俺が前半45分で代えられるようなプレーをしていたらダメなんだ」とか、10月9日のルヴァンカップ準決勝・川崎フロンターレ戦後の「ベンチの選手として契約しているわけじゃない」とか、「まだ31歳なんだから、もっとこき使ってくれていい」とか。
「これがね、僕が100%、120%の力でバンバン試合をやって、それでも勝てなかったら、『すみません』って謝るしかないんだけど、そういう状況じゃないので。ああ、何やってるんだろうな、っていう気持ちのほうが強いからね。それをチャラにするためではないけど、最終目標に優勝というものがある。悔しい気持ち、モヤモヤした気持ちも含めて、優勝しなきゃいけないな、最終的にはそこだなって」
――もちろん、試合に出場するために努力しつつも、出られない中で、どうチームを勝たせるかということを、日々考えながら、向き合いながら。
「自分のコンディションを100%にする。それが一番チームの助けになると思う。『右サイドバックに内田が入ったら、やっぱりすげぇな』って、『シャルケであれだけやっていたんだから、さすがだわ』って思われるようなプレーをすれば、チームも勝てるはずだから。
何年か前だったら、『バケモンいるわ』って思わせるプレーができていたはずで。今も身体さえ動けばできる。その身体さえ動けば、っていうのが一番難しい。そこを抱えながらやるのが、なかなか難しいところですけど」
――焦って再びケガをしてしまったら、元も子もない。
「そう。100%でバーンとやったら、ケガをしちゃうんですよね。昨年のワールドカップ前もそうだったけど、焦って100%でやって、ケガをする。その繰り返し。でも、今3カ月くらいかな、離脱することなく練習できていて。実はそれって、日本に戻って来てから最長なんですよ。3カ月しかいられてないんだって思われるかもしれないけど、自分の中では、やっと3カ月、離脱しないでやれたなっていう感覚で。
たしかに『内田、違うな』と思わせるプレーをするなら100%の力でやるべきだと思う。でも、80%に抑えてケガせず、チームにいたいと思う自分もいる。けど、単純に100%で思い切り走りたいっていう衝動もあるし……。ああ、先輩たちも、こんなふうにして引退していったのかな、って思いましたもん。こうやって、なんか身体が違うな、と思いながら引退を決意していったのかなって」
――やっぱり引退という文字が頭をよぎったこともある?
「そりゃありますよ。(シャルケ時代に)2年間もサッカーができなかったんだから」
――今の問題は、やはり(シャルケ時代に大ケガを負った)膝ですか?
「いや、膝は問題ないんですよ。膝じゃなくて筋肉系のケガが多い。まだ31歳ですけど、サッカーをやっていなかった時期に、運動能力が落ちた気がします。例えば、前十字(靭帯)を傷めて8カ月休んだら、完全に戻るまでに1年は掛かる。自分は2年も休んだんだから、戻るのに2年半〜3年くらい掛かるんじゃないか、ってイメージしていて」
――では、今は休んでいた2年間を取り戻しに行っているイメージ?
「という話を、(コーチの)羽田(憲司)さんとしたんですよ。羽田さんもケガが長かったから。羽田さんが教えてくれたのは、『80%でいいからケガをしないように頑張って、長く続けていけば、筋肉も段々強化されて、戻ってくる』ということ。『辛抱強くやろうぜ』と言ってくれて。
羽田さんとはケガの種類が違うけど、同じように休みが長かった人の意見を聞けて良かった。だから、100%でやりたい気持ちを我慢して、80%でやりながら身体を徐々に戻していきたいと思っているんですけど、優勝争いをする中で、自分も100%でやらないと、と思ってしまうところがある。自分の性格上。そこが難しいところ」
――でも、時間は掛かるけれど、本来の自分に戻るイメージがちゃんと頭の中にあるんですね。
「ありますね。しかも、まだ31歳なので。これが35、36歳だったら難しいのかもしれないけど、31歳なら、もうひと花、ふた花、咲かせられるでしょ、っていう。(フィジカルコーチの)里内(猛)さんも、『もうひと花、やれぃ』と言ってくれているし(笑)。終わるの、早いよって」
■松本戦、前半のみで交代させられる
――ハーフタイムで交代させられた松本戦の前半、僕が見た限りでは、ゲームに変化を付けようとしているようでした。攻撃の起点になったり、サイドを大きく変えたり、縦に仕掛けたり。アクセントを付けようとするチャレンジが伺えて、その中で、ミスもあったけれど、ハーフタイムに下げられるような出来ではないと感じましたが。
「でも、たぶん、それが良くなかったなって。全部自分で何かしてやろう、というのが良くなかった。ボールを全部くれ、と思っていたから。そうじゃなくて、チームの流れ、試合の流れを読みながら、ポイントで違いを見せなければいけなかったなって。その後、剛さんとは特に話はしてないけれど、時間も経って、練習もしっかりやっているし、天皇杯(準々決勝のHonda FC戦)も浦和(レッズ)戦も消化したし、今は『次こそ出たいな』としか思ってないですね。勝とうぜ、頑張ろうぜ、くらいしか」
――ちなみに松本戦では、なぜ、そんなに意気込んでしまったんですか?
「あのスタジアム、ヨーロッパで見ていたときから好きだったんですよね(笑)。それに、相手の監督は(08年北京五輪代表時代の指揮官である)ソリさん(反町康治)だったし。いろいろあって『やってやろう』って。確かに、前半で代わるほど悪かったとは思わないんだけど、試合展開をガラッと変えるには、僕を代えるのはあり。そもそも90分、まだやれていないので、いずれ代えるなら、『ここで代えよう』っていう考えも分かる。理由はひとつじゃないと思います」
――あの試合、前半で代えられたことで、内田選手が何を思ったのか、気になっていました。「このままじゃ終われない」という気持ちがさらに強まったのではないかと。
「まさに、そうですね。シーズンが終わったときに、『あの試合が自分にとってターニングポイントだったな』と思えるように、これからやっていかなきゃいけない。それって、優勝できたときにしか思えないんですよね。優勝したとき、『あれがターニングポイントになって、俺は変われたんだ。剛さん、ありがとう』って言えるようにしないといけない。
実際、翌日のオフを挟んだあとにリカバー(トレーニング)だったんですけど、ちゃんと練習をやりたいと思って、若手に混ざってやったんですよ。そこで『俺も年を取ったし、練習したいけどケガをしたくないから、いいや』とは思わなかった。そういう気持ちが自分の奥底に、まだあったんだなって感じられたのは良かった」
■若手を見て感じるものがある
――若手に混じって、刺激を受けて。
「最近、若い選手と練習をする機会がどんどん増えていて、本当に楽しいんですよね。あと1、2年、試合で使えるようになると化けるなって感じる選手もいるし、もうちょっと頑張らなきゃダメだなって思う選手もいる。でも、キラキラした目でサッカーをやっているので、かわいいなあ、と思いながら見ています(笑)。
彼らもだんだん心を開いてくれて、「篤人さん、メシ、連れて行ってくださいよ」と言ってくるようになってきた(笑)。だから今、本当に楽しい。100%でプレーできない、そういうもどかしさを抱えながらやっていますけど、それを含めて楽しいんですよね」
――それも含めて、なんですね。
「そうそう、楽しい。やっぱりドイツにいた頃は、必死だったから。次はドルトムント、次はアーセナルって、中2日、3日で、強い相手とバンバン試合をやっていたから。
日本に帰って来て、落ち着いて生活もできて、サッカー選手としても、いろんなものが見えるようになって、いろんなことを考えるようになった。シャルケ時代の若手と、鹿島の若手を比べてみたり。当時、今の僕の年齢くらいのシャルケの選手って、こういう気持ちだったんだなとか。僕が高卒で入ってきたとき、剛さんはこういう風に見ててくれたのかなとか、いろいろ感じるものがある。そういうのが楽しくて」
――若い選手に声を掛けるタイミングや、掛け方も考えたり?
「それもありますよね。こいつは、今は試合に出られていないけど、あと2、3年したら出られるようになるから、『頑張れよ』って声を掛けちゃダメだな、ここは自分で踏ん張らなきゃいけない期間だぞ、とか思っていますね。こいつ、ちょっと悩んでいるなとか。そういうのを考えるのも楽しいですね」
――そんな今の内田選手に、もうひとりの内田選手が客観的に声を掛けるとしたら?
「なんだろうな……楽しそうだねえ、昔よりも楽しそうじゃん。でも、もうちょっと頑張って、給料分くらいは働かなきゃダメだよって(笑)」
――アハハ(笑)。では、最後に、今の内田選手にとってのモチベーションは? 鹿島をバイエルン・ミュンヘンのようにリーグで頭抜けた存在にすることなのか。
「うーん……」
――それこそ、小笠原さんのように、39、40歳まで現役を続けることなのか。
「うーん……」
――それとも、右サイドバックをもっと極めたい、もっとサッカーがうまくなりたいという欲があるのか。
「そこは、もうシンプルかも。剛さんとこのチームに恩返しをすること。今は本当に申し訳ないので。このままじゃ終われないから」
――せっかくドイツから迎え入れてくれたから?
「そうですね。ベルリンにいるとき、剛さんから直接電話をもらって、『帰って来てほしいと思っているんだけど、どう?』って。年は親子くらい離れていますけど、剛さんがまだ現役の頃に面倒を見てもらっていますし、本当にふたつ返事で『はい、帰ります』という感じだった。それなのに、去年はほとんど試合に出られなかったし、今年も数えるほどしか出ていない。
このままじゃ終われない。このチームを優勝させて、剛さんを胴上げして、今シーズンを締めくくりたい。うん、やっぱり、このままじゃ終われない、っていう気持ちが一番強いかな」
◆内田篤人はいま、何を思う。葛藤と発見の先に見据える完全復活への道/インタビュー(GOAL)