日刊鹿島アントラーズニュース
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2015年11月28日土曜日
◆磐田退団伊野波「たくさんの思い出。陰ながら応援」(ニッカン)
http://www.nikkansports.com/soccer/news/1571975.html
元日本代表DF伊野波雅彦(30)が、契約満了でJ1昇格を決めた磐田を退団する。27日、自身のフェイスブックでコメントを発表し、明かした。
まず「このたびジュビロ磐田より、契約満了の通知を受け退団することとなりました」と報告した。
磐田に在籍していた間の出来事を振り返り、「ワールドカップに行かせてもらったり、降格させてしまったり、そして昇格できたり、僕のサッカー人生はこのジュビロ磐田で沢山の思い出ができました」(原文まま)。
今季最終節のアウェー大分戦(23日・2-1)で、伊野波が先制点を挙げた際の写真を掲載。「やっとなじんできたサックスブルーのユニホームを着て、来季はプレーすることはできませんが、これからは陰ながら皆さんと一緒に、ジュビロ磐田を応援していきたいと思っております」と記した。
伊野波は13年に、J1神戸から加入。今季は守備の要として32試合に出場していた。
◆【高校サッカー】青森山田MF神谷、日本一で柴崎先輩超える!(報知)
http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20151126-OHT1T50166.html
第94回全国高校サッカー選手権(12月30日開幕)に19年連続21度目の出場となる青森山田(青森)のMF神谷優太(3年)が“柴崎超え”を宣言した。山形市出身で、小学6年からJ2東京Vの下部組織でプレーしていたが、高校2年だった今年1月に青森山田に編入。卒業後はJ1湘南入りが内定している逸材だ。同校OBでJ1鹿島のMF柴崎岳(23)がつけた背番号10を背負い、偉大な先輩も成し遂げられなかった初優勝を目指す。青森山田は12月31日に初戦で大社(島根)と対戦する。
選手権優勝候補の青森山田のMF神谷は、自信にみなぎっている。大社との初戦に「恐れるものは何もない。エースとしてチームを日本一に導きたい」。同校の最高成績は、J1鹿島の柴崎が在籍していた2009年度大会の準優勝。「サッカーにストイックに向き合う姿勢とプレースタイル…。尊敬する柴崎さんを超え、歴史を塗り替えたい」。小学6年の時から憧れてきた先輩を超えることを誓った。
今年1月、高校2年の終盤に東京Vユースから青森山田にやって来た。山形市出身の神谷は、小5の時に「上のレベルでやって成長したい」と母・由紀さんと上京し、東京Vジュニアに加入。ジュニアユース、ユースと昇格し、ユース1年目にはU―16日本代表に選ばれた。同年の東京国体では東京選抜(少年男子)の主力として出場し優勝に貢献するなど、順調に出世街道を歩んだ。しかし「夢のプロになるにはもっと成長が必要。大きく何かを変えないといけない」と、全国屈指の強豪校である青森山田への編入を決意した。
「クラブは練習の質が高いけど、高校は練習量が2倍で気合の入り方も違った。精神的に鍛えられています」。練習初日、約2メートル積もる雪の上での青森山田名物“雪上サッカー”を体験し「全身がつった」という。
決定力のあるシュートとパス、強気に斬り込むドリブルを武器に、移籍直後から柴崎と同じ背番号10を背負う。ユース世代の最高峰「プレミアリーグEAST」で現在得点ランク3位の8得点。自身最初で最後の選手権県大会では、ハットトリックを含む3試合5得点とエースの働きをした。
来春のJ1湘南入団が内定し、「将来の日本代表入りも、夢から目標に変わりました」。今回の選手権応援リーダーは柴崎が務める。「将来、自分もあの場所(応援リーダーの座)に立ちたい」。『雑草魂』を座右の銘とする18歳は、目を輝かせた。(武田 泉)
◆神谷優太(かみや・ゆうた)
▽生年月日、サイズ 1997年4月24日、山形市生まれ。18歳。176センチ、68キロ。利き足は右、利き手は左。
▽サッカー歴 4歳の頃、山形中央サッカー部OBの父・真さんの影響で始めた。小学1年からフォルトナ山形FC、小学4年からS・F・Cジェラーレに所属。小学6年から高校2年の2014年シーズンまで東京Vの下部組織でプレー。今年1月に青森山田高へ。
▽ルーティン ロックバンド「Dragon Ash」、「locofrank」のアップテンポな曲を決まった順番で聴き、最後に昨年度の高校選手権の大会応援歌、大原櫻子の「瞳」で気持ちを整え試合に臨む。
▽家族 両親
◆内田、ツイッターでファンと交流 復帰時期は「俺も知りたい」(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/11/28/kiji/K20151128011587260.html
6月に右膝を手術したシャルケDF内田がクラブ公式ツイッター(日本語版)でファンと交流した。
質問に対し、約50分間で50個以上も返信。「学生生活のモテエピソードは?」に「新婚なんで秘密」、「結婚って勢いも大切と思う?」に「人それぞれ。な、長谷部」と返すなど和やかな雰囲気で進行。しかし、復帰時期について聞かれると「俺も知りたい」と答えるにとどまった。
◆慣れ親しんだCBコンビも、植田との連携に「課題」見つけたDF岩波(ゲキサカ)
http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177308-177308-fl
[11.26 練習試合 湘南 1-1 U-22日本代表候補 BMWス]
的確に課題を捉え、先を見据えた。U-22日本代表候補は湘南ベルマーレと1-1で引き分けた。試合後、先発したDF岩波拓也は「悪くはなかったけれど、良くもなかった」と振り返り、淡々と課題を口にした。
U-22代表候補は1トップにFWオナイウ阿道(千葉)を置く4-2-3-1システムを採用。「チームとして前からプレスにいこう」という意図を持っていたという。しかし、選手間の距離が開いてしまい、思うようにプレスをかけることはできず。ワンタッチでかわされる時間が続いた。
ピッチ上でそれを認識した選手たちは、「1トップの阿道がもう少し下がって、プレスをハメていこう」と声を掛け合った。前半27分には耐え切れずに失点したが、徐々にハマり始めると奪ってのカウンターで見せ場を演出。前半34分には中盤でボールを奪うと、オナイウとのパス交換から抜け出たFW中島翔哉(FC東京)がPA左へ流れながらのシュートも放った。惜しくもGKに阻まれたが、狙い通りのワンシーンだった。
前半40分頃からは4-3-3システムへ変更。前半終了間際から後半にかけて、より前線がコンパクトになると効果的にプレスをかけた。岩波は「ハマってのカウンターはあったし、ああいう場面を増やしていきたい」と手応えを語る。最小失点に留めたチームは終了間際に1点を奪うと、1-1で引き分けた。
「ハマらないときに何か改善できたらと選手同士で話していて、少し下がって守備をした。そうしたらハマりだして、ボールを奪っての攻撃につながった。試合を通じて、全体で喋らないといけないなと感じた」
手応えや収穫を話した岩波だったが、この日の反省点にDF植田直通(鹿島)との連携を挙げ、「俺と植田の距離が遠くて、その間のスペースを使われてしまった」と唇を噛んだ。
実際に植田と岩波の間に入られ、シュートを打たれたほか、チャンスメイクを許したシーンもあった。世界8強入りしたU-17W杯メキシコ大会など、いくつもの大舞台をともに戦ってきたCBコンビだったが、課題が見えた。岩波は「あいつもあいつのやり方があるし、お互いの考えがありますけど、あの距離で結構やられていましたし。距離(を詰めるの)は大事だと思う。話しながら修正していければ」と話す。
「毎試合、課題はありますけど。今日はCBの距離で課題が出たのでカタール遠征などを通じて修正したい。ああいうのは試合でしか、結果につながらない。試合を通してもっともっと良くなっていければ」。連携を深め、アジアでの戦い、そして世界での戦いに備える。
(取材・文 片岡涼)
◆鹿島本山「何ができるかワクワク」晴れやか心境語る(ニッカン)
http://www.nikkansports.com/soccer/news/1572047.html
元日本代表MF本山雅志(36)が、今季限りの退団が発表されてから1夜明けた27日、現在の心境を語った。
茨城・鹿嶋市内で練習終了後、私服姿で「聞きたいことは?」と、ちゃめっ気たっぷりの笑顔で現れた本山の表情は、晴れ晴れとしていた。
「次に向かって、何ができるかワクワクしています。次のチームが決まれば、全力尽くせるように頑張りたいと思ってます。辞める気持ちはなかったです」
誰にも相談せず、1人で迷わず現役続行を決意した。
鹿島の通算17冠のうち14のタイトル(リーグ6、ナビスコ杯5、天皇杯3)獲得に貢献。最も印象に残っている試合を聞かれると、「ありすぎて一番は決められないですね。いろんな選手といろんな絡みでプレーをして全部が思い出になってます。総括できないような18年ですね」。それだけ濃密な鹿島生活18年だった。
02年から常勝軍団の10番を背負い続けた。
「鹿島の10番にしては物足りないと思っている人がたくさんいると思いますけど、僕なりに頑張ったつもりです。周りに支えながらだけど、タイトルもたくさん取った。少なからずチームには貢献できたのかなと思っています。次にどこに行けるか分からないですけど、誇りを持って行きたいと思います」
本山の元には、まだオファーは届いていないが、複数クラブが興味を示している。
「オファーくれるチームがあれば、そのチームのために全力で頑張る。今まで鹿島でも全力を尽くしてきた。変わらずにやっていきたい」
今後は海外移籍も選択肢に入れて、検討していく。
「どこでサッカーできるかフラットになっているので、すべての可能性を考えて判断したいなと思います」
最後は満面の笑みで「また(話を)聞きに来てください」と言い残して、車に乗り込んだ。
本山は東福岡高から98年に鹿島入り。日本代表としては99年ワールドユースで史上最高の準優勝に導き、小野伸二と2人で日本人初のベストイレブンに選ばれた。00年シドニー五輪8強。W杯出場はなかったが、国際Aマッチ28試合に出場した。
◆今季限りで鹿島退団の本山、心残り「クラブW杯出たかった…」(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/11/28/kiji/K20151128011587370.html
今季限りでの退団が発表された鹿島の元日本代表MF本山が新人から所属した18年間を振り返り「ACLを獲ってない。クラブW杯も出たかったなと思う」と心残りを明かした。
02年から背番号10を背負ってプレーした。「鹿島の10番として、物足りないと思う人もいるかもしれない。でも、僕なりには頑張ってきたつもり。タイトルも、たくさん獲れたし、少なからず貢献できたと思う。(次のステップへも)誇りを持っていきたい」と、胸を張った。
今後については、未定だが「何ができるか、ワクワクしている」と、爽やかな笑顔で語った。
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