http://www.footballchannel.jp/2014/10/25/post52983/1/鹿島でポジションを失い、大きなチャレンジを決意鹿島アントラーズを離れてタイのBECテロ・サーサナに入団した岩政大樹【写真:Getty Images】
湘南ベルマーレのJ1昇格、徳島ヴォルティスのJ2降格が決まるなど、2014年Jリーグも佳境に突入している。シーズン終盤を迎えているのはタイプレミアリーグ(TPL)も同じ。
11月2日の最終節まであと3試合。優勝争いはチョンブリーとブリーラム・ユナイテッドの2強に絞られた感はあるが、元日本代表の岩政大樹が加わったBECテロ・サーサナも躍進を遂げた。残り3節の時点で彼らは首位・チョンブリーと勝ち点6差の4位につけている。
「昨季は7位で、その原動力となった外国人FWを引き抜かれたため、今季開幕前は相当に評価が低かった。陣容的にも優勝を狙うなんて到底ムリだと見られていた。そんな僕らが着実に順位を上げ、トヨタ・リーグカップでもブリーラムを下して13年ぶりのタイトルを取ることができた。
僕自身もリーグ戦は出場停止1試合を除いて全試合に出場して5点を取れたし、サッカー選手としてもう少しやっていける自信も取り戻せた。ここでやろうとしていたことはある程度できた」と現地で取材に応じた岩政は手ごたえを口にした。
2010年南アフリカW杯日本代表の一員で、ザッケローニ体制発足後もメンバーに名を連ねていた岩政が、2013年限りで10年間過ごした鹿島アントラーズを退団し、タイに渡る決断を下したことは、サッカー界全体に大きな驚きをもたらした。
「そのくらいビックリさせないと話題にならないでしょう」と本人は苦笑いしたが、昨季半年間スタメンを外されたショックが大胆な決断につながったという。
「自分がまだサッカー選手を続けていけるのかという不安はありました。もし鹿島で出続けていたら僕の性格上、タイへ飛び出すなんてことはできなかった。逆に言えばいいきっかけになったのかもしれない」と彼は努めて前向きに語っていた。
若手の見本としても成果。守備陣に安定感をもたらす 今年1月にBEC移籍が正式決定し、2月下旬の開幕まで準備期間があったが、まずは自分の実力を示すことが肝要だった。
「自分が大したことないプレーをしていたら『元日本代表はあんなもんか』と言われる。常にハードルが上がった状態でプレーしなければならなかった」と本人も言う。
タイ人や他の外国人選手たちは日々の練習から全力を尽くすという意識がやや低く、ちょっとしたところで手を抜いたり集中力を欠いたりする。試合になれば時間稼ぎのために倒れる選手が続出する。
そういうルーズさにやはり戸惑いも覚えたという。が、1年早くBECに加入していたMF下地奨(元サガン鳥栖)の存在がプラスに働いた。
今季15得点を挙げ、来季は高額年俸でポリス・ユナイテッドに引き抜かれることになった下地は「大樹さんが自分のいい部分を引き出してくれた」と心から感謝していたが、岩政も「サッカーに対する姿勢やプレーの緻密さという部分で同じ価値観やスタンダードを持つ選手がいて本当に助かった」としみじみ語っていた。
とはいえ、TPLは全く初めてのリーグ。シーズン前半はGKやDF陣との連携面で難しさを感じることが多かった。そこで岩政は自分自身でできる限り多くの仕事をしようと割り切った。
1対1で激しくボールを奪いに行くのはもちろんのこと、鹿島時代なら仲間に処理を任せたボールでも自らクリアするなど、とにかく多彩な役割を担った。
「タイの選手たちは戦術理解という意味ではまだ乏しい部分があるし、相手を分析した上で対策を考えることが非常に少ない。そこで僕は個人的に相手をスカウティングして、ピッチ上で守備陣に伝えるようなアプローチは試みました。
若い選手たちが僕の言うことを吸収しようという意欲を示してくれたのはすごく大きかった。昨季のBECテロに比べると、現段階までの総失点が20点くらいは減っている。自分のやってきた成果が少しは出たのかなと思いますね」と岩政は自分なりに考え渡来したことによって、自分自身の幅が広がったと実感しているようだ。
鹿島でポジションを失い、大きなチャレンジを決意鹿島アントラーズを離れてタイのBECテロ・サーサナに入団した岩政大樹【写真:Getty Images】
湘南ベルマーレのJ1昇格、徳島ヴォルティスのJ2降格が決まるなど、2014年Jリーグも佳境に突入している。シーズン終盤を迎えているのはタイプレミアリーグ(TPL)も同じ。
11月2日の最終節まであと3試合。優勝争いはチョンブリーとブリーラム・ユナイテッドの2強に絞られた感はあるが、元日本代表の岩政大樹が加わったBECテロ・サーサナも躍進を遂げた。残り3節の時点で彼らは首位・チョンブリーと勝ち点6差の4位につけている。
「昨季は7位で、その原動力となった外国人FWを引き抜かれたため、今季開幕前は相当に評価が低かった。陣容的にも優勝を狙うなんて到底ムリだと見られていた。そんな僕らが着実に順位を上げ、トヨタ・リーグカップでもブリーラムを下して13年ぶりのタイトルを取ることができた。
僕自身もリーグ戦は出場停止1試合を除いて全試合に出場して5点を取れたし、サッカー選手としてもう少しやっていける自信も取り戻せた。ここでやろうとしていたことはある程度できた」と現地で取材に応じた岩政は手ごたえを口にした。
2010年南アフリカW杯日本代表の一員で、ザッケローニ体制発足後もメンバーに名を連ねていた岩政が、2013年限りで10年間過ごした鹿島アントラーズを退団し、タイに渡る決断を下したことは、サッカー界全体に大きな驚きをもたらした。
「そのくらいビックリさせないと話題にならないでしょう」と本人は苦笑いしたが、昨季半年間スタメンを外されたショックが大胆な決断につながったという。
「自分がまだサッカー選手を続けていけるのかという不安はありました。もし鹿島で出続けていたら僕の性格上、タイへ飛び出すなんてことはできなかった。逆に言えばいいきっかけになったのかもしれない」と彼は努めて前向きに語っていた。
対戦相手の外国人選手にアフリカや欧州の元代表クラスが数多くいて、そういうアタッカーとマッチアップする機会と多く持てたことも収穫だったと言う。
「日本では『岩政はタイで活躍出来て当たり前』と見る人が多いかもしれないけど、元Jリーガーでもコンスタントに活躍できているのは下地選手や川村崇大(TOT SC)選手など4~5人程度しかいない。
実際、外国人はJリーグで活躍できるレベルの選手ばかりだし、欧州トップリーグから来ている元代表選手も非常に多い。彼らを止めることで自信を深めることができたし、考えていた以上の結果を出せた。あくまで結果論ですけど、チャレンジしてよかったかなと思います。
今季の活躍を見たTPLの全クラブからオファーをもらいましたし、日本のいろんなクラブからも打診を受けています。タイに来る時にだいぶ年俸が下がったこともありますけど、来季もタイに残れば鹿島時代の年俸を超える。
それくらいの大金を払ってくれる大富豪がバックについているクラブもタイにはあるんです。成功すれば2倍3倍の稼ぎを手にできる可能性がある一方で、失敗すればタイにもいられなくなって行き先を転々とすることになる。そういうリスキーなリーグであることは間違いないでしょう」
「自分が活躍して、ここに何かを残すんだ」岩政は「自ら活躍して何かを残すんだという強い意志」だと言う【写真:Getty Images】
そういう中で生き残り、成功するために必要なものは何なのか。岩政は「自ら活躍して何かを残すんだという強い意志」だと言う。
「タイでは何事も『いいや、いいや』という空気が根強いんで、自分自身が強い意志を持たないと周りに流されてしまう。欧州リーグみたいに情報が沢山あるわけではないので、自分自身があまり活躍していなくても誰も知らない。それが『まあ、いいか』というムードを助長することにもなる。
ラクに生きたければいくらでも生きられる環境なんです。だからこそ、仕事だからタイに来たというレベルじゃ活躍は難しい。『自分が活躍して、ここに何かを残すんだ』という高い意志を持ち続けないといけない。僕は常にそう考えてこの1年間を過ごしてきました」と岩政は語気を強めた。
彼のような模範的なサッカー選手が来たことで、タイ人選手たちは多くを学んだはずだ。
「タイのメッシ」の異名を取るチャナティプ・ソングラシンを筆頭に、BECテロ・サーサナにはスキルの高い若手が少なくない。9月のアジア大会(仁川)でベスト4入りしたU-23タイ代表に名を連ねている選手も5人いるという。
彼らが戦術理解力を高め、相手のスカウティングを地道に行いながら戦い方を柔軟に変え、常に集中を切らさず高い意識を持ってプレーできるようになれば、劇的な変貌を遂げる可能性もゼロではないのだ。
それだけタイには潜在的なポテンシャルがある。タイのみならず、今回のAFC・U-19選手権で初めて4強入りした隣国・ミャンマーなども同様だろう。日本人選手からいい影響を受けて、TPLが今後どう変化していくのか。岩政自身のこの先の身の振り方も含めて、注視していきたいものだ。
【了】