日刊鹿島アントラーズニュース

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2014年12月5日金曜日

◆鹿島宮内、今季限りで退団「一生の財産」(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20141204-1404661.html

 鹿島は4日、MF宮内龍汰(20)が今季限りで退団すると発表した。

 千葉県銚子市出身のボランチで、小学生の時から鹿島の下部組織でプレー。12年にトップ昇格し、銚子生まれ初のJリーガーとして話題にもなった。3年間で公式戦出場はなし。今季から始まったJリーグ・アンダー22選抜の一員としては、J3で10試合(無得点)に出場した。以下コメント。

 「アントラーズでは下部組織のジュニア時代から、本当にたくさんの方々に支えられ、お世話になりました。カシマスタジアムのピッチに立ち、チームの勝利に貢献することで恩返ししたかったのですが、実現することができず非常に残念です。しかし、素晴らしいチームメートとともに過ごした3年間は僕にとって一生の財産となりました。今後、選手としてどのような道を歩むことになるか分かりませんが、アントラーズでの経験を新たな挑戦の場で生かせるよう、日々努力を続けたいと思います。ありがとうございました」。

◆仙台の元日本代表FW柳沢敦が現役引退…国際Aマッチ58試合出場(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20141204/255765.html


現役引退を発表した柳沢敦 [写真]=Getty Images


 ベガルタ仙台は4日、元日本代表FW柳沢敦が現役を引退すると発表した。

 柳沢は1977年生まれの37歳。1996年に富山第一高校から鹿島へ入団した。加入後は1年目から公式戦に出場し、リーグ戦で5得点。鹿島のリーグ初制覇に貢献した。翌1997年には新人王を獲得し、ヤマザキナビスコカップと天皇杯制覇に貢献した。1998年にはリーグ戦で22得点を挙げ、ベストイレブンに選出。日本代表デビューも果たした。

 2000年にはシドニー・オリンピックに出場し、鹿島では三冠を獲得。2001年にはリーグ戦で12得点を挙げ、J1連覇に貢献した。2002年の日韓ワールドカップでは3試合に先発出場。翌2003年夏にサンプドリアへ期限付き移籍で加入した。

 セリエAでの1年目は無得点に終わり、翌シーズンはメッシーナへ移籍。2006年に鹿島へ復帰した。同年のドイツ・ワールドカップにも日本代表の一員として出場。鹿島では2007年までプレーし、2008年に京都サンガF.C.へ移籍した。移籍1年目にはJ1で14得点を挙げ、自身3回目となるベストイレブンを受賞。2011年にはベガルタ仙台へ完全移籍で加入し、プレーを続けていた。

 柳沢は今シーズン、J1で12試合出場1得点、天皇杯で1試合出場1得点を記録。キャリア通算では、J1で370試合出場108得点、ヤマザキナビスコカップ108試合出場64得点、天皇杯では35試合出場10得点を記録。国際Aマッチでは58試合に出場し、17得点を挙げている。

 現役引退にあたり、柳沢は以下のようにコメントしている。

「今シーズンをもって現役を引退することを決断いたしました。 長きに渡って自分を支えてくれた多くの方々に心から感謝しています。まだ最終節の試合が残っていますので、最後までプロとして全力でやり切りたいと思っています」

◆鹿島・セレーゾ監督、中村俊輔&闘莉王の獲得を熱望していた!(ニッカン)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141205/jle14120517360009-n1.html

 鹿島のトニーニョ・セレーゾ監督(59)が5日、鹿嶋市内のクラブハウスで取材に応じ、6日のJ1最終節・鳥栖戦(カシマ)に向けた意気込みを語った。

 首位のG大阪まで勝ち点2差の3位につけており、勝てば逆転優勝の可能性を残す。2000年から05年までも監督を務めており、00年にJリーグ史上唯一の3冠を達成した名将は、「相手は関係なくホームの試合なので勝たないといけない。そのうえで、他のクラブを超えることを願う」と話した。

 指揮官は補強に対する考えも述べ、「対戦相手で気に入った選手はフロントに言うようにしています。(00年に監督に就任した)1年目には横浜Mの中村俊輔選手。(03年に)水戸にいた闘莉王選手」と、日本を代表する2選手の獲得を熱望していたことを告白。また、来季には広島のFW石原直樹(30)の獲得を希望していたが、かなわなかったことを明らかにした。

◆中田浩二、柳沢敦の相次ぐ引退…2002年日韓W杯出場23人の現在(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20141204/255877.html


2002年ワールドカップのロシア戦に先発した日本代表メンバー [写真]=Getty Images


 3日、元日本代表DF中田浩二が現役引退を発表したのに続き、4日には同FW柳沢敦が引退することを決めた。

 両選手は鹿島アントラーズの黄金期を支えたメンバーであり、2002年日韓ワールドカップにも出場し、ベスト16進出に貢献した。同大会に出場した23選手の現在を紹介する。

■GK 1 川口能活(出場時26歳、現在39歳)
 1994年、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に入団。日韓W杯時は日本人GK初となる海外移籍となったポーツマスに在籍していた。2005年にノアシェランからジュビロ磐田に移籍し、帰国。2014シーズンはFC岐阜へと移籍し、リーグ戦37試合に出場した。

■DF 2 秋田豊(出場時32歳、現在44歳)
 1993年から2003年まで鹿島でプレーした秋田は、名古屋グランパス、京都サンガF.C.を経て、2007シーズン終了後に現役を引退。指導者の道へと進み、京都や町田ゼルビアの監督を務めるなどした。現在はサッカー解説者を務めている。


■DF 3 松田直樹(出場時24歳、享年34)
 横浜FMで16年プレーした松田。日韓W杯時は、フィリップ・トルシエ監督の代名詞とも言えるフラット3を形成し、監督からの強い信頼を得ていた。2011年に松本山雅FCへ加入。しかし同年8月2日の練習中に急性心筋梗塞で倒れ、2日後の4日に34歳の若さで他界した。

■DF 4 森岡隆三(出場時26歳、現在39歳)
 1994年の鹿島入団後、翌年途中で清水エスパルスへ移籍。日韓W杯は主将として大会に臨んだが、初戦のベルギー戦で負傷し、以降は欠場した。2006シーズンまで清水に在籍し、京都で2年間プレーして引退。京都のコーチを務め、2014シーズンは派遣という形で佐川印刷京都のヘッドコーチを務めている。

■MF 5 稲本潤一(出場時22歳、現35歳)
 ガンバ大阪の下部組織からトップチームに昇格した1997年に当時の最年少記録となる17歳6カ月でトップチームデビューした稲本。シドニー・オリンピックやW杯に3大会連続で出場するなど活躍。日韓W杯時はアーセナル所属選手として出場し、2得点を決めた。イングランド、トルコ、ドイツ、フランスと世界各国でプレーし、2010年から川崎フロンターレに加入。今季はリーグ戦第33節を終えて13試合の出場となり、契約満了による退団が決定した。本人は現役続行の意思を示している。

■MF 6 服部年宏(出場時29歳、現在41歳)
 1994年に加入したジュビロ磐田で13年間プレー。日韓W杯ではロシア戦で途中出場した。2006年の磐田退団後は、東京ヴェルディ、ガイナーレ鳥取、FC岐阜とJ2を中心にプレーした。2013シーズン終了後に現役を引退。同年末に古巣磐田の強化部長に就任した。

■MF 7 中田英寿(出場時25歳、現在37歳)
 1995年にベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)でデビュー。1998年にペルージャへ移籍し、海外でのキャリアをスタートさせた。日韓W杯では全試合に先発し、チュニジア戦で1得点を挙げている。A代表は1997年にデビューし、77試合に出場。ペルージャからローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリアの各チームでプレーし、2005-06シーズンにイングランドのボルトンへ移籍した。同シーズン後のドイツ・ワールドカップ終了後に現役を引退。指導者への道には進まず、『nakata.net cafe』の運営など、実業家としての活動や、サッカー解説者を務めるなどしている。

■MF 8 森島寛晃(出場時30歳、現在42歳)
 前身となるヤンマー時代からセレッソ大阪一筋。日韓W杯は3試合に途中出場で、チュニジア戦で1得点を挙げた。2008年に現役を引退し、C大阪のアンバサダーに就任。現在も広報活動等を精力的に行っている。

■FW 9 西澤明訓(出場時25歳、現在38歳)
 1995年にC大阪に入団した西澤。フォレンダムやエスパニョール、ボルトンといった海外クラブでもプレーした。日韓W杯はトルコ戦でフル出場。森島とともにC大阪の象徴として活躍した。清水でのプレーを経て2009年にC大阪で現役を引退。2010年には森島と同じくC大阪のアンバサダーに就任。現在は選手のマネジメントを行っている。

■FW 10 中山雅史(出場時34歳、現在47歳)
 ヤマハ時代から磐田に在籍。多くのタイトルをチームにもたらした。A代表としては1990年から2003年までプレーし、Aマッチ通算21得点を挙げている。1998年のフランス・ワールドカップでは日本代表の同大会初ゴールを決めた。日韓W杯ではロシア戦に途中出場している。2012年にコンサドーレ札幌で現役を引退。現在は解説者として活躍中。

■FW 11 鈴木隆行(出場時25歳、現在38歳)
 キャリア序盤はブラジルやジェフユナイテッド市原(現千葉)、川崎フロンターレなどへのレンタル移籍を繰り返しつつ、鹿島で定位置を掴んでいく。2001年に日本代表初選出後、日韓W杯では4試合に出場。初戦のベルギー戦で1得点を挙げた。大会終了後はベルギーやセルビア、アメリカなどでプレー。2011年から出身地である茨城県の水戸ホーリーホックに在籍し、2014シーズンは33試合に出場し3得点を記録したが、シーズン終了後の11月28日に契約満了による退団が発表された。


■GK 12 楢崎正剛(出場時26歳、現在38歳)
 1995年に横浜フリューゲルスでプロデビュー。1998年のチーム解散後には名古屋グランパスへ移籍し、2014シーズンで在籍16シーズン目となった。日本代表としては1998年のフランス大会から2010年の南アフリカ大会まで4大会連続で選出。日韓W杯では4試合全てでゴールマウスを守った。今シーズンはリーグ戦全33試合に出場している。

■FW 13 柳沢敦(出場時25歳、現在37歳)
 1996年に鹿島でデビュー。2003-04シーズンからサンプドリアとメッシーナのイタリア2クラブでプレーした。2006年に鹿島復帰。以後、京都を経て2011年からベガルタ仙台に在籍した。日本代表としてAマッチ58試合出場で17得点を記録。日韓W杯ではグループリーグの3試合に出場した。今季は仙台で12試合出場1得点。4日に現役引退を発表した。


■MF 14 三都主アレサンドロ(出場時25歳、現在37歳)
 明徳義塾高校卒業後、1997年に清水加入。7シーズン所属し、2004年に浦和レッズへ。日韓W杯では2試合に出場した。2006-07シーズンから2シーズン、オーストリアのザルツブルク移籍で海外挑戦をし、帰国後は浦和、名古屋、栃木SCと渡り歩き、2014シーズンは岐阜でプレー。18試合出場で2得点だった。今季限りでの退団の可能性を一部で報じられている。

■MF 15 福西崇史(出場時25歳、現在38歳)
 1995年から12年間、磐田に所属し、クラブの黄金期を支えた。日韓W杯ではロシア戦に途中出場し、Aマッチ通算64試合に出場している。2007シーズンにFC東京、2008シーズンに東京Vでプレーし、現役を引退。現在は解説者を務めている。

■DF 16 中田浩二(出場時22歳、現在35歳)
 1998年に鹿島でプロデビュー。2005年1月にマルセイユへの移籍、2006年からはバーセルでプレーし、2008年に鹿島へ復帰した。日本代表としては2000年に初出場を記録し、日韓W杯では全4試合に出場。Aマッチ通算57試合出場で2得点を挙げている。2014シーズンは鹿島で3試合の出場にとどまり、12月3日に現役引退を発表した。クラブスタッフになることが見込まれている。


■DF 17 宮本恒靖(出場時25歳、現在37歳)
 1995年にG大阪でデビュー。日本代表としては2000年に初出場し、日韓W杯では初戦で負傷した森岡の代わりに出場すると、残り3試合全てにフル出場した。ドイツW杯など、Aマッチ71試合に出場している。日韓W杯後は2006年までG大阪に在籍。ザルツブルクでのプレー後、2009年から3年間、ヴィッセル神戸に所属して2011シーズン終了後に現役を引退。FIFAマスターで学ぶなど、国際舞台で活動するとともに、解説者も務めている。

■MF 18 小野伸二(出場時22歳、現在35歳)
 1998年、浦和に入団し、同年のフランス・ワールドカップに出場。日韓W杯では4試合に先発出場した。クラブでは2001-02シーズンに加入したフェイエノールトでUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)を制するなど、大きく活躍。2006年に浦和に復帰し、2008年からボーフム、2010年から清水、2012年からウェスタン・シドニー・ワンダラーズと舞台を代えながら活躍した。2014シーズン途中にコンサドーレ札幌に移籍。負傷の影響もあり、7試合の出場にとどまった。

■MF 19 小笠原満男(出場時23歳、現在35歳)
 1998年に鹿島でプロデビュー。2002年にA代表デビューを果たすと、日韓W杯ではチュニジア戦で途中出場のため、わずかな時間ながらピッチに立った。2006年のドイツ大会では2試合に出場するなど、Aマッチ55試合出場で7得点を挙げている。クラブでは2006-07シーズンにメッシーナへレンタル移籍した以外は鹿島に在籍。優勝争いをする今季も32試合に出場するなど、主軸としてチームを支えている。


■MF 20 明神智和(出場時24歳、現在36歳)
 クラブでは1996年から2005年まで柏レイソル、2006年以降はG大阪でプレーしている。日本代表としては26試合に出場し、日韓W杯では3試合にフル出場した。G大阪在籍9シーズン目となる今季は12試合の出場となっている。

■MF 21 戸田和幸(出場時25歳、現在36歳)
 1996年に清水でデビュー。2001年に日本代表初出場を記録し、日韓W杯では4試合に全てフル出場した。そこでの活躍が注目され、トッテナムへ移籍したが出場機会に恵まれず、オランダのデンハーグを経て、2004年に日本復帰。清水、東京V、サンフレッチェ広島、千葉と渡り歩き、キャリア終盤では韓国やシンガポールでもプレー。2013年に現役を引退した。現在は解説者を務めている。

■DF 22 市川大祐(出場時22歳、現在34歳)
 高校在学中の1998年に清水でデビュー。同年4月に日本代表史上最年少記録となる17歳322日で試合に出場。フランスW杯出場は逃したが、日韓W杯は3試合に出場した。2010年に清水を退団。ヴァンフォーレ甲府、水戸で1年ずつプレーし、2013年に藤枝MYFCに加入した。J3初年度となった今季はリーグ戦6試合の出場となっている。

■GK 23 曽ヶ端準(出場時23歳、現在35歳)
 下部組織から1998年に鹿島のトップチームへ昇格。2001年からレギュラーとして定着すると、以後鹿島のゴールマウスを守り続けている。日本代表としては2001年に初出場を記録。日韓W杯はメンバーに入ったが出場機会はなかった。Aマッチは4試合の出場となっている。今季も最終節まで優勝争いをする鹿島で全33試合に出場している。


■監督 フィリップ・トルシエ(出場時47歳、現在59歳)
 フランスのランスなどでプレー後、28歳で指導者の道に。フランスの世代別代表や下位リーグチームを率いた後にコートジボワールへ。その後はアフリカ各国のクラブや代表監督を務め、南アフリカ代表監督退任後の1998年に日本代表監督に就任した。世代別代表も担当し、1999年のワールドユースで準優勝。2000年のシドニー五輪でベスト8進出、アジアカップ優勝、2001年のコンフェデ杯で準優勝と結果を積み重ね、2002年の日韓W杯では日本に大会初勝利をもたらし、さらに初の決勝トーナメント進出に導いた。大会終了後に退任し、カタール代表やマルセイユの監督を務めた。2008年にはFC琉球の総監督に就任。中国の深セン、チュニジアのスファクシアンを経て、2015年から中国の杭州緑城の監督になることが発表されている。

◆さらば「13番」…仙台・柳沢が現役引退へ「限界が近づいてきた」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141205/jle14120505030004-n1.html



 J1仙台の元日本代表FW柳沢敦(37)が4日、仙台市のユアテックスタジアム仙台で会見し、今季限りでの現役引退を発表した。一番の思い出には、2011年の仙台移籍1年目に発生した東日本大震災と、復興のシンボルとしてチーム一丸となった共闘態勢を挙げた。クラブからはフロント、スタッフとしての残留を要請されており、指導者を目指して第2のサッカー人生をスタートさせる。



 天国も地獄も見てきた柳沢が、穏やかな表情で現役引退を表明した。

 「自分の求めるパフォーマンスと、今できるパフォーマンスにギャップがあった。チームに与えられるもの、残していくものの限界が近づいてきたと感じた」

 シーズン終盤に決意。11月に渡辺監督へ伝えたところ、来季も必要な戦力として現役続行を促された。だがプロとしての決断を変えることなく、チームメートの誰にも相談せずに決めた。

 19年の選手生活の思い出を聞かれて真っ先に挙げたのは、仙台移籍1年目の2011年3月に発生した東日本大震災だ。鹿島時代に経験した4度のリーグ優勝や、2大会連続で出場したW杯(02年日韓、06年ドイツ)でもなかった。

 仙台市内の自宅で被災。柳沢は主将として市内の避難所に飲料水を寄付するなど支援活動を開始した。迎えたリーグ再開初戦(4月23日)の川崎戦で2-1の逆転勝ち。「みんながひとつのためにやろうとした姿に感動した。サッカー選手として、一番大事なものを見せられたゲームだった」。自分は出場していなかったが、心を揺さぶられた。



 「僕自身、波瀾(はらん)万丈。いいことも悪いことも、悔しいことも悲しいこともいっぱい経験してきた。常に支えてくれたサポーターに心の底から感謝しています」

 「勝負弱いFW」とたたかれたこともある。それでもJ1で積み上げた108得点は、日本選手に限れば史上6番目。この数字が秀でた点取り屋だったことを証明する。クラブ側からはフロント、スタッフでの残留を要請された。

 「ヤナーギサーワ!!」の応援歌で愛され続けた。所属クラブ、日本代表のほとんどで同じ背番号を着けた。柳沢は、6日の広島戦(Eスタ)で代名詞となった「13」に別れを告げる。 (山口泰弘)

★鹿島の仲間からお疲れさま

 ◆MF中田浩二 「自分が引退すると電話したら『俺もだよ』と言われた。(今年2月の)結婚式にも来てくれたし、お世話になったいい先輩だった」

 ◆MF小笠原満男 「本当は引き留めたいです。ずっと一緒にやってきた仲間だし、まだまだできるのに残念」

 ◆MF本山雅志 「寂しいですね。前向きな人で、うまくいっていない時も声をかけてくれた。(中田に続く発表で)自分も考えさせられる出来事ではある」

柳沢 敦(やなぎさわ・あつし)

 1977(昭和52)年5月27日生まれ、37歳。富山・小杉町(現射水市)出身。96年に富山第一高から鹿島に入団。同年8月28日の市原(当時)戦でリーグ戦初出場、同31日のG大阪戦で初得点。イタリア・セリエAのサンプドリア、J1京都などを経て2011年から仙台に在籍。J1通算370試合108得点。代表通算58試合17得点。1メートル77、75キロ。家族は妻でモデルの小畑由香里(35)と1男1女。

◆鹿島職員ギョーザ708個完食!逆転V祈願(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20141204-1404751.html

 3位鹿島の若手職員が6日の最終節(対鳥栖、カシマ)に向けて、公約通りギョーザを食べて逆転Vを祈願した。茨城県鹿嶋市内にある「大阪王将」を訪れて勝利を験担ぎするもので、前節11月29日C大阪戦の前も実施。「大阪」を食って見事4-1で勝った。

 今回も「大阪」を食って「王将」になるため、勝ち点2差で追う首位G大阪が徳島と引き分け以下になることを祈った。試合に引っ掛けてスタッフ「11人」が「90分間」限定で、ギョーザとトリス(鳥栖?)ハイボールだけを注文。日本代表FW豊田陽平を擁し空中戦を得意とする相手を封じ込め? にかかった。

 結果、若手職員イレブンは計708個(118人前)を完食。1人平均で、優勝に必要な勝ち点と同じ「63」個を上回るギョーザを食べ切った。あるスタッフは「近づかないでください」と笑いながら「これでJ1の王将になれるはず」と自信満々。5年ぶり8度目のリーグ制覇は決まり!?

◆宮内龍汰選手との契約が満了(オフィシャル)


http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/46382

標記の通り、宮内 龍汰選手につきまして、今季限りでの契約満了に伴い、来季の契約を更新しないことが決まりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
宮内 龍汰(みやうち・りゅうた)

■生まれ:
1994年3月2日、千葉県出身

■サイズ:
170センチ、67キロ

■ポジション:
MF

■経歴(カッコ内は加入年)
鹿島アントラーズジュニア─鹿島アントラーズジュニアユースー鹿島アントラーズユース-鹿島アントラーズ(2012)

■公式戦成績:鹿島での公式戦出場はなし
J3リーグ(Jリーグ・アンダー22選抜)通算: 10試合0得点

■宮内選手コメント
「アントラーズでは下部組織のジュニア時代から、本当にたくさんの方々に支えられ、お世話になりました。カシマスタジアムのピッチに立ち、チームの勝利に貢献することで恩返しをしたかったのですが、実現することができず非常に残念です。しかし、素晴らしいチームメイトと共に過ごした3年間は、僕にとって一生の財産となりました。今後、選手としてどのような道を歩むことになるか分かりませんが、アントラーズでの経験を新たな挑戦の場で生かせるよう、日々努力を続けたいと思います。ありがとうございました」

◆小笠原「風化させない」 仙台で14日、震災復興支援試合(茨城新聞)


http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14177032267574

来場呼び掛け



東日本大震災の復興支援を目的に、仙台市のユアテックスタジアム仙台で14日行われるサッカーの慈善試合に出場するJ1鹿島の小笠原=盛岡市出身=が4日、サポーターへ来場を呼び掛けた。

日本プロサッカー選手会による慈善試合は、被災地にゆかりのある選手で構成する「東北ドリームス」が、「JAPANスターズ」と対戦する。小笠原のほか、東北チームからは鹿島の遠藤と柴崎、J2水戸から三島と馬場も出場する予定だ。

これまでも東北各地に足を運び、被災者らと交流を図ってきた小笠原。震災から3年半以上が過ぎた今、「年に1回でも(試合を)やれば震災の風化を少しでも防げる。防災意識を高めてもらうためにも震災を風化させてはいけない」と力を込めた。

仮設住宅での生活を余儀なくされている被災者の現状などを踏まえ「早く復興してほしい。何かを発信することで少しでも進むきっかけになってほしい」と強調。当日は「満員の中でいい雰囲気で試合ができれば一番いい。選手が楽しめて見ている人も楽しんでもらえる試合になれば」と語った。 (小林久隆)

◆中沢“撤回して”柳沢の引退を惜しむ「良きライバルだった」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/12/05/kiji/K20141205009401330.html

元日本代表FW柳沢 引退会見

 横浜の中沢が仙台FW柳沢の引退を惜しんだ。

 日本代表でともに戦い、Jリーグで長く相対してきた。「良きライバルだった選手がゴールテープを切っていく」と、残念がりながら「また来年、復帰してもいい」と撤回を期待した。中村は「ユース年代から一緒にやってきた選手。寂しい」と漏らした。

◆W杯2度出場/柳沢写真館(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20141204-1404761.html

 仙台は4日、元日本代表FW柳沢敦(37)の今季限りでの現役引退を発表した。


 柳沢は富山第一から96年鹿島入団。03年はサンプドリア、04〜05年はメッシーナでセリエAに挑戦。06年に鹿島復帰、08年に京都入団し、11年からは仙台に移籍していた。

 Jリーグ通算370試合108得点。日本代表ではW杯で02年日韓大会、06年ドイツ大会に出場するなど58試合17得点。

全国高校サッカー 相手DFをかわす富山一・柳沢敦(左)(96年1月)

1997年ワールドユース ガーナ戦前。前列右から2番目が柳沢(97年6月)

横浜F、GK森敦彦と激しく競り合う柳沢(96年9月)

Jリーグ最優秀新人に選ばれレリーフを手にほほ笑む柳沢(97年12月)

98年JOMO杯、この日2点目のゴールを決める柳沢(98年10月)

キリンカップサッカー1999ペルー戦でボールを追う柳沢(中央)。右は呂比須ワグナー(99年6月)

シドニー五輪男子サッカー予選リーグブラジル戦 エドゥとボールを奪い合う柳沢敦(右)(00年9月)

ステージ優勝をかけた柏戦、ゴール前でシュートを放つ柳沢 (00年11月)

キリンカップ、ユーゴスラビア戦 激しくボールを奪い合う柳沢。左はストイコビッチ(01年7月) 20010704

ゴール前でヘディングで競り合う柳沢。右は横浜DF松田直樹(01年11月)

親善試合イタリア戦DFマルク・ユリアーノをかわしゴールを決める柳沢(01年11月)

W杯韓国・日本大会 日本対ロシア 先制ゴールを喜ぶ柳沢(左から2人目)ら日本代表(02年6月)

サンプドリア入団会見 背番号13入りのユニホームを笑顔で披露する柳沢敦(03年7月)

2006W杯ドイツ大会 日本対クロアチア 決定的なシュートを外し、顔をゆがめる柳沢敦(06年6月)

ナビスコ杯名古屋戦 ボールをキープする柳沢敦(右)(08年3月)

甲府戦 シュートを放つ仙台FW柳沢敦(11年6月)

◆【仙台】柳沢の引退に仲間も残念!角田主将「まだまだ出来る」(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20141204-OHT1T50184.html

 J1仙台の元日本代表FW柳沢敦(37)が4日、今季限りでの引退を発表し、ユアスタで会見を開いた。

 チームメートも、柳沢の決断を残念がった。主将のMF角田誠(31)は、08~10年に京都でも一緒にプレー。11年からは仙台のユニホームを着て戦ってきた。計7年間も柳沢と同じチームに在籍した角田は「あと2年はできる。『まだまだできるでしょ』と言ったけど、本人からは『いや』って言われました」と無念の表情。

 選手会長のDF渡辺広大(28)は何度も助言を受けたと言う。「人として尊敬できる人。さみしい思いが強い。最終節の広島戦をいい形で勝って送り出すことができれば」と6日のアウェー広島戦での勝利へ意欲を語った。

 鹿島時代もフィジカルコーチとして指導した里内猛フィジカルコーチ(57)は「ジョルジーニョやビスマルクから、プロとしての体の管理方法や準備の仕方まで学んでいた。誠実な人間だから第二の人生でも絶対に成功する」と話していた。

◆仙台渡辺、柳沢引退に「格好良すぎる…」(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20141204-1404741.html



 4日に今季限りの現役引退を表明した仙台の元日本代表FW柳沢敦(37)に、チームメートは驚きと寂しさを隠せなかった。

 選手は事前に引退を知らされておらず、インターネットで知った選手がほとんど。FW武藤雄樹(26)は「えっ、と思った」と振り返った。柳沢と同じ11年に仙台に加入。「試合に出られない時に、すごく声をかけてくれた。気遣いのできる人でした」と話した。

 選手会長のDF渡辺広大(28)は「まだできるのに、格好良すぎる。本当に寂しい」と惜しんでいた。

◆興梠 大先輩・柳沢引退にしんみり「盗んだ部分たくさんある」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/12/05/kiji/K20141205009401790.html

元日本代表FW柳沢 引退会見

 浦和のFW興梠も大先輩の引退を寂しがった。柳沢とは06、07年と鹿島でともにプレー。「一緒にプレーできた時間は財産。プレーを見て盗んだ部分はたくさんある」としんみり。

 前日には同じく元チームメートの中田浩二も引退。「きょう(4日)電話します。“できればまた一緒にプレーしたかった。お疲れさまです”と言いたい」と話した。

◆浦和興梠「え、マジで!」柳沢引退に驚き(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20141204-1404708.html

 浦和は4日、名古屋戦(埼玉ス)へ向けてさいたま市内で練習を行った。

 FW興梠慎三(28)はスパイクをはかずに完全別メニュー。練習中に鹿島時代の先輩、仙台FW柳沢敦(37)の引退が発表された。

 練習後に報道陣から知らされると興梠は「え、マジで!この時期は引退とか嫌だよね。一緒にプレーできたのは、キャリアの中でも財産。直接、聞けなかったけど、練習中のプレーを見て盗もうと思った。ヤナさんを目標にやってきたから」と話した。

 前日には鹿島DF中田浩二(35)の引退も発表され「これから電話しようと思う。対戦相手でもいいからもう1回一緒にやりたかったけどね」と感慨深げだった。

◆鹿島・小笠原、元同僚の柳沢引退に「本当は引き留めたい」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141204/jle14120420520013-n1.html



 元日本代表FW柳沢敦(37)=仙台=が4日に引退を表明したことを受け、かつて1996~2003年、06~07年に在籍した鹿島でともにプレーした選手からは悲しみの声が上がった。

 MF小笠原満男は「本当は引き留めたいですね。ずっと一緒にやってきた仲間だし、まだまだできるのに残念」と話し、MF本山雅志は「練習でうまくいかなかった時も『頑張らなきゃいけないよ』と声をかけてもらった。チームでもめ事があったときも止めに入るような人だった」と惜しんだ。

 前日3日に引退を表明したばかりのMF中田浩二は「僕が言うのもおかしいかもしれないけれど、寂しいですね。いつか一緒に仕事ができればいい」と話した。

◆【柳沢、引退会見一問一答】サッカーに誠実に向き合ってきた(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141204/jle14120419040011-n1.html



 今季限りでの現役引退を発表したJ1仙台の元日本代表FW柳沢敦(37)は4日、ユアテックスタジアム仙台で記者会見した。

 柳沢は時折、笑顔を見せて19年間のプロ生活を振り返り、ゆっくりと落ち着いた口調で話した。

 --引退の理由は。

 「チームに与えられるもの、残していくものが限界に近づいてきたと感じた。プロとしての決断」

 --いつごろ決断したのか。

 「シーズン終盤。残留が決まれば、そういう報告をしようと終盤は思っていた」

 --現役生活全体の思い出は。

 「たくさんありすぎて一つにするのが難しい。やっぱりタイトルを取った瞬間、ワールドカップの舞台というのはすごく印象に残っている」

 --現役生活で一番大切にしてきたことは。

 「サッカーに誠実に向き合って、少しでもうまくなりたいという気持ちを持って努力することを信じてきた。そういうことを教えていただいた先輩方に感謝したい」

(共同)

◆元日本代表FW柳沢が引退 W杯2度出場(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20141204-1404575.html



 仙台は4日、元日本代表FW柳沢敦(37)の今季限りでの現役引退を発表した。

 柳沢は富山第一から96年鹿島入団。03年はサンプドリア、04〜05年はメッシーナでセリエAに挑戦。06年に鹿島復帰、08年に京都入団し、11年からは仙台に移籍していた。

 Jリーグ通算370試合108得点。日本代表ではW杯で02年日韓大会、06年ドイツ大会に出場するなど58試合17得点。

 柳沢はクラブを通じて「今シーズンをもって現役を引退することを決断いたしました。長きに渡って自分を支えてくれた多くの方々に心から感謝しています。まだ最終節の試合が残っていますので、最後までプロとして全力でやり切りたいと思っています」とコメントした。

◆【鹿島】豊川、3戦ぶり先発!中田浩二先輩に成長みせる(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20141204-OHT1T50290.html

 プロ2年目の鹿島FW豊川雄太(20)が大一番で先発に抜てきされる可能性が出てきた。逆転優勝の可能性が残る最終節・鳥栖戦(6日・カシマ)。出場停止のFWカイオに代わり、3試合ぶりに先発のチャンスが巡ってきそうだ。「出たら出たで結果を出して良い戦いをして、この1年を終わりたい」と意気込んだ。

 4日には公私で付き合いのあったDF中田浩二(35)が今季限りの引退を表明した。「プライベートでもお世話になった」。今季ベンチ外が続いた夏頃には食事をともにするなど、相談にも乗ってくれた大先輩。日々の練習後にもプレー面での助言も受けた。「この2年間で成長した姿を見せたい」という思いは強い。

 鳥栖は今季のアウェー戦(3月15日)で、プロ初得点を記録した相手でもある。「鳥栖戦は気持ち的にも良いイメージ。走り負けない。気持ちで負けないこと」。逆転Vには鹿島の勝利が最低条件で、G大阪、浦和が引き分け以下に終わって初めて可能性が出てくる。条件は厳しいが、豊川は勝利へ気持ちを集中してピッチに立つ。

 ◆豊川 雄太(とよかわ・ゆうた)1994年9月9日、熊本県生まれ。20歳。熊本・大津高卒業後、13年に鹿島入団。縦への突破力を武器とするFW。プロ2年目の今季、開幕戦でスタメンで起用されると、第3節・鳥栖戦(3月15日)でプロ初ゴール。リオ五輪を目指すU―21日本代表候補。趣味はダーツ。Jリーグ通算16試合2得点。173センチ、62キロ。

◆鹿島・中田の引退試合、早ければ来夏にも開催へ(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141205/jle14120505010001-n1.html

 3日に引退を表明した鹿島の元日本代表MF中田の引退試合が、早ければ来夏にも開催される予定であることが4日、わかった。クラブ関係者は「功労者なのでしっかりしたものをやりたい」と話した。日本代表DF昌子は6日の最終節・鳥栖戦に向け「(中田)浩二さんには全てを教わった。浩二さんのためにもしっかり勝って終わりたい」。逆転優勝を信じて戦う。 (鹿嶋市)

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