鹿島アントラーズのルーキー・安部裕葵には「男の流儀」がある。
今年、瀬戸内高校から鹿島に入団した安部は、川崎フロンターレとの優勝争いを繰り広げているチームにおいて、ルーキーながら出番を掴み、キレのあるドリブルと相手を嘲笑うようなトリッキーなパスで、途中出場から流れを変える存在として重宝されている。
一方で、1999年1月28日生まれの彼は、次のU-20W杯を目指すU-18日本代表の対象年齢でもあるため、11月4日から8日までモンゴルで開催されていたAFC U-19選手権予選にU-18日本代表の一員として参加。コンディション面を考慮して、出場時間こそ短かったが、第2戦のシンガポール戦、最終戦のタイ戦に途中出場し、3連勝で来年のAFC U-19選手権出場権を手にした。
プロ1年目でいきなり鹿島の注目選手になった18歳。
鹿島に年代別代表にと、これからの彼はより忙しくなることは必至で、さらに注目を浴びていくことだろう。だが、注目度が増していく中で、安部本人は至って冷静だ。
「周りから『順調だね』と言われますけど、スタメンで出たジュビロ磐田戦も0-3で負けていますし、決して順調だと思っていません。それに1年目が良いからと言って、将来が決まった訳じゃない。1年目が良くても、2年目、3年目で出られない選手も沢山いるし、自分もそうなる可能性はあると思います。
先のことは今考えても分かることではないので、とりあえずその日の練習、次の日の練習をやることしか考えていません」
モンゴルに旅立つ直前の成田空港で話を聞いた時、彼は今の自分をこう分析し、浮ついた気持ちは一切無いことを感じさせてくれた。
高校時代は無名の存在と言ってよかった彼が、強豪・鹿島においてルーキーとは思えない堂々たるプレーぶり、そしてこうした冷静な受け答えをする姿に、多くの人が驚いたことだろう。
もしかしたらそんな彼のキャリアを「シンデレラストーリー」と呼ぶ人がいるかもしれない。
しかし彼がずっと歩んで来た道は、分かりやすいエリート街道や栄光の道などではなく、高校時代から変わらない「日々の練習」という地味な道程だったのだ。
「特別なことはしてません。高校時代と変わりません」
「もともと『自分は絶対に通用する』という思い上がりみたいなものや、『最初は絶対に通用しない』という固定観念みたいなものが全く無い状態で鹿島に入ったので、周りのレベルが高くても特に驚きもなかったですし、とりあえずやるべきことを一生懸命やることにしていました。
日々の練習を一生懸命やることを意識したら、試合にも出させてもらえるようになりました。なにも特別なことはしていない。高校時代から何も変わっていないんです」
東京都出身の彼は高校進学の際、所属していた「S.T.FCジュニアユース」から、指導者同士のつながりで広島県の瀬戸内高校に入学した。
「プロになるために広島に来た。他にも良い選手が入学していたし、自分が高3のときには広島でインターハイがある。それに向けてぶれずに努力をすれば目標は達成できると思っていた」
やるべきことをやっていたので、不安は一切無かった。
確固たる意志で広島にやって来た彼は、高2まで一度も全国には出られなかったが、その技術を着実に磨き続けていたようだ。
「確かに高2まで全国には出ていませんが、自分がやるべきことはちゃんとやれていると思ったので、まったく不安は無かったし、プロになれることを疑っていませんでした。
当時からその日の練習のことしか考えていなかったし。周りの環境云々よりも自分が成長出来ているか、やるべきことをやれているかが重要だと考えています。そうすることで周りの評価も付いて来るという確信があった」
周りに惑わされない、周りに惑わない――重要なのは周りではなく、自分自身が成長出来ているかどうか。日々の練習や試合に全力で取り組む。それを積み重ねている手応えが確実にあったので、不安は一切芽生えてこなかった、ということか。
「練習でダメなプレーがあったら、それを良くしようと考えるだけ。『俺にはこういう武器があるから磨いていこう』という訳ではなく、『自分に必要なものを身につけたい』という気持ちの方が強いんです。
だって、自分が現時点で武器だと思っているものがあっても、レベルが上がれば通用しなくなる武器かもしれないですし、敢えて『これ』というものを持たないようにしています」
怪我をしていても、人一倍他人の練習に付き合う男。
強烈に印象に残っている光景がある。
それは昨年2月に瀬戸内高校の取材に学校グラウンドまで行った時のことだ。
新学年のチームが立ち上がり、練習が熱を帯びる中、1人だけジャージに普通の靴を履いて佇む安部がいた。
怪我のため、練習に参加出来なかった時期だった。
練習をただ見ているだけでなく、ボール拾いやマーカーを置いたりするなど、練習を手伝いながら真剣な表情で仲間を見つめていた。
「ずいぶんと熱心にやっているな……」と思って見つめていると、それに気づいたのか、筆者のそばに寄って来て、こう言ったのだ。
「今日は取材ですか? 僕、今は練習出来ないんですが、絶対にプロになるんで見ていて下さい」
正直驚いた。
でも、その時の彼の表情は冗談を言っているものではなかった。
こんな、鋼のように強靭なメンタリティーを持った選手は、そういない。
鉄壁の市船守備陣から得点した唯一の選手。
練習が出来ないにもかかわらず、あれだけ真剣なまなざしで練習をサポートし、時には声で仲間にアドバイスを出しながら参加している姿を見たら、彼が言葉だけの人間では無いことがすぐに分かる。
怪我から復帰した安部はすぐさま頭角を現した。
プリンスリーグ中国でゴールを量産すると、ターゲットとしていた地元開催のインターハイでも瀬戸内の攻撃の中枢として君臨し、ベスト8に進出した。
準々決勝の相手は、その大会で優勝を成し遂げた市立船橋だった。この試合で彼は得意のドリブルとワンタッチプレーの絶妙なバランスを駆使して、バイタルエリアでキレのある動きを見せた。1-2で敗れはしたものの、杉岡大暉(現・湘南ベルマーレ)と原輝綺(現・アルビレックス新潟)を擁し、鉄壁を誇っていた市船守備陣を大会通じて唯一こじ開けたのが安部だったのだ。
自分の「芯」は「毎日の練習を大事にすること」。
そして、彼は宣言通りプロになった。
しかも入団したのは王者・鹿島。
より厳しい環境に身を置くことになっても、「試合に出る、出ないに左右されるのではなく、常にその日の練習を大事にする」と、ルーキーらしからぬ落ち着きでプロとしての日々を踏み出していた。
「鹿島の凄いところは、選手1人1人が戦術をしっかりと持っているところ。チームの戦術だけではどうしてもうまく行かなくなるときがあるけど、鹿島は11人全員の戦術があるんです。
それは練習中から感じることで、例えば紅白戦でサブ組として対戦したときに、サイドバックの西大伍選手の戦術に、金崎夢生選手の戦術が組み合わさると、凄く嫌なプレーになってきたりします。誰かと誰かがくっついたときに凄く厄介で手強いサッカーになるんです。
逆に自分が仕掛けるときも、近くにいる選手が誰かによって戦術も変わります。僕も1つの戦術しか出来ないというのではなく、いくつもあった方が良いなと思うし、何でも出来るようになりたい。それを日々の練習、紅白戦で味わえているので、凄く毎日が充実しています。きちんと意識を持ってその練習をこなせば、自分が着実に上手くなっているのが実感できますから」
安部裕葵の流儀。それは日々を大事にする地道な心だった。
いま思うと昨年2月に瀬戸内グラウンドで見た彼の姿も、決して特別なことではなく、自らの流儀を淡々とこなしていたに過ぎなかったのだ。
取材の最後に、こんな言葉を彼は残してくれた。
「僕にとっての『芯』は『毎日の練習を大事にすること』です。それも『柔軟性がある芯』だと思っています。決して折れないし、柔らかいので吸収力がある。さっき自分の武器は無いようなことを言いましたが、もしかしたらそれが僕の武器なのかもしれませんね」
高卒1年目18歳にして鹿島の切り札。安部裕葵が持つ「柔軟性ある芯」。