日刊鹿島アントラーズニュース

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2021年12月17日金曜日

◆パリ五輪代表監督に大岩剛氏が就任 日本協会が発表(報知)






 日本サッカー協会は16日、24年パリ五輪出場を目指す日本代表監督に大岩剛氏が就任すると発表した。協会はJ1での実績、国際舞台での経験を重視し、人選を進めていた。大岩氏は17年途中から19年まで鹿島を指揮し、J1で2、3、3位と上位に進出。18年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)ではクラブを悲願の初優勝に導いた。退任後は協会の指導者養成にかかわっていた。

 反町康治技術委員長は「アジアの戦い方を熟知していることも一つの要素となった。厳格で意思の強さを感じ、まさに監督だなと。適任だと思う」と説明した。指導者養成の講師として接する中では「人となりもよくわかっている」と印象も明かした。

 来年6月に予定されるU―23アジア選手権(ウズベキスタン)を目指してチーム作りに着手する予定。同委員長は「メダルに届くようにしてもらいたい」と大岩氏の手腕に期待した。


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◆パリ五輪代表監督に大岩剛氏が就任 日本協会が発表(報知)


◆パリ五輪代表コーチに羽田憲司氏入閣 現役時代鹿島で大岩剛監督とプレー(ニッカン)






2024年パリ五輪を目指すU-20(20歳以下)日本代表の大岩剛監督(49)が16日に誕生することが15日、分かった。

日本サッカー協会が同日に行う理事会で、現在U-18日本代表監督の同氏の就任を正式に承認する。

東京五輪で逃したメダル獲得を目指すチームには、現在C大阪でコーチを務める羽田憲司氏(40)が入閣することも分かった。

大岩氏は日本協会からパリ世代の監督を打診されたことを受け、互いをよく理解している羽田氏にいち早くコーチ就任を持ちかけた。

羽田氏は現役時代は主に鹿島でプレーし、大岩氏とも共闘した。鹿島のコーチとして16年にリーグと天皇杯で優勝を経験。17年に大岩氏が監督となってからもコーチとしてサポートし、18年にはチームをアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)優勝へと導いている。

パリ五輪世代には日本代表MF久保建英(20=マジョルカ)をはじめ、有望な選手がそろっている。鹿島でアジアのタイトルをつかんだ2人が、ふたたびタッグを組み、68年メキシコ五輪以来となるメダルに挑戦する。

またGKコーチとして、日本代表や浦和などで指導経験のある浜野征哉氏(49)に正式オファーしている。

◆羽田憲司(はねだ・けんじ)1981年(昭56)12月1日生まれ、千葉県出身。現役時代のポジションは主にDF。市船橋高の主将として、全国高校選手権で優勝。00年に鹿島入りし、01年にはU-20日本代表の主将としてワールドユース(現U-20W杯)に出場した。12年に現役引退。13年からC大阪のスクールコーチとして指導者に。15年にトップチームのコーチとなった。16~19年は鹿島、20年は松本、21年は再びC大阪でコーチを務めた。




◆パリ五輪代表コーチに羽田憲司氏入閣 現役時代鹿島で大岩剛監督とプレー(ニッカン)


◆岩政大樹がコーチとして鹿島に復帰 挑戦を求めてきた30代、40代は結果で証明を(4years.)






2022シーズンより、私、岩政大樹(39)は鹿島アントラーズにコーチとして戻ることになりました。それにより、このコラムも今回が最後になります。長きにわたりお付き合いいただいた皆さん、大変ありがとうございました。せっかくですから、最後のコラムは人生の大きな決断をいくつもしてきた私の30代を振り返り、未来ある皆さんの何かしらのヒントになればいいなと、言葉を絞り出してみたいと思います。


人生の“流れ”を感じ、鹿島を退団してタイへ


私は2004年に東京学芸大学を卒業後、鹿島アントラーズに進み、10年という区切りをもって退団しました。32歳の時です。10年というのはどこかいいタイミングであると感じました。しかし、それは後付けに過ぎません。

私が決断に際して最も重視してきたものは、世の中と、そして私自身の人生の“流れ”みたいなものを感じることです。どこか全ての“流れ”が向かう先が見える気がする。そう感じる道を選んできました。

鹿島を32歳で退団した時、チームは過渡期を迎えていました。私は出場機会を失い、イキのいい若手たちが育ってきていました。同時に、健在の先輩たちがいらっしゃいました。私は「先輩たちとは違う色の自分にならなくては」。そんなことも考えた気がします。いずれにしても、私は鹿島を離れるべきタイミングが訪れたと感じていました。

「残ってほしい」という後輩たちの想(おも)いや生まれたばかりの子どもと離れ離れになってしまう家族への申し訳なさ。私は、後ろ髪を引かれるようなたくさんの要素を振り切ってでも、新たな挑戦に向かわなければならない。そんな信念のもとにタイへ渡ったのでした。

BECテロ・サーサナFCで戦い、1年で日本に戻ってきたのも似たような理由です。タイでの1年は、海外で経験したかったことが思っていた以上に順調に進み、全てが思い通りに運んでいったような年でした。すると、私はそこに次の年も残ることは“挑戦”ではなくなってしまったように感じてしまったのです。私が鹿島を出た理由は新たな挑戦を求めたからです。であるならば、次なる挑戦へ向かうべきだろう。そんな“流れ”を感じて、私は初のJ1昇格をめざしていたファジアーノ岡山への移籍を決断したのです。

2年間の壮大な挑戦をあと一歩で果たせず離れることになった岡山退団の時だけは、私にとって不意の別れでした。ただ、それも全て今では、“今ここ”に続く道の途中であったのだろうと感じています。


川崎の3連覇を阻止するためにも


岡山を離れてからは、サッカー選手という仕事に加えて、指導者や解説者としても歩き始めました。その都度、ありがたいお話をいただいて、全ての年代の指導をさせていただきました。様々なカテゴリーや様々なレベルの選手たちと向き合いながら、指導者としての自分を試されてきたような時間の中で、私は確実にサッカー人として成長してこられた実感があります。

そして、突然訪れた今回のお話です。実は、今オフには別にいくつかのお話をいただいていました。しかし、私は上武大学を簡単に離れるつもりはありませんでした。たった1年でしたし、何より選手たちの成長をまだまだ見ていたかったからです。

しかし、鹿島からいただいた、このお話だけは断ることができませんでした。それは、やはり“流れ”を感じたからです。そして、「使命」を感じてしまったからです。

鹿島アントラーズは5年間国内タイトルから遠ざかっています。これは鹿島の歴史で一度もなかったことです。そして、来年は川崎フロンターレが3連覇に挑む年。鹿島はなんとしてでもそれを阻止しなければなりません。そんな時に戻らずしていつ戻る。これは何を置いても挑まなければならない挑戦だろう。私は率直に、そう感じてしまったのです。


寂しさを胸に、毎日が勝負の世界で戦い抜く


この12月は寂しい1カ月となりました。たった1年の付き合いでしたが、私が大学を離れることを告げた時の学生たちの反応は、ありがたいものばかりでした。だからこその寂しさ、申し訳なさ、後ろめたさ。しかし、私はそれらを振り切って、今回の決断をしました。寂しさに明け暮れてばかりではいけません。

ただ、寂しい。本当に寂しかった。でも、私は行かなければいけない。今後は指導者としても“大学出身者”としても頑張っていきます。

ここから先は、結果が全ての世界。厳しい世界であることは充分に知っているつもりです。ただ私は1つ、今回の別れで武器を得ました。別れを惜しんでくれたみんなの気持ちです。苦しくなったら彼らの顔を、そして別れの寂しさを思い出して、自分を奮い立たせていきたいと思っています。

1月に私は40歳を迎えます。どんどん新たな挑戦を求めてきた30代を、今は正解だったと思っています。それを40代の結果で証明していく覚悟です。

このコラムもこれでお別れ。またいつか書かせていただけたら。その日まで、私はまた勝負の世界を自分らしく歩いていきます。日進月歩で。


◆岩政大樹がコーチとして鹿島に復帰 挑戦を求めてきた30代、40代は結果で証明を(4years.)










◆J1鹿島、クラブOB元日本代表DF岩政大樹氏のトップコーチ就任発表 現役時代にJ1リーグ3連覇経験(FOOTBALLZONE)






セルビア国籍のムルジャ氏、ドイツ国籍のクレクラー氏のトップチームコーチ就任も発表


 J1鹿島アントラーズは12月16日、来季のトップチームコーチにクラブOBの元日本代表DF岩政大樹氏、セルビア国籍のドラガン・ムルジャ氏、ドイツ国籍のマヌエル・クレクラー氏が就任すると発表した。

 2018年限りで現役を引退した岩政氏は、04年から10シーズン鹿島に在籍歴があり、鉄壁を誇るディフェンダーとして活躍。07年からのJ1リーグ3連覇も経験した。

 今年から上武大学サッカー部監督に就任。解説者としても理論的な語り口が人気となっている同氏だが、古巣のトップコーチとして帰還することが正式に決定。合わせて、セルビア国籍のムルジャ氏、ドイツ国籍のクレクラー氏の就任も発表された。

 鹿島は今月10日、スイス人のレネ・ヴァイラー氏と2022年シーズンの監督就任について合意に達したと発表しており、体制を一新させ来季を迎える。




◆J1鹿島、クラブOB元日本代表DF岩政大樹氏のトップコーチ就任発表 現役時代にJ1リーグ3連覇経験(FOOTBALLZONE)





◆ベストヤングプレーヤー賞は海外移籍への切符。2020年・瀬古歩夢、2021年・荒木遼太郎も続くか(Sportiva)






 かつては「新人賞」と呼ばれ、2010年からは対象条件と名称が変更された「ベストヤングプレーヤー賞」。今シーズンのJリーグアウォーズでそれを受賞したのは、プロ2年目の19歳、鹿島アントラーズの荒木遼太郎だった。

 狭いスペースにおける繊細なボールタッチとクイックネス。自らゴールを決める能力とラストパスを供給するセンスも兼ね備える荒木は、リーグ戦で36試合に出場してそのうち27試合に先発。プレータイム2291分で10得点7アシストを記録した。

 コロナ禍により昨シーズンから10代の選手の台頭が目立つJリーグのなかでも、これだけのパフォーマンスと結果を残した荒木がベストヤングプレーヤー賞に選ばれたことに、もはや異論はないだろう。先日発表された森保ジャパンのメンバーに唯一10代の選手として選出されたことが、その活躍ぶりを証明している。

 いまや明るい未来しか見えない荒木だが、あらためて過去のベストヤングプレーヤー賞の受賞者を振り返ってみても、いかにこの賞がその選手の将来に向けた"保証書"になっているかがよくわかる。

 たとえば2010年以降の受賞者で、日本代表キャップを記録していない選手は2名のみ。2014年に外国人選手として初めて受賞したカイオ(鹿島アントラーズ/シャールジャ)を除けば、昨シーズンの受賞者の瀬古歩夢(セレッソ大阪)だけだ。

 ただ、その瀬古は今夏の東京五輪メンバーでもあるうえ、今回の日本代表メンバーにも名を連ねている。A代表デビューは時間の問題で、つまりベストヤングプレーヤー賞は日本代表への架け橋とも言えるだろう。

 さらに言えば、この賞の受賞者は例外なくその後に海外へと羽ばたいており、その面々は豪華絢爛。そういう意味では、「海外移籍の切符」にもなっているのだ。

 まず2010年の受賞者である宇佐美貴史(ガンバ大阪)は、ドイツの"名門中の名門"バイエルン・ミュンヘンから声がかかった。翌年6月には買い取りオプションつきのローン移籍を果たし、そのキャリアを大きくステップアップさせている。


【名門アーセナルが白羽の矢】


 残念ながら、当時まだ10代の宇佐美がバイエルンで活躍することはできなかった。だが、翌シーズンにホッフェンハイムで20試合2ゴールを記録。一旦古巣G大阪に戻ったあとにも再び2016年からドイツに行き、アウクスブルクとデュッセルドルフで計3シーズンにわたってプレーした。

 2011年の受賞者となった酒井宏樹(柏レイソル/浦和レッズ)も然り。その翌年の夏にドイツのハノーファーに完全移籍すると、2016年夏からフランスの名門マルセイユでレギュラーとして活躍。計9シーズンの間、ドイツとフランスで実績を積み、現在も日本代表で不動の右SBとして君臨する。

 2012年、2013年の受賞者である柴崎岳(鹿島アントラーズ/レガネス)と南野拓実(セレッソ大阪/リバプール)も、今や森保ジャパンの主軸だ。

 現在スペイン2部レガネスでプレーする柴崎が海外移籍を果たしたのは、2017年1月のこと。テネリフェに移籍した当初は環境適応に苦しんだものの、その年の夏にはヘタフェに完全移籍し、ラ・リーガ1部を経験。現在に至るまで、スペインでプレーを続けている。

 一方の南野は、2015年1月にオーストリアのザルツブルクに完全移籍。足掛け6シーズンにわたって実績を積んだあと、2019年12月にイングランドの名門リバプールに完全移籍を果たした。選手層の厚いヨーロッパ屈指の名門では出場機会に恵まれずにいるが、昨シーズン途中にローン移籍したサウサンプトンでの実績を含め、プレミアリーグに足場を固めるまでにキャリアアップを遂げている。

 カイオを挟んで2015年にベストヤングプレーヤー賞を受賞した浅野拓磨(サンフレッチェ広島/ボーフム)は、翌2016年7月にイングランドの名門アーセナルに完全移籍し、そのままドイツ2部シュトゥットガルトにローン移籍。その後、ハノーファー、パルチザン・ベオグラードで実績を積んでから、今夏にドイツに復帰。現在はブンデスリーガのボーフムでプレーしている。


【オランダ移籍で右肩上がり】


 2016年受賞者の井手口陽介(ガンバ大阪)も、2018年1月にイングランドの古豪リーズ・ユナイテッドに完全移籍した。そのままスペイン2部クルトゥラル・レオネサにローン移籍し、翌シーズンにはドイツ2部グロイター・フュルトに所属。思うような成績を収められずに帰国したが、海外移籍のチャンスを手にしたことに違いはない。

 そして2017年から2019年にかけて受賞した中山雄太(柏レイソル/ズヴォレ)、安部裕葵(鹿島アントラーズ/バルセロナB)、田中碧(川崎フロンターレ/デュッセルドルフ)は、これからの日本代表の将来を担うにふさわしいタレントたち。それぞれヨーロッパの舞台で現在も足固めをしている。

 とりわけ2019年1月にオランダのズヴォレに移籍した中山は、着々と実力をつけて右肩上がりに成長中。所属クラブで主軸を担い、東京五輪の舞台を経て、現在は日本代表の左SBのスタメンを奪取しそうな勢いだ。

 バルセロナBでプレーする安部はケガがちなのが気になるが、今夏の東京五輪後にデュッセルドルフ(ドイツ2部)にローン移籍を果たした田中も奮闘中で、こちらは日本代表のスタメンの座を確保しつつある状態。その才能からすれば、今後の飛躍も大いに期待できそうだ。

 そうなると、当然ながら2020年受賞者の瀬古と今回の荒木にも、海外移籍の扉が近いうちに開かれると見ていいだろう。もちろんその先は本人次第ではあるが、海外クラブのスカウトや代理人たちが触手を伸ばすことはほぼ間違いないはずだ。

 毎年のJリーグアウォーズで選出されるベストヤングプレーヤー賞は、まさしく海外移籍への切符と言っても過言ではない。この賞の受賞者たちのキャリアの行方は、そういう意味でも注目に値すると言えるだろう。



◆ベストヤングプレーヤー賞は海外移籍への切符。2020年・瀬古歩夢、2021年・荒木遼太郎も続くか(Sportiva)





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