日刊鹿島アントラーズニュース

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2025年10月16日木曜日

◆日本がブラジルに勝ってサッカー留学中止…元日本代表FWが驚きの告白(ゲキサカ)






「昨日の日本代表戦楽しかったなぁ。お陰様で海外に住んでる日本人の評価勝手に上がってます」


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◆日本がブラジルに勝ってサッカー留学中止…元日本代表FWが驚きの告白(ゲキサカ)









2025年9月3日水曜日

2023年3月14日火曜日

◆柳沢、小笠原らサッカー元日本代表がシドニーの学校を訪問──鹿島アントラーズ・ユース選手が地元チームと強化試合(日豪プレス)



田代有三


 Jリーグ・鹿島アントラーズ、ユース・チームが3月9日、シドニー北郊テリーヒルズにあるシドニー日本人国際学校への表敬訪問を行った。ユース所属選手のみならず、スタッフには元鹿島アントラーズ選手で現在はチーム運営に携わる柳沢敦氏、小笠原満男氏、曽ヶ端準氏、鈴木修人氏らレジェンドがずらりと勢揃い。豪華メンバーの訪問とあり、シドニー日本人国際学校の生徒たちもこの日を心待ちにしていたという。本記事は、日豪プレス編集部でインターンシップ生として働き、自身もプレイヤーとしてサッカーを愛する山内岳登がお届けする。

(取材:山内岳登、写真:馬場一哉)


 今回、鹿島アントラーズをシドニーに招いたのは、自身も元鹿島アントラーズで日本代表経験もある田代有三氏が代表を務めるサッカー・スクール「MATE FC」だ。選手やスタッフの訪問に際して、体育館には同校の生徒たちが集められMATE FCによる司会の元、鹿島アントラーズの元選手ら4人が登壇。インタビューの時間が設けられた。

 サッカーを始めた年齢やきっかけ、プロになるために努力したことなど、気になる質問を司会者が投げかけ、元選手ら4人がそれぞれ回答した。

 鹿島アントラーズユースの現監督である柳沢氏は「当時は野球をやりたかったのですが、10歳になってからでないとクラブに入れなかったことから、7歳の時にサッカーを始めました」と答えた。小笠原氏は「僕は野球とスキーもやっていたのですが、その中で最も好きだったのがサッカーでした」と話した。




 司会者からの質問が終わると、生徒たちからの質問タイムへと移行。多くの子どもたちが質問をしようと目一杯手を上げた。

 「W杯に勝つとどれくらいお金をもらえますか?」という生徒の質問に対し、小笠原氏は「大体一試合勝てば車を買えるくらい、勝ち進んでいくと家が買えます。夢があるでしょう?」と笑いながら答えた。 

 また保護者からの「現役時代に憧れていた選手は?」という質問に対して、柳沢氏は「三浦和良選手が大好きです」と答え、小笠原氏は「憧れではないが、クラブW杯でレアル・マドリードと対戦した時に、クリスティアーノ・ロナウド選手をはじめ同クラブの選手たちが印象に残っています」と答え、続いて「そのクリスティアーノ・ロナウド選手に点を決められたゴールキーパーがここにいる曽ヶ端準です」と冗談を交え、会場を盛り上げた。 

 インタビュー後、生徒たちはグラウンドに移動し、ユース・チームの選手らとサッカーを楽しんだ。澄み切った青空の下、ユースの選手たちからボールを奪おうと子どもたちは懸命にボールを追った。それに対し、プロの卵であるユースの選手たちも真摯にプレーで対応していたのが印象的だった。 

 今回の遠征について、MATE FC代表の田代有三氏は「僕には日本とオーストラリアをスポーツでつなげたいという目標がありました。僕も一緒にプレーしていた選手らが来てくれたことで、子どもたちに良い経験を得られる場を設けられたのがうれしいです。そして僕自身、子どものころは有名なスポーツ選手に会ったことがなかったので、もしそういう機会があれば子どもたちはもっとサッカーを好きになってくれるのではないかと考えました」と話す。 





 また、柳沢氏はユースの選手が今回シドニーに訪れたことに対し「世界で活躍するスーパースターは言語面でも人格面でもとても優れています。そのためにも選手たちが若いうちに海外で異文化に触れることはとても大切なこと。人としてもサッカー選手としても優れた大人になってくれたらうれしいです」と話した。 





 最後にユースチーム・キャプテンの小倉幸成さんに話を聞くと「子どもたちがとても元気で楽しかった」と答え、更にイベント前日に行われたウエスタン・シドニー・ワンダラーズFC、U-20チームとの試合(4−4の引き分け)については「日本とオーストラリアのフィジカルの違いを痛感しました。そこが課題だと思います」と日豪の違いを語ってくれた。 


遠征を終えて──柳沢敦監督インタビュー


 鹿島アントラーズ・ユースチームは3月11日、シドニー西郊グレンウッドにあるバレンタイン・スポーツ・パークで、ナショナル・プレミア・リーグ(NPL)のガンガーリン・ユナイテッドFC(オールエイジ、キャンベラ郊外拠点)に5対2で快勝し、遠征を終えた。今回の遠征の振り返りについて試合後、柳沢監督に話を聞いた。(編集部)

──コロナ禍もあり久々の海外遠征となりましたが、選手たちにとって良い経験になったのでは。

 「シドニーを拠点に活動する田代有三・鹿島OBのおかげでいろいろなチームとゲームをさせて頂くなど、すばらしい機会を得ることができました。選手たちにとって、異国の文化を感じること、そして言語や食べ物、物の値段など、日本とは全く違う環境の中で時間を過ごせたのは、とても良い経験になったと思います」

──今回、2チームと対戦しましたがオーストラリアについてはどのように感じましたか。

 「田代君を通じてAリーグやNPLの現状をいろいろと聞きました。日本人選手が所属しているチームもあると聞いていますし、オーストラリアは同じアジアのチーム、そしてライバルとして切磋琢磨して行けると感じています。お互いがそれぞれ世界のトップ10には入れるような国に成長していけたらうれしいなと思います」


取材を終えて

 プロのサッカー選手になる人は生まれた時からサッカー・ボールを触っているぐらい根っからのサッカー好きの人ばかりだと思っていたが、きっかけは人それぞれなのだなと思った。また、今回の取材を通じて、このような機会を子どもたちに提供できるようになれば日本人のサッカーに対する熱は更に盛り上がるのではないかと感じた。プロの世界で戦っていた選手たちと交流した経験、目の前ですばらしいプレーを見せてくれたユースの選手たちを通じて、子どもたちはもっとサッカーのことが好きになっただろう。この経験が糧となり、プロを目指す子どもが現れれば幸いだ。
(山内岳登)









2022年11月10日木曜日

◆内田篤人氏が着ていたシャツにブランド公式アカ驚き「社内が熱狂と歓喜の渦に」「かっこいいです…」(ゲキサカ)









 元日本代表FWの田代有三氏が8日に自身のツイッター(@tashiro_yuzo)を更新し、鹿島アントラーズ時代の同僚で元日本代表DFの内田篤人氏とのツーショットを披露した。この写真で内田氏が着ていたシャツが一部で話題となっている。

 オーストラリア・シドニー在住の田代氏は先日、7年ぶりに鹿島を訪れ、岩政大樹監督やFW鈴木優磨と撮った写真を投稿。ホームゲームの観戦も報告した。

 さらに同じ鹿島OBの内田氏とも再会した田代氏は、8日のツイートで2枚の写真をアップ。1枚目はテーブルを挟んだ内田氏とのツーショット、2枚目は内田氏のみとなっている。

 1枚目で目をつぶり、カメラを持つ手もブレてしまった田代氏は「大事な時にいつもこうなるんだよなぁー」と自虐を交え、「#3年ぶりの日本は久しぶりのメンバーに沢山会えて楽しかったそして改めて鹿島ファミリー最高と思ったもちろん今の選手も元選手もスタッフもサポーターも全てスペシャルずっと応援してる鹿島アントラーズ」と古巣への思いを記した。

 この投稿にユーザーからは「イケメンが2人!!!」「イケメン×イケメンだ…」「田代さんも内田さんも…相変わらずかっこいい」「ハッシュタグに鹿島愛がたくさん詰め込まれてる」と称賛や喜びのコメントが寄せられている。

 また、内田氏の着ていたシャツが福祉のカルチャー化を目指すアートライフスタイルブランド「HERALBONY(ヘラルボニー)」だったことから「ウッチーがヘラルボニーまとってる」「洒落たシャツ」といった声が上がり、ヘラルボニー公式アカウント(@heralbony)も「う、う、内田篤人さんがヘラルボニーのシャツをお召になっている…!!? ヘラルボニー社内が熱狂と歓喜の渦に包まれております スーパーゴールありがとうございます…かっこいいです…」と反応した。





◆内田篤人氏が着ていたシャツにブランド公式アカ驚き「社内が熱狂と歓喜の渦に」「かっこいいです…」(ゲキサカ)

2022年10月15日土曜日

◆2011年ナビスコ決勝、大迫の決勝点を導いたOBが自賛「アシストのアシストした選手いい選手ですねー!」(超WORLDサッカー!)









今年で30周年の節目を迎えるYBCルヴァンカップ。過去大会のパネルが新宿駅の構内にも展示されるなど、16日に行われる決勝戦を前に様々な施策が打たれている。

Jリーグ公式ツイッターも、『PLAY BACK FINALS』と題して過去の決勝戦の動画を公開。13日には旧・国立競技場で開催された2011年の浦和レッズvs鹿島アントラーズのハイライトが公開された。

互いに決定機を作るもゴールを奪えず、互いに退場者を出す展開で90分を終えた一戦は、延長戦の105分にFW興梠慎三(現:北海道コンサドーレ札幌)のグラウンダーのクロスにFW大迫勇也(現:北海道コンサドーレ札幌)が合わせて鹿島が均衡を破ると、これが決勝点となり、9年ぶり4度目の栄冠を手にした。

このシーンには当時の選手も反応。動画を引用する形で「アシストのアシストした選手いい選手ですねー!ですがもうちょっと尺長くしてもいいのじゃないかとか思ってそうです。あの局面に行くまで結構重要なのじゃないかとか言ってそうだけどアシストのアシストは重要じゃないか。どうでしょうか」と、起点となった田代有三氏本人が冗談交じりのコメントを残した。

J公式の映像ではカットされてしまっているが、63分からピッチに立った田代氏は左のポケットへ侵入した興梠へスルーパスを送る直前、驚異的な跳躍力を駆使して興梠からの浮き球パスを胸トラップ。このリターンへとつなげていた。

印象的なシーンはファンの記憶にも残っている様子。「鹿島史上最強の3トップで決めた最高のゴールだと思っています」、「良い時代でしたねぇ」、「すごいジャンプで良い納めだったの今でも鮮明に覚えてます」、「アシストのアシストした選手いい選手ですね」、「押してんじゃん!の時ですね!」など、当時を回想する声が多数寄せられている。

今年の決勝カードはセレッソ大阪vsサンフレッチェ広島。昨年準優勝に終わりリベンジを期すC大阪と、初優勝を狙う広島の一戦では、どのようなドラマが待っているのだろうか。





◆2011年ナビスコ決勝、大迫の決勝点を導いたOBが自賛「アシストのアシストした選手いい選手ですねー!」(超WORLDサッカー!)





2019年12月12日木曜日

◆「一緒に悩んで山形に行き、悩んで鹿島に戻り…」田代氏が引退発表の増田にメッセージ(ゲキサカ)









 現役時代に鹿島アントラーズなどでプレーした田代有三氏(37)が11日、自身のツイッター(@tashiro_yuzo)を更新し、同日に清水エスパルスから現役引退が発表された盟友のMF増田誓志(34)にメッセージを送った。

 田代氏は福岡大から2005年に、増田は鵬翔高から2004年に鹿島へ入団し、2010年にキャリア初の期限付き移籍として一緒に山形へ加入。当時J1昇格2年目だったクラブを2人でけん引し、歴代最高位となる13位フィニッシュに貢献した。

 翌2011年には互いに鹿島へレンタル復帰。そして田代氏は2012年に神戸、増田は2013年に蔚山現代(韓国)へ移籍し、それぞれ別の道を歩むことになった。その後、田代氏はC大阪とウーロンゴン・ウルブス(オーストラリア)を経て2018年に現役を引退。今季ソウルイーランドFC(韓国)に期限付き移籍していた増田も、2019年シーズン限りでプロ生活にピリオドを打つことを決断した。

 ツイッターで「誓志とは鹿島入団してから共に闘ってきた大事な仲間。一緒に悩んで山形に行き、悩んで鹿島に戻り、プライベートでも1番長く一緒に過ごしてきた」と振り返った田代氏。「本当に男前でいい人間で、もちろんサッカーもうまい」と増田を称え、「引退はちょっと寂しいけどこれからも一生の付き合いをしよう お疲れ様!」とねぎらいの言葉を送った。


◆「一緒に悩んで山形に行き、悩んで鹿島に戻り…」田代氏が引退発表の増田にメッセージ(ゲキサカ)





2018年10月21日日曜日

◆田代有三が現役引退。「鹿島がなければ、 プロ生活は5年で終わっていた」(Sportiva)



田代有三 Yuzo.Tashiro


田代有三インタビュー(前編)

 オーストラリアに活躍の場を求めて2年。久しぶりに会った田代有三(36歳。ウロンゴン・ウルブス/オーストラリア)は、晴れ晴れとした表情をしていた。2005年に始まった14年にも及ぶプロサッカー選手としてのキャリアを締めくくろうとしているとは思えないほどに、だ。

 田代は2018年10月、現役引退を決めた。そこには、微塵の後悔もなかった――。

「鹿島アントラーズでプロとしてのキャリアをスタートしてからここまで、自分なりにその時々で、自分が考えるベストの選択をしてきました。モンテディオ山形に期限付き移籍をしたときも、鹿島に戻ったときも。初めて、ヴィッセル神戸に完全移籍したときも、海外へのチャレンジを探りながらセレッソ大阪でプレーしたときも。そして、34歳でオーストラリアにわたり、ウロンゴン・ウルブスで過ごした2年間も。

 初めての完全移籍が29歳の時で、以来”移籍”によって、いろんなサッカーや、いろんな人に出会って、その土地ごとに友だちもできて。サッカーだけではなく、自分の人生においてプラスになることばかりだったし、本当に毎日が充実していました。そう考えると、本当にすべての時間が幸せで、人に恵まれた現役生活だったと思います。

 だからこそ、もっと現役を……という考えもゼロではなかったし、ウロンゴン・ウルブスでは自分が希望すれば、もう1年プレーできたので『もう少し続けようかな』と考えたこともあります。でもこの2年間で、引退後にやりたいこと、チャレンジしたいことも見えてきたことで、2シーズン目の終盤には『早く次のキャリアをスタートさせたい』という気持ちが強くなっていた。それなら、現役にはきっぱりケジメをつけよう、と。

 並行して次のキャリアを考えられる人もいるけれど、僕の場合、選手でいるうちはどうしても(そちらに)本気になれない。その性格を考えても、また現役生活を『やり切った』と思える自分がいたからこそ、シーズンが終わる数試合前にクラブのオーナーに引退の意思を伝えて、自分なりにその覚悟を持って残り試合を戦い切りました。今は、本当にすっきりした気持ちです」

 田代のキャリアは2005年、鹿島で始まった。福岡大学在籍当時から『大学ナンバーワンFW』として注目を集め、大学3年生のときには大分トリニータで、4年生のときにはサガン鳥栖のJリーグ特別指定選手となったが、大学を卒業してプロ入りするにあたって彼が選んだチームは、鹿島だった。

「同じFWとして、かねてから(鈴木)隆行さんの泥臭いプレースタイルが好きだったこと。また、大学卒業に際して声を掛けていただいた8クラブのうち、鹿島だけは早々と2年生の頃から声をかけてくださっていたこと。

 そして、当時の鹿島には隆行さんをはじめ、そうそうたる顔ぶれがそろっていて……とくに中盤には(小笠原)満男さん、タクさん(野沢拓也)、モトさん(本山雅志)らがいて、そういう人たちからパスを受けながら、FWでプレーするのは楽しいだろうなって思ったのが(鹿島入りの)決め手でした」

 結果的に、鹿島では2011年まで7年間にわたって在籍し、2007年から始まるJリーグ3連覇をはじめ、天皇杯やナビスコカップ(現ルヴァンカップ)など、数々のタイトルを獲得する。それらすべてが特別な記憶として刻まれているが、それ以上に、鹿島に根付くプロフェッショナルイズムは、彼にとって大きな財産となった。

「僕が鹿島に加入して痛烈に感じたのは、サッカーのうまさはもちろんのこと、選手個々の人間性でした。簡単に言えば、本当に誰もが尊敬できるいい人ばかりで。個性は強かったけど(笑)、いざピッチに立ってサッカーをやるとなれば、全員が鹿島のために自分のすべてを注いだし、オンとオフの切り替えもすごかった。

 だから、たとえば『みんなで飯を食べよう』と誰かが声をかけると、それが急な呼びかけでも、必ず全員が集まる。それぞれ予定があるはずなのに、顔を出さない選手はまずいない。で、みんなでハメを外して楽しみ、でも、練習になると誰も手を抜かないし、全員がいいライバルとしてやりあう。そういう遺伝子が自然に伝統として備わっているというか……。

 その音頭をとってくれるのは、だいたいが満男さん、モトさん、イバさん(新井場徹)、ソガさん(曽ヶ端準)、(中田)浩二さんら”79年組”の人たちでしたが、そのさらに上の先輩選手も、その空気をすごく楽しむし、僕ら後輩は自然と『もっとやらなきゃ』という気持ちにさせられる。

 そういう中で、サッカー選手としても、人間的にも成長できたことが、のちのキャリアにもつながった。もし、違うチームでキャリアをスタートしていたら、僕のプロサッカー人生はきっと5年で終わっていたと思います」

 鹿島で過ごした7年間では、忘れられない記憶が3つある。ひとつはプロ1年目の夏に負った、左膝前十字靭帯断裂の大ケガだ。

 1年目からたくさんのすばらしい”パス”に出会い、点を取る楽しさを実感し始めた矢先のアクシデントで悔しさは募ったが、一方で田代はその時、見慣れない番号からの電話をうれしく受けとめたそうだ。相手は、当時フランスのオリンピック・マルセイユでプレーしていた中田浩二だった。

「僕が鹿島に加入したタイミングで、浩二さんは海外に移籍されていたので面識はまったくなかったんです。なのに、僕がケガをしたと知って、誰かから番号を聞いて電話をくれた。聞けば、浩二さんも2003年に僕と同じケガをしたらしく、その経験を踏まえて『僕と同じルートを辿れば、絶対に大丈夫だから、不安になるな』と。

 結局、僕も浩二さんと同じ先生に手術をしてもらい、そのあとのリハビリも浩二さんがつないでくれて、JISS(国立スポーツ科学センター)で受けられることになった。そのときに『鹿島ってすごいクラブだな』と。

 というのも、見ず知らずの後輩に遠い海外から電話をくれたのは、僕のことを心配する先に、クラブへの愛情があったからだと思うんです。そのことは、強烈に”鹿島アントラーズ”を実感する出来事でした」

 そこから約8カ月後、戦列復帰を果たした田代はプロ2年目の2006年、J1リーグ20試合に出場し、7得点と結果を残す。その活躍は翌年にも続いて、田代はこの年(2007年)、鹿島の6年ぶりとなるJ1リーグ制覇を経験した。

 これが、田代にとってふたつ目の忘れられない出来事であり、「現役生活の中で、一番うれしかったこと」としても刻まれている。

「たくさんのうれしい記憶の中で、プロになって初めてのJ1リーグ優勝は忘れられない、特別な記憶です。しかも、ほとんどの試合で先発して、第26節くらいから勝ち続けて、最終節で逆転優勝ですから。

 その勢いのままに天皇杯でも元日(の決勝)まで突っ走り、どのチームよりも長くサッカーをして、優勝を味わえた。あのうれしさは格別でした」

 そして、3つ目は”3連覇”を遂げた翌年、2010年に山形に期限付き移籍をしながら、2011年には鹿島に戻り、キャリアハイとなるJ1リーグ12ゴールを挙げたことだ。「このままじゃダメになる」という危機感からの期限付き移籍だったが、その翌年、田代は「逃げた自分」を払拭するため鹿島に戻った。

「鹿島では、2008年の途中までレギュラーだったけど、正直、膝の痛みも消えなくて。サブになる時間が増えても、ある意味、納得していました。『このコンディションで、Jリーグで一番強いチームで活躍できるはずがない』と。

 でも、2009年の終盤にかけて、膝の痛みが軽減されたのと並行して調子が上がり、自分はまだ大丈夫だと思えるようになった。それでクラブにお願いして、山形に期限付き移籍をさせてもらい、プロになって初めてふた桁得点を挙げて自信を取り戻すことができた。

 その山形は、僕にとって初めての”東北”で、人の温もりを実感した時間になりましたが、翌年、鹿島に戻ったのは『逃げたまま』で鹿島でのキャリアを終わらせたくなかったから。つまり鹿島には、レベルの高い選手の中で揉まれながら(そこで)レギュラーを獲るために加入したのに、コンディション悪を言い訳に逃げた自分にケリをつけるためでした。

 といっても、最初はサブだったし、東日本大震災も起きてクラブとしても大変なシーズンになったけど、1年を通して『鹿島のために結果を残す』と思い続けながら、12ゴールを挙げられたことは自信になりました」

(つづく)




◆田代有三が現役引退。「鹿島がなければ、 プロ生活は5年で終わっていた」(Sportiva)





◆元日本代表FW田代有三、現役引退を発表「最高なサッカー人生でした」(サッカーキング)



田代有三 Yuzo.Tashiro


 かつて鹿島アントラーズなどで活躍し、現在はオーストラリア2部リーグのウーロンゴン・ウルブスに所属する元日本代表FW田代有三が20日、自身のインスタグラムを更新し、現役引退を発表した。

 田代は「引退報告」というタイトルで自身のインスタグラムを更新し、以下のようにコメントした。

「サッカーを初めて約30年、プロサッカー選手となってからは14年。私、田代有三は引退する事に決めました。サッカーを通して様々な事を学び、様々な人と出会う事が出来、本当に幸せなサッカー人生だったと思います。そのきっかけを与えてくれた兄にも感謝です」

「色々なチームのチームメート、スタッフ、関係者、サポーター。僕にサッカーを教えて頂いた指導者の方々。誰よりも近くでどんな時も見守ってくれた妻、子供達。そして30年間僕のサッカー人生を支えてくれたお父さんお母さん。本当にありがとうございました!最高なサッカー人生でした」

 現在36歳の田代は福岡大学を経て、2005年に鹿島アントラーズへ加入した。2007シーズンから2009シーズンには鹿島のJ1リーグ3連覇に大きく貢献。2008年には日本代表にも招集され、3試合に出場した。2010年にはモンテディオ山形へ期限付き移籍を経験。鹿島に復帰した2011シーズンには自身最多となる12ゴールを記録した。同シーズン限りで鹿島を退団すると、その後はヴィッセル神戸、セレッソ大阪でプレー。2017年にはウーロンゴン・ウルブスに移籍していた。





引退報告 サッカーを始めて約30年、プロサッカー選手となってからは14年。 私、田代 有三は引退する事に決めました。 サッカーを通して様々な事を学び、様々な人と出会う事が出来、本当に幸せなサッカー人生だったと思います。そのきっかけを与えてくれた兄にも感謝です。 色々なチームのチームメート、スタッフ、関係者、サポーター。僕にサッカーを教えて頂いた指導者の方々。誰よりも近くでどんな時も見守ってくれた妻、子供達。そして30年間僕のサッカー人生を支えてくれたお父さんお母さん。本当にありがとうございました! 最高なサッカー人生でした。 最後にサッカー人生の半分以上サポートして頂いたミズノ様。ありがとうございました! プロ通算 365試合 104ゴール SNSでの報告で申し訳ありません。引退についての思いはここでは書ききれないのでスポルティーバで記事をアップして頂きます。 僕のInstagramトップページからご覧下さい。 #石丸小学校 #下山門中学校 #大濠高等学校 #福岡大学 #大分トリニータ #サガン鳥栖 #鹿島アントラーズ #モンテディオ山形 #ヴィッセル神戸 #セレッソ大阪 #wollongongwolves #引退報告 #ありがとうございました #ミズノ #mizuno #田代有三 #yuzotashiro
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2018年4月8日日曜日

◆日豪サッカー新時代(NAT)第92回「咆哮」(日豪プレス)




第92回 咆哮
文・植松久隆 Text: Taka Uematsu


シドニー中心部から、車で南下すること1時間半。風光明媚なNSW州第3の都市ウーロンゴン。この街のクラブ、ウーロンゴン・ウルブズが今、熱い。

3月初旬、FFAとAリーグが正式に「2019/20シーズンからの2クラブ新規参入によるAリーグ拡張」を発表。その瞬間に全豪各地のさまざまなクラブによる誘致活動を通した「2枠」の争奪戦の火蓋が切って落とされた。

その誘致レースの最右翼の1つと目されるのが、地元で「ウルヴズ」と呼ばれ愛されてきたウーロンゴン・ウルヴズだ。ウルヴズには、クラブCEOのクリス・パパコスマスをして「明日、Aリーグに入れと言われればすぐにでも参加できる」と言わしめるように既存のインフラが充実している。

さすがにCEOの豪語は言葉半分で理解するにしても、確かにNSW州のイラワラ地域の雄として、その存在感を発揮してきただけのことはある。すぐ横に太平洋の大海原を抱く全豪でも有数のロケーションを誇るWINスタジアム。地域に根付いたジュニア・育成のシステム、毎回ホーム・ゲームに足を運ぶ熱心なファン・ベース。更なる強みは、シドニーからメルボルンまでの「Aリーグ空白地域」を埋めるにふさわしい地理的要件。経営規模の拡大や更なるスポンサー獲得などの努力課題がないわけではないが、未だに姿形のない他の誘致活動よりは、かなり先んじているのは間違いない。

そして、何よりも、今季のウルヴズを注目の存在たらしめているのが、2人の日本人選手の存在だ。既に本紙にも度々登場しているウルブズの絶対エースFW田代有三(35)に加え、今季は田代の盟友にして、名門鹿島アントラーズが育んだ至宝の1人でもあるMF野沢拓也(36)が加入。3月10日に開幕したばかりの今季のNPLNSW1(NSW州1部)では、2試合を消化して1勝1分とまずまずのスタートを切ったチームで、共に両試合に先発出場。主力としてチームをしっかりと支える。

ウルブズが、最速でのAリーグ切符をつかみ取るのに必要なのは目に見える「結果」。田代には、エースとして勝利に直結するゴールの量産、昨季の10得点以上の結果が期待されるが、中盤に天才MFが控える今季は、より最前線での働きに集中できるので、おのずとゴール数も積み上がってくるはず。2人の日本人の獅子奮迅(ししふんじん)ならぬ狼奮迅の大活躍で狼軍団は何度、勝利の咆哮(ほうこう)を上げられるだろうか。目が離せない。

【うえまつのひとり言】
ようやく、サッカルーズの新体制がスタートした。既に合宿に入ったチームには、Aリーグで活躍する旬の選手が順当に招集された。果たして、欧州での親善試合2連戦(ノルウェー戦24日、コロンビア戦28日、いずれも豪州時間)で、どんな顔ぶれがどんな戦いぶりを見せるのか楽しみだ。


日豪サッカー新時代(NAT)第92回「咆哮」


2018年3月7日水曜日

◆サッカーACL シドニーFC VS鹿島アントラーズ試合プレビュー特別対談(日豪プレス)




アジアにおけるサッカー・クラブ王者を決める大会「アジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)」。頂点を目指し各クラブによる熱戦が繰り広げられている同大会では、現在決勝トーナメントに向けた予選リーグが行われ、グループ・リーグH組の第3節(3月7日)では、昨シーズンのAリーグ王者シドニーFCが国内最多タイトル数を誇るJリーグ屈指の名門・鹿島アントラーズと対戦する。同試合の見どころや両チームの特徴などを、かつて鹿島アントラーズに在籍し現在NSW NPL1のウーロンゴン・ウルブスFCでプレーする田代有三選手とシドニーFCのアカデミーGKコーチ・伊藤瑞希氏による特別対談で伺った。(聞き手・構成=山内亮治)

両チームを物語るもの

――鹿島アントラーズ、シドニーFCそれぞれの特徴を簡単に話すとどのようなものになりますか。

田代有三選手(以下、田代):鹿島はとにかく「勝負強い」のひと言ですね。自分が在籍していた時もそうでしたが、負け試合の展開を勝ち試合に持っていける強さがあり、拮抗した展開でも最後に勝ち切るという試合運びができるチームです。そのため、決勝戦という大きな舞台で負けた記憶はほとんどありませんね。

 こうした勝負強さの秘訣は、普段のトレーニングに向かう姿勢からあり、大学生相手の練習試合などでも一切の手加減がなく負けた記憶がないですね。チーム内の紅白戦でも控え組みのモチベーションが高いので、公式戦と同じくらい激しい試合になります。この姿勢は今もチームに残っているでしょう。



伊藤瑞希氏(以下、伊藤):シドニーFCは2004年にクラブが設立され、Aリーグ開幕初年度の05/06シーズンからリーグに参入しました。Jリーグでもプレー経験があるピエール・リトバルスキー氏が監督になり、三浦知良選手やイングランドの名門、マンチェスター・ユナイテッドでもプレーしたドワイト・ヨーク選手が在籍し、初年度にチームは優勝しました。そこから5年に一度くらいの頻度で優勝を飾っています。

 常に優勝争いに絡むチームではないかもしれませんが、シドニーFCは「常に前進する」という意識を持っているクラブで、特に昨シーズンに関しては、その意識が大きな結果として表れました。リーグ戦では、Aリーグ史上初めてシーズンを通して一度も首位の座を明け渡すことなく優勝。シーズン歴代最高勝利数(20)、最高得失点数(+43)、勝ち点数リーグ歴代最高(66)、失点数は歴代最小(12)で無失点試合数が歴代最高(16)、「完全優勝」と言える結果でした。また、オペラ・ハウスがチーム・エンブレムに描かれていることや、市内中心部から近い場所に本拠地を構えることからシドニーのアイコン的存在としてあり続けているクラブでもあるかと思います。

――両チームの戦術的な特徴、決まったスタイルはありますか。


田代:戦術、スタイルの部分において鹿島の勝負強さの理由は、相手にボールを持たせる時は持たせる、保持する時は保持するといった、状況に合わせて戦い方を選手1人ひとりが判断し実行に移せるところにあります。試合状況に合わせて無理はせず、一方で隙を見逃してはいけない場面ではチーム全体で勝負を掛けるという意識が、ベテランの小笠原満男選手を中心に、チーム全員の中に染みこんでいます。




 私が在籍していた時は、中盤の守備的な位置にいる小笠原選手に加え、GKの曽ヶ端準選手が自分を含めた前線の選手に「ボールを奪いに行け」「無理にボールには行かず、他の選手が奪ったらディフェンス裏のスペースに走れ」と状況を見極めて指示を出してくれていました。後方の選手が全体を見ながら、戦い方を考えるということが試合中に行われていましたね。現在では、かつて鹿島のDFとして活躍していた大岩剛監督が現役時代に経験したことを選手目線に立ち戦術としてチームに落とし込んでいるので、ピッチ内での選手同士のコミュニケーションに加え、外からの指示もチームの強みとなっています。

 攻守の切り替えの速さといった武器もありますが、チームとして意思統一をし、勝負所を見極めてメリハリを付けて戦うということが鹿島はどの試合でもできているため、攻守両面で高いクオリティーが発揮されています。

伊藤:シドニーFCは戦術、スタイルの面で、現代サッカーのスタイルの変化による影響を受けている状況です。現在、Aリーグの多くのチームで、自分たちでボールを保持しゲームの主導権を握ろうとする傾向が顕著です。

 昨シーズンのシドニーFCの得点シーンとして多かったのは、相手のゴール近くでボールを奪い時間を掛けずにシュートまで持っていく「ショート・カウンター」というパターンでした。しかし、今シーズンはエイドリアン・ミエルゼヘフスキ選手が加入し、エース番号の10番を背負うミロス・ニンコビッチ選手と中盤のポジションでボールをキープし、試合の展開を変えられる選手が2人そろっているため試合内容が変わりました。昨シーズンよりも、圧倒的にボールを保持し試合を進める時間と回数が増え、「ポゼッション・スタイル」がより強く打ち出されるようになりました。

――結果を出し続ける両チームにおいて受け継がれている伝統、メンタリティーのようなものはありますか。

田代:選手1人ひとりに「鹿島のユニフォームを着て負けることは許されない」という強いプライドがあります。たとえ練習試合であっても、恥ずかしい結果は残せないという姿勢が入団と同時に植え付けられる感じですね。他のJリーグ・クラブでもプレーしましたが、練習試合などでこのメンタリティーを感じることがありました。他のクラブでは、大学生との練習試合で負けてしまうことが何度かあったのですが、その度に鹿島アントラーズというチームの偉大さを感じました。

 この「勝ちに徹する」というメンタリティーは、先輩からだけでなく、監督・コーチ、そしてスタッフ、クラブ全体から受け継がれるものなんです。

伊藤:鹿島と比較すると、シドニーFCは現在、クラブの伝統を再構築している段階と言えるかもしれません。監督交代を機に、これまでクラブのサッカー・スタイルが何度も変化をしてきました。

 現在のグラハム・アーノルド監督の就任以降は、結果が伴ってきたこともあり、15/16シーズンにアカデミーが創設されるなどユースからトップ・チームまで一貫したビジョンを持ったチーム強化が行われています。そういう意味で、シドニーFCはチームのスタイルを再構築している状況です。具体的に言えば、攻撃ではGKやDFの後方からしっかりとゲームを組み立て、守備ではボールを失った後はできる限り早く奪い返し攻撃に転じるということになります。

「キー・プレーヤー」と「要注意人物」

――3月7日の試合で鍵を握る選手を挙げるとしたら誰になるでしょうか。

田代:やはり、ドイツからJリーグに復帰した内田篤人選手ですね。個人的にも仲が良く、鹿島復帰前も話をしました。本人は「キャリアの最後は鹿島で優勝したい」と言っていて、鹿島はACLの優勝経験がないので、そういう意味でもACLにかける思いは強いはずです。本人は日本代表への復帰とW杯出場を目指しているでしょうから、そういうことも含め注目しています。

伊藤:シドニーFCの注目選手には、多くの有名選手がいる中でも、個人的に注目している3人を挙げたいと思います。

 まず、Aリーグ・シーズン最多ゴールの記録を更新中のブラジル出身のボボ選手。彼は、足が特別に速いわけでも得点パターンが多彩なわけでもないですが、ペナルティー・エリア内での勝負強さ、決定力の高さが特徴です。次に、中盤のキー・プレイヤーの1人である、元ポーランド代表のエイドリアン選手。「ファンタジスタ」と呼ばれる創造性溢れるプレーが特徴でオーストラリアのサッカーでは珍しい存在です。ボールを持つと観ている側が意表を突かれる意外性のあるプレーをするので、試合中は彼にボールが渡ることを思わず期待してしまいます。最後は、CBのアレックス・ウィルキンソン選手。元豪州代表で30歳を超えベテランの域にいるので経験も豊富です。スピードの不足はあるかもしれませんが、的確なポジション取りで弱点をカバーします。クレバーさが強みの守備の要です。

――それぞれのチームに「要注意人物」を挙げるとしたら誰になりますか。

田代:ブラジル人FWのペドロ・ジュニオール選手ですね。ヴィッセル神戸在籍時に一緒にプレーしましたが、彼はとにかく足の速い選手です。ドリブルもスプリントも両方にスピードがあります。GKと1対1になる場面など、相手GKが届くと思うタイミングより先にボールに触り無人のゴールに流し込むといったシーンがよくあります。トラップが流れてボールが自分から離れても、彼が先にボールに触れるだけのスピードがあるのでボールを奪うことも簡単ではありません。スコアレスの拮抗した試合で途中出場するような展開になれば、シドニーFCにとっては要注意になるでしょう。

伊藤:やはり攻撃の選手で、FWのボボ選手を挙げたいところですが、彼にとってのパスの供給源となるエイドリアン選手こそ要注意と言えるかもしれません。彼のように前線にボールを運び、パスを供給する選手がいなければストライカーも実力を発揮できません。既に言った通り、エイドリアン選手は独特なサッカー・センスで意外性のあるプレーをします。味方のFWにはパスの受け甲斐がある頼もしい存在だと思いますが、鹿島にとってはトラブル・メーカーであって欲しいですね。

マッチ・プレビュー

――試合の展開はどう予想しますか。

田代:もし、シドニーFCがボールを回す自分たちのチーム・スタイルに固執するようであれば、鹿島が試合のペースを握るかもしれません。シドニーFCがボールを自分たちで保持しようとすれば、Aリーグでもなかなか経験のないような素早いプレッシングで対抗するはずです。そうした前線からの速いプレス、そして守から攻への切り替えのスピードは日本人選手の優れた部分なんです。そのような良さが出る場面が多くなるとシドニーFCの苦戦は必然的なものになります。

 一方で、シドニーFCの中盤のキー・プレーヤーにボールがうまく供給され、彼らが相手ゴールに向かってプレーできる場面が多くなるようであれば、鹿島にとっては危険な展開になるでしょう。また、1対1で選手同士がマッチ・アップする、フィジカルの強さが求められる局面が多くなるようであれば、そこはシドニーFCの方に分があるので鹿島は苦しくなります。鹿島はそうならないように、攻守両面でフィジカルの勝負に持ち込ませないような、組織としてのプレーを増やす工夫が求めれれるようになるでしょう。

伊藤:田代さんが指摘したように、どちらがボールを保持しようとするかで試合展開は大きく違ったものになりそうです。中盤の要であるニンコビッチ選手とエイドリアン選手にボールが渡る場面が多くなればシドニーFCにとって攻撃のリズムが生まれ試合のペースを握ることができると思います。どちらがボールを保持するにせよ、シドニーFCは攻撃面でこの両選手をいかにうまくプレーさせるかが1つのキー・ポイントですね。

 もう1つ、左サイドのDFのマイケル・ズッロ選手も試合展開を左右する1人になるかもしれません。同選手は、170cmと小柄ですがスピードに乗った攻撃参加が魅力のプレーヤーで、鹿島の右サイドに内田選手が出場するのであればマッチ・アップすることになり、攻撃に特徴のある2人のDFのサイド・ラインでの攻防も試合全体を通した時に大きなポイントになるかもしれませんね。

――注目の選手たちがどう活躍するか、そして両チームの持ち味が試合で実際にどう出るか非常に楽しみです。本日はありがとうございました。

(2月8日、シドニー・アリアンツ・スタジアムで)


サッカーACL シドニーFC VS鹿島アントラーズ試合プレビュー特別対談






2018年2月19日月曜日

◆野沢拓也と田代有三、豪州でホットライン復活。二人三脚で上るAリーグへの階段(フットボールチャンネル)


オーストラリアの地で常勝・鹿島アントラーズを支えたコンビが再会した。昨年から田代有三がプレーしていた2部相当のウーロンゴン・ウルヴズに、ベガルタ仙台を退団してフリーになっていた野沢拓也の加入が決まった。将来のAリーグ参入を目論む古豪の命運は2人の日本人が握っている。(取材・文:植松久隆【オーストラリア】)

野沢拓也が豪州へ。36歳で決意の海外挑戦



 2月15日11時、快晴のウーロンゴン・ウルヴズ(NPLNSW1・NSW州1部/豪州2部相当)の本拠地WINスタジアムには、現地のメディアが集った。彼らのお目当ては、ウルヴズがこの日獲得を正式に発表する新外国人「タクヤ・ノザワ」である。

 1999年にデビュー以来、19年連続J1でプレーし、鹿島アントラーズの5度のJリーグ制覇に貢献したJ1通算384試合出場70得点を誇る至宝、野沢拓也、その人だ。公式戦では2001年から実に17年連続、J1リーグ戦に限っても14年連続で得点を決め続けたレジェンドの豪州上陸が、遂にオフィシャルになった。

 お披露目の場に臨んだ野沢には、適度な緊張と正式契約を交わしての安どがあいまった表情が浮かんでいた。その姿を、隣で目を細めて見守るのが、野沢の1学年下の後輩で鹿島、神戸を通じて7シーズンに渡ってチームメートとしてしのぎを削ってきたFW田代有三。盟友・野沢の加入で、神戸時代の12年以来となるホットラインが、豪州、しかもウーロンゴンの地で“再開通”することになるとは、当の本人たちをはじめ、いったい誰が予想しただろうか。

 3年半在籍した仙台を退団後、つい最近までその動向が知れていなかった野沢だが、昨季ウーロンゴンでプレーした後輩の強い勧めもあって海を渡ることを決めた。いくつかのオファーのどれかを選んでJリーグでさらなる金字塔を打ち立てる可能性も捨て置いて、36歳での海外挑戦となる決意の来豪だった。

 ここで、少し時計の針を戻そう。

 2月10日、ブリスベン。抜けるような青空とじめっとした湿気。典型的な亜熱帯気候の夏の日の昼過ぎ、野沢と田代はブリスベン空港に降り立った。開幕に向けてのトレーニングを進めるチームが、当地でキャンプを張る中国2部・武漢卓爾の練習試合の相手として招へいされ、昨季の主力の田代、契約前提で練習参加している野沢の2人が帯同してきたのだ。

 田代は昨年の経験から豪州の気候には慣れているだろうが、野沢は滞在わずか5日目。日本からやってきたばかりの身には、40度近くになる豪州の夏と日本の冬の気温差は知らず知らずのうちにボディブローとして効いていたに違いない。しかも、2人は共に実戦からかなり遠ざかっていたこともあり、そのコンディションは参考外とも言える状況だった。

「引退するかどうかまで含めて色々と考えた」(野沢)

 ウーロンゴン側に許可を貰い、関係者だけの閑散としたスタジアムで非公開の練習試合を取材することができた。主催の武漢側の公式な許可を取っていないので、試合の詳細は書かないが、元浦和レッズのラファエル・シルバ擁する武漢は歴戦の強者である2人が素直にその実力を認めるほどの完成度。

「はっきり言って、Aリーグに入っても充分にやれるレベル。全く穴が無い良いチーム」(田代)という相手に、ウーロンゴンはチームとして厳然たる実力の差を見せつけられた。2人がプレーした前半だけで4失点。コンディションが整っていない2人は、ともに決定的な仕事をできずに前半で交代。残念ながら、野沢の「豪州デビュー」は到底本人が納得するレベルのものとはならなかった。

 試合直後の野沢は、不満そうな表情を浮かべて、「いや、何もできなかった。ボールも出てこないし…」と何度も頭を捻った。オフ明け初戦、しかも合流直後の試合というシチュエーションでも、自分のパフォーマンスだけでなくチームとしての結果にも納得がいかないのは、長年常勝・鹿島の屋台骨を支えてきたプライドのなせる業だろうか。

「外国人枠の選手なのだから、こんな状況下でも違いを見せつけなきゃいけなかった」と反省しきりの先輩を「開幕前のこの段階で、これだけのレベルのチームとやれたことに意味があるし、これからうち(ウーロンゴン)も上がっていけば、すぐにタクさんにボールを集めなきゃいけないというのは、他の選手もすぐに分かりますよ」と後輩の田代がしっかりフォローする。

 一旦宿舎に戻った2人と日本人経営の地元の焼き肉店で合流して、さらに話を聞くことができた。

「本当の話、(仙台を退団した後)それこそ引退するかどうかまで含めて色々と考えた。Jリーグでは、今までのキャリアで『ある程度、やり遂げた』って気持ちもあったし、もしまだチャレンジするなら他(海外)でって気持ちもあった。そんな時に、今回の(田代)有三の誘いがあって、彼がそれだけいいって言うなら、思い切って挑戦してみようかなって気持ちになった」

 田代はそう語る野沢の横顔を眺めながら頷く。

「とにかく、このクラブが勝つためには、僕が取れるだけの点を取らなきゃいけない。そのためのパスの安定供給源が何としても必要だった。そう思った時に、僕の中ではタクさん(野沢)しか考えられなかった」

田代が直談判。クラブ首脳陣を動かした野沢への強い思い

田代有三

 そう思ってからの田代の行動は、かなり思い切ったものだった。

「会長とCEOに直談判です。タクさんがどれだけすごい選手かを必死に伝えて。最後には『ユウゾウが言うならば』とプレービデオなんかも確認しないで契約前提の練習参加を決めてくれた」

 実は、筆者は偶然にも「野沢、豪州2部相当に移籍か」との報道が流れる1週間ほど前、ウーロンゴン・ウルヴズを現地で取材していた。その時、一時帰国中の田代とは行き違ったのだが、取材に応じてくれた現場の総責任者であるクリス・パパコスマスは「ここで話した以外にも、すごい話が近いうちに聞こえてくるから楽しみにしておくといいよ」と今思えば、かなり思わせぶりな言葉を残していた。

 待ち合わせ場所からスタジアムまで向かう車中でもクリスからは「ユウゾウがいた頃の鹿島は強かったのか。どんなチームだった?」と質問攻め。その時は、ウルヴズでプレーする田代がどれだけすごい選手だったか知りたいのだろうくらいに思っていたが、それだけではなかった。

 彼は「野沢拓也」の存在の大きさを筆者に逆取材を試みていたのだ。「小笠原満男、本山雅志、柳沢敦、鈴木隆行」といった鹿島の名だたるレジェンドの名前と共に、筆者は確かに「野沢拓也」の名前も出した。残念ながら、その時にクリスがどんな表情をしたかは、ハンドルを握って進行方向を直視していたので見ることができなかったが。

 ブリスベンでの夜に話を戻そう。

「タクさんが、こうやってメディアの人と話しているのも、すごいことなんですよ」

 田代が言うには、野沢は日本のフットボールメディアでは「なかなか話さない選手」として有名だったらしい。豪州を根城にする筆者はそんなことも知らずに、ずけずけと聞きたいことを聞いた。確かに、この日を前にリサーチしようとインターネットで過去記事を漁っても、これだけの実績を持つ選手にしては意外なくらいにメディアでの露出が少ないという印象はあった。

 野沢は決して能弁ではないが、こちらが真摯に尋ねれば訥々と語ってくれる。鹿島ユース出身で鹿島と共にキャリアを高めてきた野沢は、古巣にもきちんと今回の挑戦に関しての報告をしてから海を渡ってきた。

「ここ(ウーロンゴン)に来ると決めてから、鹿島にも挨拶に行った。満さん(鈴木満強化部長)や(小笠原)満男さんも、快く送り出してくれた。やっぱりそういう人の期待に応えなきゃいけないし、この1年、精いっぱいやって結果を出して、何とかウーロンゴンの力になりたい」

 そんな古巣について語る野沢の口調には熱がこもっていた。それは、今も彼の心の底にある「鹿島愛」なのだろうか。

目標はAリーグ参入。2人の日本人が背負う重責

野沢拓也

 その鹿島は3月7日に行われるAFCチャンピオンズリーグのアウェイでのシドニーFC戦のため豪州へやってくる。

「いや、監督には開幕直前で練習だから(観戦に行くのは)ダメって言われてます。でもね、それまでに僕とタクさんがきっちり仕上げて違いを出せてれば、『いいよ、行ってきて』ってなるんじゃないかな(笑)」と田代は屈託なく笑う。

 遠征してくる鹿島の選手、スタッフ、サポーター達は遠征先のアウェイのスタジアムに2人のクラブの功労者の姿を見つけた時に何を思うのだろうか。見てみたい光景ではある。

 とはいえ、2人にとって勝負のシーズンだけに、クラブ最優先は当然のこと。かつての全国リーグ(NSL)を連覇するなど輝かしい実績を誇るウーロンゴンは、直近で2019/20シーズンにも実現するとされるAリーグの拡張に向け、新規参入の有力候補となっている。

 その立場をより強固にするには、今季のNPL(地域リーグ)で目に見えた結果を残すことが喫緊の課題。最短でのAリーグ入りを目指すロードマップを着実に進めるには、是が非でも結果が欲しい。そんな大事なシーズンの「外国人枠」を2つとも日本人選手に託したウーロンゴンと、託された2人の元Jリーガーは、言うまでもなく一蓮托生。ウーロンゴンの躍進には、“ジャパニーズ・コネクション”の大爆発は何にもまして必要なのだ。

 田代は冗談めかして言う。

「当然ながら、タクさんのアシストで僕が決めるってのはすごく多いんですけどね、逆に僕がアシストして、タクさん(が得点)ってパターンも結構あるんですよ(笑)」

 野沢も負けていない。

「有三は、セットプレーの時とか『ここに蹴って』って自分の頭の周りを指で指すこともあったけど、そんなのもう相手にバレバレ(笑)。それでもそこに蹴れば、なんとかしてくれるってことは多かった。確かに有三から僕ってパターンも結構あった」

 ピッチ外での掛け合い同様、2人合わせて71歳のベテラン2人の息の合ったコンビネーションがピッチ上で観られれば、NPLレベルではそうそう止められまい。攻撃陣には2人以外にもなかなか面白い選手を抱えるウーロンゴンだけに、DF陣の頑張り次第ではNPLの優勝争いに絡んできても驚かない。

 古巣鹿島にもつながる赤いユニフォームをまとう2人が、1回でも多く相手ゴールを陥れることができれば、ウーロンゴンの成績もおのずと上がっていくに違いない。

 野沢拓也と田代有三、ウーロンゴンが誇る2頭の“ニホンオオカミ”の大暴れを期待したい。半年後、彼らがどのように充実したシーズンを振り返るのか。そして、その視線の先に何を捉えるのだろうかーー興味は尽きない。

(取材・文:植松久隆【オーストラリア】)

【了】


野沢拓也と田代有三、豪州でホットライン復活。二人三脚で上るAリーグへの階段




2018年2月16日金曜日

◆鹿島で5度J制覇のMF野沢拓也、豪州2部移籍決定「トロフィーを掲げるために来た」(フットボールチャンネル)





 既報通り、豪州入りしてウーロンゴン・ウルヴズ(NSW州1部・豪州2部相当)に練習参加していたMF野沢拓也(36)の正式入団が15日、クラブの公式リリースにより発表された。

 現地時間15日の午前11時(日本時間午前9時)、野沢は同僚となるFW田代有三(35)を伴い、に本拠地WINスタジアムでの公式記者会見に臨んだ。

 来豪まもない野沢は、少しずつ新しいクラブと環境に慣れている段階ながら、その新しい挑戦に対しての目的意識は明確だ。「ウルヴズ、そして田代有三と共にプレーするためにここに来ました。当然、勝つために、もっと多くのトロフィーを掲げるために来ました。自分もベストを尽くすので、今年はクラブにとって必ず成功する年になるはず」と力強く決意を語る。

 足掛け19年に及ぶJ1のキャリアで、鹿島アントラーズの主力として5度のリーグ優勝に大きく貢献してきた天才MFが、新天地豪州での新たなチャレンジに挑む。数あるオファーの中から、後輩・田代有三とのプレーを望んで、36歳にして海を渡ることを決意した野沢には、既に大きな期待が掛かっている。

 ウーロンゴンを率いるジェイコブ・ティムパノ監督は野沢獲得に今季の躍進の手ごたえを語る。

「既にベースのあるチームに、タクヤのようなアジア有数の高いレベルで長くやってきた経験豊富な選手が加わることは素晴らしい。彼の加入で間違いなく攻撃力はアップ、様々な攻撃的なオプションが考えられるようになるのは、チームにとって非常に大きい。彼は、すぐにチームに馴染んで、クラブの人気者になると確信している」

 自ら望んだ攻撃のパートナーを得た田代も、嬉しさを隠さない。

「タクさんとはとても近い仲だし、ウルヴズがどれだけ素晴らしいクラブで、ウーロンゴンの素晴らしい環境も含めてずっと話をしていた。そして今、彼がここにいて、このクラブでプレーするのが現実となったことを喜んでいます。昨季もプレーをしているので、僕自身はより快適にプレーできるはずだし、そこにタクさんの存在が加われば、もっと気持ちよくプレーできる。お互いをよく知っているからこそ、間違いなく良いプレーを見せられる」

 ウーロンゴンのクリス・パパコスマスCEOは、「ウーロンゴン・ウルヴズは今や、野沢のような選手に興味を持たれるだけではなく、実際に契約に至るようなレベルのクラブとなった。新体制になってから1年で執行部は素晴らしい仕事をしてきたし、来るシーズンで目に見えた結果を出して、近い将来のAリーグ拡張における参入争いで明確な存在感を出し続けていきたい」と、ウルヴズの明るい未来を強調する。

 クラブ今後、公式フェイスブックページで田代、野沢両選手の日常的な動向を発信していくという。異国の地での挑戦を決断したファンタジスタの動向から目が離せない。

(取材・文:植松久隆【オーストラリア】)

【了】


鹿島で5度J制覇のMF野沢拓也、豪州2部移籍決定「トロフィーを掲げるために来た」


2018年2月9日金曜日

◆仙台退団のMF野沢拓也 オーストラリアでプレーする見通しに(スポニチ)



 昨季限りでJ1仙台を退団したMF野沢拓也(36)が、オーストラリアでプレーする見通しとなった。

 オーストラリア紙のイラワラ・マーキュリー(電子版)は8日、2部相当のナショナルプレミアリーグに所属するウーロンゴン・ウルブスが野沢と契約間近と報道。クラブはAリーグ加盟を目指して強化を進めており、鹿島で5度のJリーグ優勝に貢献した野沢の経験に大きな期待を寄せているという。早ければ10日に地元で、元浦和のFWラファエル・シルバ(25)が加入した中国2部武漢との親善試合で“デビュー”する可能性がある。ウルブスには昨年から野沢と鹿島で同僚だったFW田代有三(35)が所属している。

 1980年創設のウーロンゴン・ウルブスは、オーストラリア南東のニューサウスウェールズ州ウーロンゴンが本拠地。昨季は地区12チーム中6位だった。2部相当のナショナルプレミアリーグと、1部にあたるAリーグはそれぞれ独立しており、昇格、降格はない。ただし、Aリーグは19〜20年に少なくとも2チームのエクスパンション(チーム拡張)を行う見通しで、ウルブスは地元メディアで有力候補と報じられている。

仙台退団のMF野沢拓也 オーストラリアでプレーする見通しに

田代有三 - Instagram写真(インスタグラム)「報告です。 ウーロンゴンウルブズと言うチームと正式に契約する事が出来ました。 契約までの流れは思ったより時間もかかったしやはりこの歳での移籍は色々と大変な事も多いのだと実感しました。 この移籍にともない様々な人の助けによって実現出来ました。本当に関わって頂いた皆様には感謝感謝です。。 環境も気候もいいオーストラリアに移籍出来てとても幸せです。  オーストラリア2部ですが来年にAリーグ入りを目指しているチームです。その為に全力で頑張ります。 まずは僕の夢のスタートラインに立てました。 ここからは自分次第。 早速3月11日に開幕です⚽️ #wollongongwolves #ウーロンゴンウルブズ #Australia #オーストラリア #シドニーから80キロ #田代有三 #yuzotashiro #背番号30」3月7日 13時39分

2017年3月8日水曜日

◆C大阪退団の元代表FW田代有三、豪州2部へ移籍…鹿島などでプレーの34歳(サッカーキング)


田代有三

 オーストラリア2部相当のナショナル・プレミアリーグ・ニューサウスウェールズ州地区に所属するウーロンゴン・ウルブスは6日、元日本代表FW田代有三が加入することが決まったと発表した。

 ウーロンゴン・ウルブスはクラブ公式フェイスブックにて、田代の加入を発表。同選手が2017シーズンのリーグ戦に出場すると伝え、国際Aマッチ3試合の出場経験を持っていること、Jリーグで約200試合出場の実績があることなどを紹介している。

 自身初の海外移籍となる田代は、ウーロンゴン・ウルブス加入にあたって以下のようにコメントしている。

「素晴らしいキャリアを送り、次の大きなチャレンジを探していました。自分はオーストラリアでプレーしたことがなく、この国や人々の素晴らしさを聞いていたので、ここで経験したいと思いました。ベストを尽くし、できる限りこのチームを助けたいと思っています。その時が待ち切れないです」

 田代は1982年生まれの34歳。福岡大学出身で、2004年に鹿島アントラーズに加入した。2010シーズンにはモンテディオ山形への期限付き移籍を経験し、J1で10ゴールを記録。鹿島に復帰した2011シーズンには自己最多となるリーグ戦12ゴールを挙げた。

 2012年にヴィッセル神戸へ移籍した田代は、2015年1月に同クラブとの契約満了。同年3月にセレッソ大阪へ加入し、昨季までプレーした。昨年12月7日、契約満了により、C大阪退団が決定していた。

https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20170307/559826.html

2017年2月23日木曜日

◆元日本代表のイケメンFW、浦和のACLをアウェイ観戦だ!一体なぜ?(Qoly)




21日に開幕した、AFCチャンピオンズリーグのグループステージ第1節。

日本勢として最初に試合を行った浦和レッズは、ウェスタンシドニー・ワンダラーズのホームに乗り込み0-4の完勝を収めた。

鹿島アントラーズとのフジゼロックス・スーパーカップから中2日ということで、コンディションも心配された浦和。

前半こそゴールを割ることができなかったが、56分からの12分間で3得点を立て続けに奪うと、新加入のラファエル・シルバも初ゴールをマークし、懸念の初戦をモノにした。

そんなこの試合はオーストラリアのシドニーで開催されたのだが、観客席には元日本代表選手の姿があった。

田代は2015年からセレッソ大阪に在籍し、昨年末に退団が発表に。

その後新天地を探していたのだが、オーストラリア2部サウス・コースト・ウォルヴスへの加入が目前であるそうだ。公式発表はまだであるが、クラブ公式が「田代の加入が迫っている」という旨の記事を紹介しており、興梠との写真もクラブがアップしたものである。

サウス・コースト・ウォルヴスは、オーストラリア南東部に位置するウロンゴンをホームとするチーム。

http://qoly.jp/2017/02/22/urawa-reds-20170222-kwm-1?part=1

2016年12月7日水曜日

◆C大阪FW田代が契約満了「セレッソはまだまだ強くならないといけない」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?204871-204871-fl

 J1復帰を決めたセレッソ大阪は7日、FW田代有三(34)と契約満了に伴い、来季の契約を結ばないことを発表した。田代は2015年にC大阪へ移籍。加入1年目はリーグ戦22試合に出場して6得点を記録したが、今季は6試合2得点にとどまっていた。

 田代はクラブ公式サイトを通じ、次のようにコメントしている。

「まず始めに、セレッソ大阪のサポーターの皆さまJ1昇格おめでとうございます。この昇格の瞬間をスタジアムで共に味わえた事をとても嬉しく思います。私、田代有三は今年でセレッソ大阪を去る事になりました。約2年間という短い期間でしたがセレッソ大阪でプレーする事が出来て、とても幸せな時間でした。良い時も悪い時も、そして怪我の時はサポーターの皆さまに励まされながらたくさんの応援をしていただき、セレッソ大阪の事がとても大好きになりました」

「セレッソ大阪はまだまだ強くならないといけないクラブだと思います。日本を代表するクラブとなり、そして世界にも誇れるクラブに成長していく事を願っています。そしてこれから先の未来、満開の桜をJ1の舞台で必ず咲かせて下さい!そして最後に、選手、スタッフ、関わっていただいた方々には本当に感謝しています。ありがとうございました」

 田代は約2年間在籍したクラブに感謝の想いを伝え、来季J1での躍進を期待した。

以下、クラブ発表プロフィール

●FW田代有三
(たしろ・ゆうぞう)
■生年月日
1982年7月22日(34歳)
■身長/体重
181cm/77kg
■出身地
福岡県
■経歴
下山門中-福岡大附大濠高-福岡大-大分(特別指定選手)-鳥栖(特別指定選手)-鹿島-山形-鹿島-神戸-C大阪
■出場歴
J1リーグ:175試合48得点
J2リーグ:73試合17得点
J3リーグ:1試合
カップ戦:37試合10得点
天皇杯:22試合9得点
ACL:14試合6得点

2016年11月13日日曜日

◆田代が今季2得点目!C大阪 蛍ら不在も2連勝で4位確定(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/13/kiji/K20161113013712830.html

明治安田生命J2第41節  C大阪2―1東京V (11月12日  味スタ)

 リーグ4位のJ2C大阪はFW田代有三(34)のゴールなどで東京Vに2―1と勝利し4位を確定させた。 

 苦しみながら2連勝を飾ったC大阪が、1試合を残して4位を確定させた。前半1分にMFソウザがミドルシュートを沈めて先制すると、その後は押し込まれたものの、後半29分には約4カ月ぶりに戦列復帰した元日本代表FW田代が今季2得点目。韓国代表GK金鎮鉉(キムジンヒョン)と日本代表MF山口を欠く中、反撃を1点でしのぎきり、大熊清監督は「よく勝ちきってくれた」と選手を称えた。

 昨季と同じ4位で臨む昇格プレーオフに向け、この試合ではFW柿谷が約5カ月ぶりとなるフル出場。今季J2初出場となったMF秋山も守備面で積極性を発揮するなど、選手層が厚くなりチーム状態は上向きつつある。「昨年みたいな悔しい思いはしたくないし、勝てるように準備していきたい」と田代。2年連続のプレーオフへしっかり準備を進めていく。

2016年11月6日日曜日

◆C大阪 柿谷&田代が愛媛戦でメンバー入りへ!指揮官も期待寄せる(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/06/kiji/K20161106013669850.html

明治安田生命J2第40節  C大阪―愛媛 (11月5日  金鳥ス)

ミニゲームの紅白戦で途中から主力組に入ったC大阪のFW柿谷

 J2C大阪は6日の愛媛戦(金鳥ス)で、FW柿谷が約5カ月ぶり、FW田代が約4カ月ぶりにメンバー入りすることになった。 

 5日に大阪市此花区で最終調整。ミニゲームの紅白戦で途中から主力組に入り、2人で2トップも形成した。右足首手術から戦列復帰した柿谷が「頑張ります」と言葉に力を込めれば、度重なる負傷に悩まされた田代も「いい準備をしてきた。攻撃に変化をつけたい」と抱負を語った。

 現在4位で自動昇格は絶望的ながら、昇格プレーオフへと勢いをつけるためにも、残り3試合は重要。大熊清監督は「主導権を握ってても点を取りきれないところがあったけど、そこで取りきれる能力がある」と期待を寄せた。

2016年3月21日月曜日

◆【C大阪】田代のロスタイム弾で開幕4連勝、首位を堅守(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160320-OHT1T50224.html


 ◆J2第4節 C大阪1―0山形(20日・NDソフトスタジアム山形)

 J2C大阪はアウェーで山形を下し、開幕4連勝で首位を堅守した。4戦すべて1―0のスコアで完封勝ち。前節まで3連勝で並んでいた熊本が北九州と引き分けたため、勝ち点12で単独トップに躍り出た。

 0―0の後半32分、1点がほしい大熊清監督(51)は、FW田代有三(33)を投入。古巣のピッチに立った元日本代表FWは終了間際のロスタイム、敵陣ペナルティーエリア内でMFソウザからのパスをトラップすると、冷静に左足で決勝弾。「チャンスをもらった時に結果を出せるように、と準備していた。この土地(山形)は思い入れもあり、自分を成長させてくれたクラブ。6年たっても覚えてくれているのはうれしい」と鹿島時代の2010年に1シーズンだけ期限付き移籍した東北の地で、見事な恩返し弾を決めた。

 大熊監督は「田代は(17日にサブ組で1得点1アシストした)紅白戦から出来が良かったので、迷いなく送り込めた。落ち着いて決めてくれた」と感謝。「思い切った交代ができるのも、ボランチを含めた安定した守備があるから。チーム一丸となって取った勝ち点3だ」と4戦連続完封の守備陣もたたえた。

◆C大阪4連勝!田代恩返し弾「思い入れある」J2(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1619497.html

<明治安田生命J2:山形0-1C大阪>◇第4節◇20日◇NDスタ

 C大阪が開幕4連勝を飾り、単独首位に立った。0-0の後半45分、途中出場のFW田代有三(33)がMFソウザのパスを左足で決めた。10年に所属していた古巣山形への恩返し弾で勝利へ導いた。これでC大阪は開幕から4試合連続完封勝利となった。

 田代は「ソウザがよく見てくれていた。トラップして、すぐにコースを狙って打とうと思った。そうしたら、うまく決まった。この土地には思い入れもあるし、成長させてくれたクラブ。違うクラブに行っても、こうしてピッチに立って声援ももらった。選手にとってはうれしいこと」と笑顔で話した。

 勝利の立役者となったベテランFWは、開幕してから2試合がベンチ外。苦しい中、練習でアピールを続けていた。

 大熊清監督(51)は「田代やその他の選手についても、紅白戦の出来や調子が良かったので、ちゅうちょなく送り込めた。それでも、なかなか(練習での調子の良さを)得点で表すのは難しい。田代は落ち着いてよく決めてくれた」と評価。

 田代自身も「本当は開幕に合わせて(コンディションを上げて)いきたかったけど、今年は選手も変わった中で、チャンスが来た時に結果を出せる準備をしようと思って練習から取り組んでいた」とうなずいた。

 無失点に貢献したDF茂庭照幸(34)は「攻撃陣があれだけ守備をしてくれれば、後ろは絶対に(失点)ゼロで抑えないといけない気持ちにもなる。どんな相手に対してもしっかりと戦えて勝ち切れているという意味では、チーム力は上がっている」と守備力の向上において手応えを口にした。

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