日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年1月3日水曜日

◆“元日蹴り初め”の恩恵…? 開始2分の決勝弾にMF二瓶優大「コーチと練習していた形」と驚き(サッカーキング)




[1.2 全国高校選手権2回戦 明秀日立高1-0星稜高 オリプリ]

 2018年の“蹴り初め”は大舞台に臨むトレーニング、そこでの特訓が早くも結実した。明秀日立高FW二瓶優大(2年)は星稜高戦の開始直後、左サイドからのボールを受けて、矢のような弾丸シュートで決勝点を奪取。ゴールに至る過程は、まさに前日の午後に練習していた形と同じものだった。

 左サイドからの浮き球を受け、胸トラップで振り向いて、ボレーで突き刺す――。仁瓶は1日午後のトレーニング終了後、小野宗周コーチとそんなシュート練習を行っていたという。「シュートが結果に出る」。県予選から無失点を続けているチームにあって、決定力こそが勝敗を分けると確信していた。

 そんな元日特訓の姿をサッカーの神様も見ていてくれたのか、前半早々に“福”が降りてきた。MF及川央泰(2年)のスローインをDF宗像隆人(3年)がつなぎ、PA近く左寄りで前を向いた仁瓶が左足を一閃。真っ直ぐな弾道を描いたボールはGKの手先をすり抜け、見事にゴール右隅に突き刺さった。

「練習の成果が出て良かった」。試合後、取材陣に囲まれた仁瓶は照れ笑いを浮かべながらゴールを振り返った。「たまに怖い時もあります」(仁瓶)という小野コーチにとっても会心の一撃となったようで、途中交代でピッチを後にした際には、「ナイスプレー!」と声をかけてくれたといい、がっちりと握手をかわす姿があった。

 また、得点後は前線で「前半から100%使い切るくらいと言われている」という激しいプレッシングを披露。「スピードをうまく調整して、トラップした瞬間を目がけて行く」という狙いも光り、相手の攻撃の組み立てを寸断する場面が何度も見られ、守備でもチームに貢献した。

 この勝利によって、目標としていたベスト8まであと1勝。「決勝戦と位置づけている」(萬場努監督)という大阪桐蔭高戦は連戦で行われるため、ハードワークによる消耗も懸念されるが、殊勲者の背番号11は「チームのために全力を出して、勝つための得点を決めたい」と連発を誓っていた。

(写真協力『高校サッカー年鑑』)

(取材・文 竹内達也)

“元日蹴り初め”の恩恵…? 開始2分の決勝弾にMF二瓶優大「コーチと練習していた形」と驚き

◆内田篤人 鹿島復帰決定 約7年半ぶり(スポニチ)




 ドイツ2部ウニオン・ベルリンは2日、DF内田篤人(29)が古巣の鹿島に復帰すると発表した。内田にとっては10年7月にシャルケに移籍して以来、約7年半ぶりの鹿島&Jリーグ復帰となる。

 内田は清水東高から06年に鹿島入り。当時のパウロ・アウトゥオリ監督に見いだされ、高卒1年目で開幕スタメン出場を果たすと、その後も不動の右サイドバックとして成長。07年からは史上初のリーグ3連覇に貢献した。

 出場なしに終わった10年W杯南アフリカ大会後には、ドイツの強豪シャルケに移籍。1年目の10〜11年シーズンに欧州チャンピオンズリーグでベスト4入りに貢献するなど活躍を見せ、昨年まで7シーズンに渡り公式戦152試合に出場。ザックジャパンで臨んだ14年W杯ブラジル大会への出場を果たした。

 15年3月に右膝蓋腱を痛めてメスを入れ、その後はデリケートなケガゆえに長いリハビリ生活を強いられた。完全復活を目指し今夏にはシャルケを離れ、ドイツ2部ウニオン・ベルリン移籍を決断。思うような出場機会を得られなかったが、今夏にも復帰に向け動いていた鹿島が鹿島イズムを継承できる存在として正式オファー。クラブ間で合意して移籍が決まった。

 甘いマスクで絶大な人気を誇るだけに鹿島ファンだけでなく、日本サッカー界全体にとっても内田のJリーグ復帰は大きな話題を呼びそうだ。

 ◆内田篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県生まれの29歳。清水東高から2006年に鹿島入りし、07〜09年のリーグ3連覇に貢献。08、09年にはJリーグのベストイレブンに選出されるなどJ1通算124試合に出場して3得点をマークした。10年7月、ドイツ1部シャルケに完全移籍。17年8月に1年契約でドイツ2部ウニオン・ベルリンに移籍。ブンデスリーガ通算104試合1得点、ドイツ2部通算2試合0得点。日本代表として10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会と2度のワールドカップ(W杯)に出場するなど国際Aマッチ通算74試合に出場して2得点。08年の北京五輪にも出場した。身長1メートル76、体重67キロ。利き足は右。


内田篤人 鹿島復帰決定 約7年半ぶり

◆内田篤人が8季ぶりに鹿島復帰!ウニオン・ベルリンが発表(ゲキサカ)


内田篤人

 ウニオン・ベルリンは2日、DF内田篤人(29)が鹿島アントラーズに移籍することを発表した。2010年以来、8シーズンぶりの復帰が決まった。

 内田は鹿島から2010年7月にブンデスリーガのシャルケに移籍。UEFAチャンピオンズリーグでの4強入りなどに貢献したが、15年に右膝を痛めて長期離脱し、今夏ウニオンに移籍していた。だが、今季2試合の出場にとどまっており、クラブとの契約は来年6月末まで残っていたが、出場機会を求めて今冬の移籍が噂されていた。

 クラブ公式サイトによると、ヘルムート・シュルテ強化部長は、「残念なことに篤人のポテンシャルをここで示すことはできなかった。彼は母国に帰ることを望み、我々は話し合った。今後、彼がベストを尽くせることを願っているよ」とコメントしている。

 鹿島は来季リーグ王座奪回に加え、AFCチャンピオンズリーグにも参戦する。ドイツで経験を積んだ内田が『常勝軍団』に新たな風を吹き込む。

内田篤人が8季ぶりに鹿島復帰!ウニオン・ベルリンが発表

◆内田篤人の鹿島移籍が正式決定! ウニオン・ベルリンが発表…8季ぶりにJリーグ復帰(サッカーキング)




 ウニオン・ベルリンは2日、DF内田篤人が鹿島アントラーズへ移籍することを発表した。

 現在29歳の内田は2006年、清水東高校から鹿島へ加入した。1年目のリーグ開幕戦で先発出場を果たすと、レギュラーを獲得して中心選手として活躍。2007年からのJ1リーグ3連覇に大きく貢献した。そして2010年7月、シャルケへ移籍。7シーズンに渡って同クラブに所属し、公式戦152試合に出場して2ゴール18アシストを記録した。2010-11シーズンにはDFBポカール優勝に貢献している。

 そして今夏の移籍市場で、ウニオン・ベルリンへ移籍した内田。新天地では負傷の影響もあって出場機会に恵まれず、今冬の移籍市場で鹿島へ復帰する可能性を取り沙汰されていた。今回の正式発表により、2010年以来8季ぶりに日本でプレーすることが決まった。

 今回の移籍に際し、ウニオン・ベルリンのヘルムート・シュルテ強化部長は「残念ながら彼のポテンシャルをここで発揮することはできなかった。彼は母国に帰ることを望み、我々は話し合った。今後、ベストを尽くせることを願っている」とコメントしている。

内田篤人の鹿島移籍が正式決定! ウニオン・ベルリンが発表…8季ぶりにJリーグ復帰

内田篤人

◆内田篤人が鹿島に完全移籍、W杯メンバー入り&古巣のタイトル奪取目指す(報知)




 元日本代表DF内田篤人(29)がドイツ2部ウニオン・ベルリンから古巣・鹿島に完全移籍することが決まった。ウニオン・ベルリンが2日、公式ツイッターで発表。すでにクラブ間では、移籍金20万ユーロ(約2700万円)で合意していた。鹿島と内田の契約は複数年で、背番号は06~10年まで鹿島でつけ、現在空き番の「2」になる可能性が高い。チーム始動日となる9日から合流する予定。

 内田が移籍を決めた理由は2つある。まずはロシアW杯のメンバー入りを実現させるため。ウニオン・ベルリンでは半年でリーグ戦出場は2試合。日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督(65)から試合出場を重ねれば、招集リストに入れるとの考えを伝えられており、状況を変える必要があった。そして、昨季無冠に終わった鹿島のタイトル奪取に貢献するため。10年以来、8シーズンぶりに内田がJの舞台で躍動する。


内田篤人が鹿島に完全移籍、W杯メンバー入り&古巣のタイトル奪取目指す

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