日刊鹿島アントラーズニュース
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2015年6月5日金曜日
◆「スポーツを支える黒子」ハンディ逆手、本業以外で稼ぐ鹿島アントラーズ取締役事業部長 鈴木秀樹氏(産経ニュース)
http://www.sankei.com/premium/news/150604/prm1506040002-n1.html
茨城県庁の静かな会議室に、張りのある声が響いた。平成17(2005)年9月9日のことだ。
「ジムを開いて地域の健康増進に貢献します」「どんどんピッチを開放して使っていきます」「私たちはファン、サポーターの気持ちを最も分かっています」
声の主はサッカーJリーグ1部(J1)の鹿島アントラーズで現在、取締役事業部長を務める鈴木秀樹(54)だった。
会議室では、県知事に推薦する、県立カシマサッカースタジアム「指定管理者」の選定委員会が開かれていた。5年のJリーグ発足時から鹿島の本拠地。鈴木は、地域と結んできた十数年来の強い絆、未来への夢を熱く語った。
公共施設の管理を民間会社や法人に委託できる同制度。指定されると、管理者自身が施設の使用許可や料金設定の権限を得たり、利用料を収入にしたりできる。鈴木は振り返る。
「スタジアムを自分たちの裁量で使って、お金を稼ぐことができるのは非常に魅力的だった」
選定委には、鹿島を含めて3社が競合していたが、投票の結果は全会一致で鹿島。当時、日本サッカー協会事務局長で、選定委員長を務めた豊島吉博(64)=現J2愛媛社長=は、鹿島の提案に心を動かされた。「スタジアムを地域のシンボルにしていく熱意はJリーグの理念を体現していた」「鈴木くんの説明には、スタジアムを使ってきたチームのプライドみたいなものがあった」とは豊島の回想である。
茨城県議会の議決を経て、鹿島が指定管理者となったことは県にとっても渡りに船。「県が求めたのは、県サッカー協会といい関係を築いて競技の普及を図り、スタジアムの利活用ができ、鹿島と仲良くやれる業者。たまたま鹿島自身が管理者になったが、適任だった」。こう振り返るのは選定作業を担当した当時の県事業推進課課長補佐、松平正彦(58)=現同県用地課長=だ。
鹿島が指定管理者を務めた18年からの5年間、鈴木らスタッフは制度を生かし、事業を展開する。スタジアム内にスポーツクラブを設置、夏場にはビアガーデンを開くなどして収入源を開拓した。Jリーグとの放送権契約を結ぶ「スカパー!」の委託を受け、ホームゲーム中継の制作にも参入。会場内のサブスタジオに機器を導入し、臨場感ある映像を提供している。
その実績が認められ、23年からは異例の10年間という長期委託を勝ち取った。2002年日韓ワールドカップ(W杯)の前から鈴木と付き合いが続く松平は「秀樹さんはあのころからサッカー以外の事業が必要だ、と言っていたからね」。鈴木の先見の明に今さらながら驚く。
◇ ◇ ◇
鹿島には生まれながらに背負ったハンディがある。プロスポーツで商圏の指標とされる半径30キロ以内の人口は鹿島が70万人強。首都圏のFC東京は約2千万人ともいわれる。プロ野球の世界では200万人前後が採算ライン。小さな商圏は普通なら泣きどころだ。
「Jリーグ元年」の参加クラブ選定に際し、川淵三郎チェアマン(78)=現日本サッカー協会最高顧問=は、鹿島をこう突き放していた。「99・9999%ない。1万5千人収容のサッカー専用スタジアムを造っていただけるなら話は別だが」。カシマスタジアムは逆風下の鹿島を救うために建設された、かけがえのない母体だ。
Jリーグ創設時に参加した10クラブの多くは、自動車、家電、鉄道などを営む母体企業を持ち、個人客に接する方法を持っていた。鹿島の前身は製鉄業の住友金属サッカー団。ノウハウなどない。すべてを一から手探りで作っていった。鈴木は逆境を楽しんでいるかのように笑い飛ばす。
「うちは何かとハンディが大きい。だから知恵を絞って、考えて、結果的に新しいことをするしかないんだ」
サッカーJ1、鹿島の取り組みは、チーム創設当時からJリーグの中で異彩を放っていた。
取締役事業部長の鈴木秀樹を中心に平成4年、Jクラブで初めてファンクラブを設立。メールやスマートフォンなどがなかった時代に、電話やはがきでやりとりした。
「スタンドで応援するサポーターは、太鼓が欠かせないらしい」と聞きつけると、鈴木は社内で募金を呼びかけ、集まった資金でサポーターに初めての太鼓を贈った。
◇ ◇ ◇
厳しい環境での工夫と行動力は鈴木の経歴と関係が深い。昭和35年、青森県八戸市で生まれた鈴木は同市内の中学校を卒業。陸上自衛隊少年工科学校(神奈川県立湘南高校通信課程)に進み、卒業後は陸上自衛隊富士学校戦車教導隊に配属された。数多くの実弾射撃訓練も経験した。
15~20歳の多感な時期に、一瞬の判断が命取りとなる戦場を想定した教練を受けた。「瞬時に物事のジャッジ(判断)をする必要がある。その経験はいまに生きている」
中学1年でサッカーを始めた鈴木は、ボールと戯れる才能にも恵まれていた。19歳で出場した全国自衛隊大会で才能を見いだされ、日本代表候補合宿に招集された。合宿前、父に「変な気を起こすなよ」と、くぎを刺されたという。サッカー選手になろうなどと思うな、と。結局、サッカーへの思いを貫いた。
合宿が縁で住友金属から声がかかり、20歳で入団。20代後半で引退した後はサッカー団の主務として、限られた予算の中でチームの遠征などを取り仕切り、現在までの立場を築いた。
「全てはチームが勝つために」
仕事の目的を問うと、鈴木はこう即答した。鹿島の収入は年間40億円前後。6割強のスポンサー収入、3割の入場料収入、1割程度の放映権料収入が3本柱。収入と成績の関係も深い。「37億円以上(収入が)ないと、タイトルが取れない」
鈴木はサッカー以外の収入を「第4の柱」と位置づける。クラブが単独でスタジアムの指定管理者となっているのは、Jリーグの中でも鹿島だけ。先進的な運営方法を学ぼうと、多くのJクラブ関係者、自治体担当者がカシマスタジアムの視察に訪れている。
近い将来、夢のような事業が実現しようとしている。わずか2日間でピッチを張り替え、使用可能にする技術を開発中だ。日本では芝生の全面張り替えは10年に1度程度が一般的。傷んだピッチには種をまいて養生するか、部分張り替えで対処してきた。
「貴重品」のピッチを「消耗品」にする画期的な試みに、鈴木は夢を膨らませる。「試合を優先して芝の状態を考えると、なかなか他のイベントには使えなかった。短い時間で張り替えができれば、地域の運動会やコンサートにも使ってもらえて稼働率も上がる」
ヒントは欧州にあった。平成22年6月に欧州各地のスタジアムを視察し、オランダのアムステルダムでピッチの芝生を48時間で張り替える光景に出合った。
「鹿島でできないか」
帰国後すぐにソニー、信州大などと協力して研究を開始。特殊な光を当てて芝生を促成栽培し、ピッチを土から掘り起こして張り替える技術に実用化のめどが立った。
いまは張り替える芝を育成できる大規模な用地を探すさなか。栽培が可能になれば、カシマスタジアムはもちろん、Jクラブが使用するピッチへ芝を供給することも夢ではない。
新機軸を次々と打ち出す鈴木の信念を、裏付ける証言がある。鹿島で長く強化を担当する常務取締役強化部長の鈴木満(57)はしみじみと語った。
「秀樹は昔からアイデアマン。どんなに収入が少ない見込みでも『強化費を使うな、抑えろ』とは言わない。すごく感謝している」
全ては勝利のために-。走り続ける。=敬称略
(榊輝朗)
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