山形昇格の原動力となった石川は99年Wユース準優勝メンバーの一人 [写真]=Getty Images
毎年恒例だった元日の東京・国立競技場開催ではなく、12月13日に日産スタジアムで行われた今年の天皇杯決勝。ガンバ大阪対モンテディオ山形という顔合わせになったゲームは、宇佐美貴史とパトリックのゴールでG大阪が2点をリードして後半へと突入した。
山形としては、リスクを冒しても攻めに行くしかない。1週間前にJ1昇格プレーオフでジェフユナイテッド千葉を倒して4年ぶりのJ1切符を手にした百戦錬磨の石崎信弘監督は、後半途中から千葉戦で決勝点を挙げた山崎雅人を下げ、林陵平を投入。林をトップ、ディエゴとロメロ・フランクを2シャドウに置く勝負布陣を敷いた。
その交代の2分後、3バック左に陣取っていた34歳のベテラン・石川竜也が思い切った攻撃参加から鋭いクロスを上げた。これを松岡亮輔が触り、最後はロメロ・フランクが飛び込んでゴール。山形が一矢報いることに成功する。最終的に宇佐美の一撃を食らって頂点に立つことはできなかったが、1点を巧みにお膳立てし、パトリックの決定機を再三再四ブロックしたベテランDFの凄まじい闘争心は、チームに大きなプラス効果をもたらしたはずだ。
その石川は、G大阪のキャプテンマークをつける遠藤保仁とともに1999年ワールドユース(ナイジェリア)に参戦し、準優勝をつかんだ「黄金世代」の一人である。1次リーグ突破がかかったイングランド戦(バウチ)では、スタジアムが予期せぬ停電に陥る中、正確な左足FKを決めるという大仕事をやってのけている。「明確な武器を持っている選手は最終的に強い」と本人も語ったことがあったが、遠藤にしても、小笠原満男(鹿島)にしても、長く生き残っているベテラン選手には目に見える長所がある。石川の精度の高い左足のキックというのは、大いに重視すべき部分と言っていいだろう。
当時は筑波大学の学生で、チーム唯一のアマチュア選手ということで注目を集めていた。その彼が鹿島アントラーズ入りしたのは2002年。だが、プロ5年目の2006年春、当時のパウロ・アウトゥオリ監督から突如として戦力外のような扱いを受け、東京ヴェルディへレンタル移籍する苦い出来事にも遭遇した。翌2007年から鹿島はオズワルド・オリヴェイラ監督が率いるようになったが、石川は復帰せずに山形へ再度レンタル移籍。2008年のJ1初昇格の原動力となる。それから今季までに足掛け8年間をみちのくの地で過ごしたが、J2降格やケガもあり、キャリアが全て順風満帆だったわけではなかった。
石崎監督が就任した今季も、シーズン当初は控えに甘んじることが多かった。
「監督によってスタイルや戦い方が違うし、それを1からやる覚悟を持たないといけなかった。チームの一員として石崎監督のやりたいサッカーを理解し、最後まで同じ方向を向いてやり遂げる必要があると思っていた。今季の山形はそういうチームだったし、夏場以降にグッと成長してきた実感があります。僕自身も石崎さんが来てからトニーニョ・セレーゾ(現鹿島監督)や伸二(小林=徳島監督)さんの時代に匹敵するほどの厳しいトレーニングをやったけど、その成果をゲームにしっかりと出すことができた。シーズン後半からは3バックの左にも初めてチャレンジして、センターバックのイメージとは違った仕事をやろうと思っていたし、すごくやりがいがあった。最終的には天皇杯ではガンバに勝てなかったけど、充実した1年だったのかなと思っています」と石川はタフなシーズンを戦い抜いた満足感を吐露した。
同期の遠藤と久しぶりに同じピッチに立ったことにもいい刺激を受けたようだ。
「ヤットが今季JリーグMVP? やっぱり満男にしてもそうだけど、中盤でパス捌いてる選手は長持ちするよね(笑)。自分はDFだから負担も大きいけど、イシさんの練習についていけているうちは大丈夫。マリノスの主力の人たち(中澤佑二、中村俊輔)も高いレベルのパフォーマンスを維持してるし、サッカー選手に年齢は関係ない。まだまだ成長できるはず。この先も大事な場面で勝負につながるプレーを出せるような選手であり続けたいですね」と彼は30代半ばにさしかかっても向上心を失うことはない。
実際、山形というチームは、36歳の山岸範宏、30歳の松岡、33歳の山崎らベテラン勢が多い。石崎監督も「年齢層が高いのは気がかり。有望な若い選手を育てたい」と話したことがあったが、少なくとも来季はこの陣容がベースになるはず。石川らはそれを踏まえて今季以上にフル稼働しなければならない。
円熟味を増した左足のスペシャリストが挑む2015年の一挙手一投足が今から楽しみだ。
山形としては、リスクを冒しても攻めに行くしかない。1週間前にJ1昇格プレーオフでジェフユナイテッド千葉を倒して4年ぶりのJ1切符を手にした百戦錬磨の石崎信弘監督は、後半途中から千葉戦で決勝点を挙げた山崎雅人を下げ、林陵平を投入。林をトップ、ディエゴとロメロ・フランクを2シャドウに置く勝負布陣を敷いた。
その交代の2分後、3バック左に陣取っていた34歳のベテラン・石川竜也が思い切った攻撃参加から鋭いクロスを上げた。これを松岡亮輔が触り、最後はロメロ・フランクが飛び込んでゴール。山形が一矢報いることに成功する。最終的に宇佐美の一撃を食らって頂点に立つことはできなかったが、1点を巧みにお膳立てし、パトリックの決定機を再三再四ブロックしたベテランDFの凄まじい闘争心は、チームに大きなプラス効果をもたらしたはずだ。
その石川は、G大阪のキャプテンマークをつける遠藤保仁とともに1999年ワールドユース(ナイジェリア)に参戦し、準優勝をつかんだ「黄金世代」の一人である。1次リーグ突破がかかったイングランド戦(バウチ)では、スタジアムが予期せぬ停電に陥る中、正確な左足FKを決めるという大仕事をやってのけている。「明確な武器を持っている選手は最終的に強い」と本人も語ったことがあったが、遠藤にしても、小笠原満男(鹿島)にしても、長く生き残っているベテラン選手には目に見える長所がある。石川の精度の高い左足のキックというのは、大いに重視すべき部分と言っていいだろう。
当時は筑波大学の学生で、チーム唯一のアマチュア選手ということで注目を集めていた。その彼が鹿島アントラーズ入りしたのは2002年。だが、プロ5年目の2006年春、当時のパウロ・アウトゥオリ監督から突如として戦力外のような扱いを受け、東京ヴェルディへレンタル移籍する苦い出来事にも遭遇した。翌2007年から鹿島はオズワルド・オリヴェイラ監督が率いるようになったが、石川は復帰せずに山形へ再度レンタル移籍。2008年のJ1初昇格の原動力となる。それから今季までに足掛け8年間をみちのくの地で過ごしたが、J2降格やケガもあり、キャリアが全て順風満帆だったわけではなかった。
石崎監督が就任した今季も、シーズン当初は控えに甘んじることが多かった。
「監督によってスタイルや戦い方が違うし、それを1からやる覚悟を持たないといけなかった。チームの一員として石崎監督のやりたいサッカーを理解し、最後まで同じ方向を向いてやり遂げる必要があると思っていた。今季の山形はそういうチームだったし、夏場以降にグッと成長してきた実感があります。僕自身も石崎さんが来てからトニーニョ・セレーゾ(現鹿島監督)や伸二(小林=徳島監督)さんの時代に匹敵するほどの厳しいトレーニングをやったけど、その成果をゲームにしっかりと出すことができた。シーズン後半からは3バックの左にも初めてチャレンジして、センターバックのイメージとは違った仕事をやろうと思っていたし、すごくやりがいがあった。最終的には天皇杯ではガンバに勝てなかったけど、充実した1年だったのかなと思っています」と石川はタフなシーズンを戦い抜いた満足感を吐露した。
同期の遠藤と久しぶりに同じピッチに立ったことにもいい刺激を受けたようだ。
「ヤットが今季JリーグMVP? やっぱり満男にしてもそうだけど、中盤でパス捌いてる選手は長持ちするよね(笑)。自分はDFだから負担も大きいけど、イシさんの練習についていけているうちは大丈夫。マリノスの主力の人たち(中澤佑二、中村俊輔)も高いレベルのパフォーマンスを維持してるし、サッカー選手に年齢は関係ない。まだまだ成長できるはず。この先も大事な場面で勝負につながるプレーを出せるような選手であり続けたいですね」と彼は30代半ばにさしかかっても向上心を失うことはない。
実際、山形というチームは、36歳の山岸範宏、30歳の松岡、33歳の山崎らベテラン勢が多い。石崎監督も「年齢層が高いのは気がかり。有望な若い選手を育てたい」と話したことがあったが、少なくとも来季はこの陣容がベースになるはず。石川らはそれを踏まえて今季以上にフル稼働しなければならない。
円熟味を増した左足のスペシャリストが挑む2015年の一挙手一投足が今から楽しみだ。