日刊鹿島アントラーズニュース
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2017年10月28日土曜日
◆今更ですが清宮で気になった。なぜJリーグにはドラフトが存在しないのか(THE PAGE)
野手では史上最多タイとなる7球団が1位指名で競合した高校ナンバーワンスラッガー、清宮幸太郎内野手(早稲田実業)の交渉権を引き当てた、北海道日本ハムファイターズの木田優夫GM補佐が右手を高々と突き上げる――26日のプロ野球ドラフト会議では、今年も新たなドラマが刻まれた。
総勢82人のホープたちが指名され、全国各地で新たな門出へ向けた笑顔を輝かせた一方で素朴な疑問が生じる。同じプロスポーツのサッカーJリーグには、新人選手の補強に関して、なぜドラフト会議の類が存在しないのか、と。
Jリーグが産声をあげた1993年5月に先駆けて、1991年2月にプロ元年を戦う10クラブ、いわゆるオリジナル10が決定している。選定される過程では、傘下にユースをはじめとする下部組織をもつことが絶対条件となった。
創設に尽力したJリーグの幹部に、プロ野球のドラフト会議のようなものは設けないのか、と聞いたことがある。返ってきた答えは、この下部組織と密接にリンクしていた。
「新人選手は下部組織を通じて、自前で育てるものだと考えている」
欧州や南米のリーグと同じ方針が掲げられたものの、日本サッカー界では全国高等学校体育連盟、略して
「高体連」という海外ではほとんど見られない公益財団法人が、日本リーグ時代から新卒選手の供給役を長く担ってきた。
高体連が主催する高校サッカーに憧れ、冬の風物詩でもある全国選手権の舞台で戦いたいと望む中学生は現時点でも少なくない。なかにはJクラブのユースへの昇格をあえて断り、高校へ進む例も増えてきた。高校から大学への進学が選ばれることも然り、だ。
その場合は、どのようにしてプロの世界へ加入するのか。Jリーグでは創設時から自由競争としてきた。ただ、プロ野球で言う契約金が存在すれば、資金力のあるクラブに有望選手が集まる。戦力の均等化を図るために、年俸と契約金に相当する支度金には上限が設定されている。
Jリーグの選手契約は3つの段階が設定されていて、新人選手は原則として「C契約」を結ぶ。年俸の上限は480万円で、J1で通算450分(5試合フル出場相当)、J2では同900分(10試合フル出場相当)をクリアすれば、同じく上限が480万円の「B契約」か、上限のない「A契約」に移行できる。もっとも、新卒1年目で「A契約」を結ぶ場合は、年俸の上限は700万円となる。
支度金は独身で380万円、妻帯者で400万円、同居扶養家族のいる妻帯者で500万円が上限として支給される。Jリーグでは毎年経営情報が開示されているので、いわゆる裏金などを水面下で捻出することもできない。傘下のユースチームからトップチームに昇格する場合も、年俸と支度金で同様の上限が設定される。
プロ野球と比べて、それぞれの金額が圧倒的に低い理由は2つある。クラブの経営状況を悪化させないための配慮と、契約期間が満了すれば移籍金なしで国内外のクラブへ移れるため、高額な支度金は必要ではないという考え方があるからだ。
こうなると選手たちに対していかに魅力的に映り、成長できると確信させる環境であるかが契約のカギを握る。選手たちも各クラブの練習に参加して、雰囲気を含めたフィーリングやハード施設などを実際に確認したうえで最終的に決めている。
たとえば山梨・韮崎高校から1995シーズンにベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)へ加入した中田英寿のもとには、当時12を数えたJクラブのうち、育成に主軸を置いていたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)を除く11チームからオファーが届いた。
そのうち横浜マリノス、横浜フリューゲルス(ともに当時)、そしてベルマーレの練習に参加した末に昇格1年目のベルマーレを選び、主力の先輩選手たちを「なぜウチに来たのか」と驚かせている。
理由は2つ。高卒1年目から主力として出場できると中田自身が確信した点と、もうひとつは海外クラブからのオファーが届いた場合、すべてを開示する点にベルマーレのフロントが理解を示したからだという。実際、4年目を迎えた1998年7月にセリエAのペルージャへ移籍している。
早稲田大学への進学も視野に入れていた内田篤人(現ウニオン・ベルリン)のもとへは、清水東高校3年だった2005年夏の時点で、アルビレックス新潟、清水エスパルス、ジュビロ磐田、名古屋グランパス、ヴィッセル神戸、コンサドーレ札幌(当時)、そして鹿島アントラーズからオファーが届いた。
そして、各クラブの練習に順次参加。アントラーズでのそれを終えた直後に、クラブハウスを含めた練習施設と常勝軍団独特の厳しい雰囲気に魅せられたのか、清水東高サッカー部の監督へ「ここなら、たとえ試合に出られなくても、自分が成長できそうな気がします」と電話を入れている。
加入を決める時期も原則自由で、青森山田高校からアントラーズに加入した柴崎岳(現ヘタフェ)のように、3年生に進級する直前の2010年1月の段階で仮契約が結ばれたケースもある。
こうした歴史が積み重ねられてきたJ1では、24年間で9つの優勝チームが生まれた。最多の8度を数えるアントラーズはクラブのコンセプトが一貫している点で他と明確な一線を画し、2012シーズン以降の4年間で3度優勝したサンフレッチェ広島は、毎年のように主力が流出するなかで、他チームから適材適所で選手を補強したマネジメント力が奏功した。
つまり、自由競争のもとで新卒選手が獲得されてきた歴史においては、戦力の不均衡化という弊害は生まれていないと言っていい。むしろ問われるのは、外国人選手を含めた補強戦略やクラブの財力、育成年代を含めた若手選手に対する育成力となっている。
いまは全国高校選手権の都道府県予選や、各地域の大学リーグが佳境を迎えている。そのなかでも昨年度の初優勝に貢献した青森山田のMF郷家友太はヴィッセルへの、天皇杯で旋風を巻き起こした筑波大学のエースストライカー、中野誠也は中学、高校年代に下部組織でプレーしたジュビロへの加入がすでに決まっている。
(文責・藤江直人/スポーツライター)
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