3番・戸井零士(とい・れいじ)、4番・内藤大翔(やまと)。この中軸の並びが、今年の天理高校(奈良)の強力打線の屋台骨となっている。
共に1年秋からレギュラー格。内藤は昨春ベスト4に進出したセンバツでも全4試合で3番打者として出場している。準々決勝の仙台育英戦では、初回に先制の適時二塁打を放つなど、上級生に混じって力強いスイングを披露した。
すらりとした体形の戸井に対し、176cm・85kgという下半身が太くどっしりした体格の内藤には、いかにも飛ばしそうな雰囲気が漂う。「たたずまいが4番っぽい。ここというところで長打を打てるのが内藤の魅力」と中村良二監督は主砲の存在感の強さを明かす。
父はJ1鹿島で活躍したJリーガー
そんな内藤は、偉大な父の背中を見て育ってきた。父・就行さんはかつて鹿島アントラーズなどでプレーしたJリーガー。昨年までJ3テゲバジャーロ宮崎で監督を務めていた。
サッカーボールに触れるのが自然だった家庭とあって、内藤も小さい時からサッカーに慣れ親しんできた。
「父がサガン鳥栖のコーチをやっていた時、試合後にスタンドからピッチに入れてもらったことがあります」
内藤は福岡市中央区で生まれ育った。小学校に入学後もサッカーを続けていたが、叔父がやっていたソフトボールチームにも興味を持つようになった。その後、ソフトボールのチームにも入部すると、ソフトボールとサッカーの試合が土日で被るようになった。どちらかを選ばないといけないことになり、思い切って父に相談。そこで父から「どっちをやりたい?」と聞かれると、心が揺れていた内藤少年は思いを奮い立たせた。
「ソフトボールは低学年から試合に出してもらっていて、どちらかというとあの頃はソフトボールに楽しさを覚えていたんです。それで、思い切って“ソフトボールをやりたい”と言ったら、“じゃあそっちに行ったらいい。その代わり(ソフトボールで)一番になれよ”って父は言ってくれました」
ソフトボールに惹かれたのは「ゴロでも全員で繋いで勝つというチームの雰囲気がすごく好きだったから」。当時、神戸国際大学を率いているために単身赴任していた父と家族全員で暮らそうと、中学に進学するタイミングで、父の出身地である奈良へやってきた。
内藤は生駒市内の中学校に進み、強豪・生駒ボーイズに入部して三塁手とピッチャーを務めた。最速138キロの速球を武器にしていただけでなく、4番を打つことも多く、当時から遠くへ飛ばすことと投げることも好きだった。
ただ、ソフトボール時代から父が自分の試合を見に来てくれることはほとんどなかった。土日にはリーグ戦の試合もあるため、監督業が優先せざるを得ないことは分かっていたが、学年が上がるごとに父の心境を徐々に理解するようになったという。
「(決断した)あの時はあまりそこまで考えていなかったですが、父からしたら本当は僕にサッカーをしてほしかったはずです。でも自分にそんなことは一切言いませんでした」
福岡に戻らず、天理高校を選んだ理由
高校は生駒ボーイズの1年上で、天理高で1年秋から活躍していた瀬千皓(明大進学予定)の背中を追った。福岡には戻らず、馴染むのに時間がかかった関西で、さらに関西圏の精鋭たちが集まる強豪校へ進んだのは理由があった。
「レベルの高いところで頑張れば、もっと野球がうまくなると思いました。実際、天理に入って先輩方の練習に取り組む姿勢や意識の高さに驚きましたが、決められたルールの中で練習する中で強豪チームには色んな規律もあるんだなと思いましたし、そういう環境で成長していきたかったんです」
何より、うまくなった自分を父に見てもらいたいという思いもあった。天理では1年秋からレギュラーとなり、試合での出場機会が増えると、父は徐々に球場に顔を出してくれるようになった。ただ、監督を務める宮崎に住んでいる父は、頻繁に奈良へ行くことは難しい。ましてや現在のコロナ禍での移動は、かなりの神経を使う。それでも、自分を見てくれる父の存在が大きな支えとなっている。
「以前に比べて今は父とはよく連絡を取っています。天理は携帯電話を普段使えないので、寮に電話をしてもらって会話することが多いです」
◆「本当はサッカーをしてほしかったはず」Jリーガーだった父と約束したセンバツ優勝…天理“不動の4番”内藤大翔が野球を選んだ理由(Number)