日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年11月2日月曜日

◆サッカー:Jリーグ・ナビスコ杯 やっぱり強いぞ、鹿島 3年ぶり6回目V /茨城(毎日新聞)


http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20151101ddlk08050012000c.html

アントラーズの先制点を喜ぶサッカーファンら=鹿嶋市宮中の大型ショッピングセンター・ジーコ広場で

「久しぶりに強い鹿島アントラーズが戻ってきた」。埼玉スタジアムで31日行われたサッカーJリーグのヤマザキナビスコ杯決勝戦。アントラーズが大会2連覇を狙うガンバ大阪を3−0で降し、3年ぶり6回目のタイトルを手にした。アントラーズは大会最多優勝記録を更新した。

 アントラーズが勝利を決めた瞬間、鹿嶋市宮中の大型ショッピングセンターのジーコ広場では、テレビを見ながら応援していたファンから大きな拍手がわき起こった。

 前半はアントラーズが優位に試合を進めたが、両チームともに無得点。後半15分、MF小笠原満男選手の左コーナーキックをDFファン・ソッコ選手が頭で合わせ、アントラーズが先制。39分と41分にも追加点を挙げると、広場の盛り上がりは最高潮に達した。鹿嶋市宮下の無職、板垣国男さん(71)は「久しぶりの優勝だ。世代交代してきた若い選手に期待できる」と優勝を喜んだ。

 橋本昌知事は「チーム一丸となって優勝を成し遂げられたことは、努力のたまものであり、県民にとっても大きな喜び」とする談話を出した。アントラーズが本拠地を置く同市の錦織孝一市長は「地域を代表するアントラーズが栄光をまた一つ増やした。17冠を達成したクラブの存在をうれしく思います」とコメントを寄せた。【岩本直紀、中里顕】

◆鹿島石井監督で3年ぶりタイトル「理想の形」(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1560262.html

鹿島石井監督で3年ぶりタイトル「理想の形」

<ナビスコ杯:鹿島3-0G大阪>◇決勝◇10月31日◇埼玉

 就任3カ月の新米指揮官が6度、宙に舞った。鹿島の石井正忠監督(48)が通算優勝と同じ数だけ胴上げされた。24年の鹿島人生。選手で3回、コーチで8回タイトルを味わったが、監督は格別。終了の笛が鳴った時は両手を突き上げ「うれしかったのが正直な気持ち。理想の形」と喜んだ。

 公式戦4連敗中だった昨季の3冠王者に完勝した。0-0の後半15分、小笠原の左CKにファン・ソッコが頭で合わせて先制。39分には再び小笠原の左CKから追加点。途中出場の鈴木優が金崎の2点目をアシストし、3点目も後半投入したカイオが奪った。采配がさえて守備陣も完封。11年ぶりの5万超の観衆の前で盤石の6度目Vを遂げた。

 鹿島の初代主将が、クラブ初の日本人OB監督になり、3年ぶりのタイトルをもたらした。7月21日にコーチから昇格。16年ぶりの途中交代に「逃げ出したい気持ちも少し」ありながら初ミーティングを行った。選手に示した映像は一般的分析ではなく、球際で果敢に競り合う選手のプレー集。「自分が求めるのは、この姿勢。変えるんじゃなく、元に戻したい」。けが防止のため前体制では禁止されていた激しいタックルも解禁。決勝も、球際でことごとく競り勝った。

 誰もが「温和」と口をそろえるが、熱く涙もろい。監督就任後、怒ったこと2回、泣いたこと3回。サブ組を本気でしかり、セレーゾ氏との別れやサポーターの声援には涙。決勝前のロッカールームでは西が「石井さんを泣かそうぜ」と言って盛り上げた。11年に順大の後輩だった元清水GK真田雅則さんが亡くなった時も、懸命に情報を集めたのが石井監督。男にしようと、イレブンは結束した。

 昨年のナビスコ杯は9年ぶりの1次リーグ敗退。柴崎が「かつての鹿島からすれば信じられない弱さ」と嘆いた名門を復活させた。もしコーチのままだったら今季限りで退団する契約だった。「鹿島を出て修行しようと」。運命的昇格で17冠目に名を刻んだ。過去16冠はすべてブラジル人監督が獲得。日本人の初タイトルだ。王者のDNAを受け継ぐ石井アントラーズが新たな黄金時代に突入する。【木下淳】

 ◆鹿島アントラーズ 1947年(昭22)に大阪で発足した住友金属蹴球同好会が母体で、75年に茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に移転した。91年に鹿島アントラーズと改称してJリーグの正会員に。「アントラーズ」は地元の鹿島神宮名物のシカにちなみ、枝角を意味する英語「アントラー」が由来。

◆勝利呼んだ小笠原の執念。“試合前”からMVP級の活躍、受け継がれる常勝のDNA(フットボールチャンネル)


http://www.footballchannel.jp/2015/11/01/post117444/

勝利呼んだ小笠原の執念。“試合前”からMVP級の活躍、受け継がれる常勝のDNA

【鹿島アントラーズ 3-0 ガンバ大阪 ヤマザキナビスコカップ決勝】

「まだまだ僕らも負けていられない」。ナビスコカップ決勝でチームを牽引し、MVPを受賞した鹿島アントラーズの小笠原満男は台頭する若手にすんなり道を譲る気はみじんもないことを明言した。

 長くチームの中心にいる小笠原も今年36歳になった。チームメートだった中田浩二らをはじめ同期が次々と引退しているが、運動量豊富に走り回り、切れ味鋭いパスを何本も出す姿は年齢を感じさせないものだった。

 何よりすさまじかったのは勝利への執念だ。90分間味方を鼓舞し続け、ガンバに隙を与えないばかりか、勝利がほぼ確定した時間帯でもピッチ内で指示を出し圧倒した。

「36歳には36歳なりの良さがある。こういう舞台で、勝ってきたことばかりがフォーカスされるが、決勝で負けたことも何回もある。そういう中でどうしたら勝てるのかが一番自分が力になれるところ。勝利にこだわるのがこのチーム。全員でファイトする。それができればいいサッカーができる」

 物静かな男は試合後、報道陣を前に言葉を選ぶように丁寧に語ったが、その1つひとつに勝利への飽くなき執着心を感じさせる。

 石井正忠監督は試合前の秘話を明かす。「ミーティングで(小笠原)満男が『ここで勝つと負けるのとでは本当に違う』と言った」。勝負の酸いも甘いも知る小笠原の言葉にチーム全員が奮い立ったに違いない。

 この日の試合には19歳の鈴木優磨や23歳の柴崎岳など一回り以上若い選手も出場していた。言葉で表し、行動で示した小笠原の姿は彼らの中で蓄積されていく。常勝軍団のDNAはこうして受け継がれていく。

【了】

◆鹿島MVP小笠原「タイトル獲ってこそ」/独占手記(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1560244.html

鹿島MVP小笠原「タイトル獲ってこそ」/独占手記

<ナビスコ杯:鹿島3-0G大阪>◇決勝◇10月31日◇埼玉

 鹿島が前年王者のG大阪を下し、3年ぶり最多6度目の優勝を果たした。主将のMF小笠原満男(36)が全3得点に絡む活躍でMVPを獲得。後半15分にCKで先制点をアシストし、2点目と3点目は起点になった。中盤のセカンドボール争いでも完勝。02年以来2度目のMVPは最多タイ、36歳6カ月26日での受賞は史上最年長となった。同学年のG大阪MF遠藤保仁との対決を制し、歴代最多を更新する17冠目に貢献した小笠原が、日刊スポーツに独占手記を寄せた。

 優勝もMVPも全員のもの。でも点を取ってないのにMVPなんて、うれしくないかな(笑い)。優勝は17回のうち14回目。やっぱり勝たないと。負けて得るものなんかない。石井さんを男泣きさせたかったけど、さすが優勝慣れしてて冷静だった。アントラーズはタイトルを取ってこそだし、取った者にしか分からない勝ち方、見え方がある。常勝に戻るためには今日が最低ラインだと思う。

 36歳は若くないけど、この年齢になって、相手の嫌がる部分とか見えてきた部分もある。ヤット(遠藤)が試合後に「素晴らしい」と言ってくれたけど、自分がキャリアで勝てるところは1つもない。でも、チームとしては負けたくなかった。10代から一緒だったけど、代表に呼ばれても試合に出られなかった。僕らは決して良い思いばかりしてきた選手じゃない。ずっと悔しい思いをしてきた。でも、欧州組に対し「出られなくても仕方ない」とは思わなかった。(柴崎)岳もヤット級になれるポテンシャルはある。負けん気を出して頑張ってほしい。ここ数年、鹿島も世代交代を進めているけど、若手はまだ自分で定位置をつかんだわけじゃなく、与えられただけ。本当の強さは、こうやってタイトルの味を知って覚えていくことなんだ。

 7月5日にヤナギさん(柳沢敦)や(中田)浩二の引退試合があった。その前日にOBと食事して「大丈夫か」と言われた。2年連続無冠で顔向けできなかった。その2週間後にセレーゾ前監督が解任され、翌日の決起集会で「監督が代わっても、俺らが変わらなかったら意味がない」と言った。セレーゾには(昨年10月22日神戸戦で)選手起用をめぐり怒鳴ったこともある。試合中なんで熱くなっちゃったけど、勝ちにこだわった戦術的な話。彼も多くのものを残してくれた。

 9月には同じ茨城の常総市で水害(関東・東北豪雨)があり、鹿島のスクール生が被災した。できることはないか。過密日程とか関係なく、ボランティアに行こうと思った。ご家族から丁重に断られて力になれなかったけど、決勝の1週間前にカシマスタジアムに招待した。今日の埼玉にも何人か呼んでいた。優勝を見せてあげられて良かった。東日本大震災の後、子供たちを招待した試合で負け、両手両膝をついて謝ったこともある。タイトルを取らないと「大丈夫?」と言われるので勝てて安心した。

 まだ引退はない。若手には「やれるもんなら、やってみろ」って思ってるし、ジーコはJ開幕時に40歳でハットトリックした。セレーゾも37歳でクラブW杯を制してMVPになった。いつか超えられるよう頑張っていきたい。(鹿島MF)

 ◆小笠原満男(おがさわら・みつお)1979年(昭54)4月5日、岩手県盛岡市生まれ。大船渡高から98年に鹿島入り。99年ワールドユース準優勝。02年3月21日ウクライナ戦でA代表デビュー。W杯は02年日韓大会と06年ドイツ大会で計3試合に出場。06年夏にセリエAメッシーナへ期限付き移籍。07年夏に鹿島復帰。J1通算462試合69得点。09年リーグMVP。国際Aマッチ通算55試合7得点。173センチ、72キロ。

 ▼最年長MVP 36歳の小笠原が02年以来13年ぶり2度目のMVP。ナビスコ杯で2度のMVPは93、94年のV川崎MFビスマルクに次いで史上2人目。36歳での受賞は96年の清水MFサントスの35歳を更新する史上最年長記録。

 ◆ナビスコ杯の賞金 優勝は1億円、準優勝は5000万円、3位は1クラブにつき2000万円。優勝クラブにはスポンサー杯(デザインはティファニー社製)とJリーグ(チェアマン)杯も贈られる。

◆3年ぶりにナビスコ杯を制した鹿島アントラーズに蘇った勝者のメンタル(THE PAGE)


http://thepage.jp/detail/20151031-00000001-wordleafs


優勝を喜ぶカイオ(左)と小笠原(写真:アフロスポーツ)


 至福の喜びに支配されていたのだろう。準優勝チームから先にメダルを授与される表彰式。本来ならガンバ大阪を見送るはずの鹿島アントラーズの視線は、ゴール裏を真っ赤に染めたサポーターへと向けられていた。
 埼玉スタジアムで10月31日に行われたナビスコ杯決勝。連覇を狙ったG大阪を3対0で一蹴し、大会最多となる6度目の優勝を手にした鹿島の選手やスタッフがスタンド前で一列となり、肩を組みながら勝利のダンスを踊りはじめる。
 2012年のナビスコ杯を制して以来、実に3年のブランクを超えての戴冠。マナーに欠けているとはわかっていても、一刻も早く手にしたタイトルの価値を分かち合いたかった。

 常勝軍団と呼ばれる鹿島にとって、2年連続の無冠がいかに重い十字架と化していたか。昨年からDFリーダーを拝命し、今年からは黄金時代を支えたレジェンド、秋田豊の象徴だった「3」番を託された22歳の昌子源が偽らざる本音を打ち明ける。

「正直、プレッシャーがあった。タイトルを取れないと周りからいろいろな目で見られるというか、タイトルに関われないと『弱い』と言われるチーム。強い鹿島というのは僕たちの大先輩が築いた時代。僕たちは何も成し得ていないし、言うたら強い鹿島を壊してしまったのは僕たちとなる」

 鹿島の強化部長に就任して20年になる鈴木満氏は、「同じチームで勝てるのは3年間が限度」とよく口にしていた。
 キャプテンのMF小笠原満男、GK曽ヶ端準、DF中田浩二、MF本山雅志の「黄金世代」が軸となり、J1で前人未踏の3連覇を達成したのが2009年。本来ならば、この時点で30歳を迎えた黄金世代から次代へバトンが託されるはずだった。
 鈴木強化部長のもと、鹿島は他のJクラブと一線を画すチーム作りを進めてきた。高卒を中心とする新人を入団から最低でも3年間は大切に育て、主軸がピークに達した3年間と重複させることで伝統や哲学を継承させる。

 小笠原たちが鹿島に入団したのが1998年。当時の中盤には司令塔のビスマルクが、ボランチには激しいマークを得意とする本田泰人が君臨していた。公式戦のピッチに立つ目標を描きながら、レジェンドの一挙手一投足を脳裏に焼き付けた。

1998年の鹿島は宿敵ジュビロ磐田との死闘を制し、年間王者に輝いた。ビスマルクの技術と本田の闘志の両方を受け継いだ小笠原は言う。
「先輩たちが喜びあう姿を見て、いつかは自分もと思った。タイトルを取らなければ見えてこないものがあるので」

 黄金世代が主軸を担ったのは2000年。史上初の三冠を達成し、翌年もJ1を連覇。完全にバトンを受け継いだが、いざ彼らが30歳を迎えたときに託すべき相手がいない。

 日本代表でも活躍したDF内田篤人が、シャルケへ移籍したのが2010年7月。内田と入れ替わるように鹿島に入団したFW大迫勇也も、2014年が明けるとともにドイツへ新天地を求めた。

 かつては考慮する必要のなかった日本人選手の海外移籍が、鹿島独自の世代交代の青写真を狂わせる。3連覇を達成した時期の遺産もあり、2010年は天皇杯、2011年からはナビスコ杯を連覇したが、チームは伸びしろを完全に失っていた。

 危機感を抱いたフロントは、2013年からトニーニョ・セレーゾ監督を8年ぶりに復帰させる。2000年からの5年間で5冠を獲得した実績以上に、居残りを含めた猛練習で若手を中心に選手個々を鍛え、世代交代を成就させた厳しさに再建を託した。

 実際、若手や中堅は伸びた。2014年に初の2桁ゴールをマークした、入団8年目のMF遠藤康の急成長はセレーゾ前監督の存在を抜きには語れない。

 昌子がDFリーダーを拝命したのは、2013年のオフに当時31歳の元日本代表・岩政大樹(現ファジアーノ岡山)との契約更新をフロントが見送ったからだ。
若手が実力で勝ち取るべき世代交代が、フロント主導で進められる。鹿島が置かれた状況を理解した岩政は、昌子に熱いエールを送って去っていった。

「お前の潜在能力は高い。必ず鹿島を背負うセンターバックになれる」

 その一方で、紅白戦などで真剣勝負が高じて殴り合いに発展することも珍しくなかった、鹿島伝統の激しさが薄まっていた。理由は日々の練習にあった。不慮のけがを恐れていたのか。セレーゾ前監督は紅白戦などでスライデンングタックルを厳禁としていた。

 迎えた2015年。第1ステージで8位に甘んじ、第2ステージでも3試合で勝ち点4と出遅れた直後の7月21日に、セレーゾ前監督は解任される。
 コーチから昇格した石井正忠新監督は、Jリーグが産声をあげた1993年に鹿島の攻撃的MFとしてプレー。神様ジーコの薫陶を強く受け、現役引退後もコーチやフィジカルコーチとして鹿島に携わってきた。
黎明期のスピリットを熟知する48歳の指揮官は、まず練習におけるスライディングタックルを解禁。最初のミーティングでこう訴えた。

「戦う姿勢を見せてほしい」

 前監督のもとで植えつけられた「個の強さ」と、たとえレクリエーション的なミニゲームでも負けることを拒絶する「勝者のメンタリティー」。これらが融合とした結果として第2ステージは一転して優勝争いに絡み、決勝トーナメントから登場したナビスコ杯では頂点に立った。

 試合後の取材エリア。G大阪のキャプテン、MF遠藤保仁は90分間を通して鹿島に見せつけられた球際の強さと激しい闘志に白旗をあげている。
「負けるべくして負けた」

 鹿島が獲得した17個のタイトルのうち、実に14個を自身の脳裏に焼きつけてきた小笠原は、勝ち取ったナビスコ杯の価値をこう位置づける。
「自分が若い頃も上の人に支えられながらタイトルを取って、成長できた部分がある。タイトルをひとつ取って、またああいう経験をしたいという気持ちが芽生えてくる。そういうことの積み重ねで、チームは強くなっていく」

 黄金世代からバトンを託されるべき世代の中心として、MF柴崎岳とともにフロントから指名された1992年生まれの昌子も決意を新たにする。
「間違いなくチームを前進させるタイトルだし、僕自身のキャリアのなかでも大きなものなるけど、正直、僕たちはもう若手じゃない。僕たちの下にもう十何人といるわけで、そういう状況で僕や柴崎といった中堅がしっかりとチームを引っ張っていかないと」

 2年ぶりのタイトルとともに、ようやく刻まれた世代交代への第一歩。もっとも、バトンはまだ完全には受け渡していないと最年長でのMVPに輝いた36歳の小笠原が力を込める。
「やれるものならやってみろ、というのはあります。まだまだ僕らも負けていられない」

 ここから先は実力だけの勝負。濃密な経験を武器としながらいぶし銀の輝きを放つベテランと、自信を糧に潜在能力をさらに解き放とうとする中堅や若手。ナビスコ杯制覇が下剋上の最終章への呼び水となり、鹿島の勝者の歴史を加速させる。
(文責・藤江直人/スポーツライター)

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