日刊鹿島アントラーズニュース

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2022年7月23日土曜日

◆鹿島ジョルジーニョ元監督にJリーグ勢オファーか。本人の意思に変化も(FOOTBALL TRIBE)






 明治安田生命J1リーグ・鹿島アントラーズ元監督であるジョルジーニョ氏は、Jリーグクラブから監督就任のオファーを受けていたようだ。22日、ブラジルメディア『sagres』が伝えている。

 ジョルジーニョ氏は昨年4月にブラジル1部アトレチコ・ゴイアニエンセの指揮官に就任したものの、わずか1カ月で解任。昨年7月からおよそ6か月間クイアバECを率いると、5カ月以上の無所属期間をへて今年5月にアトレチコ・ゴイアニエンセ監督に復帰している。

 そんなジョルジーニョ氏については今年2月、Jリーグ復帰を望んでいることを理由にECジュベントゥージからのオファーを断ったと、ブラジルのラジオ局『Radio Caxias』が伝えていた。

 『sagres』の報道によると、同氏のもとにJリーグクラブからオファーが届いていたとのこと。金銭面でアトレチコ・ゴイアニエンセよりも好条件だったが、本人は引き続きアトレチコ・ゴイアニエンセで指揮を執ることを望んでいるという。

 なおジョルジーニョ氏はブンデスリーガ(ドイツ1部)のバイエル・レバークーゼンやバイエルン・ミュンヘンでプレーした後、1995年から4シーズンにわたり鹿島アントラーズでプレー。1996のJリーグや1997年のナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)など複数のタイトル獲得に大きく貢献していた。

 また、2012年には監督として鹿島アントラーズに復帰。J1リーグでは11位という成績に終わったものの、ナビスコカップとスルガ銀行チャンピオンシップで優勝。ただ、鹿島アントラーズ指揮官を1年で退任すると、その後は母国ブラジルの複数クラブを渡り歩いている。





◆鹿島ジョルジーニョ元監督にJリーグ勢オファーか。本人の意思に変化も(FOOTBALL TRIBE)


◆PSGが27年前は東京ドームで試合~野球場でサッカーが開催された/六川亨の日本サッカー見聞録(超WORLDサッカー!)






日本が6-0という大会最多ゴールで香港を下したEAFF E-1選手権。試合会場となったカシマスタジアムで観戦したファン・サポーターは4980人だった。平日のナイター(19時20分キックオフ)で、鹿嶋での開催となると宿泊施設も限られる。さらに当の日本代表には鹿島の選手が1人もいない。よく5000人近くも集まったと言っていいだろう。

横浜F・マリノスの選手が多く招集されているのだから、いっそ準ホームであるニッパツ三ツ沢球技場(約1万5000人収容)か、交通の便がいい都内の味の素フィールド西が丘(約7000人収容)で開催したほうが、まだ集客は見込めたかもしれない。

その一方で翌20日の川崎F対パリ・サンジェルマン(SG)戦が開催された国立競技場には6万4992人ものファン・サポーターが詰めかけ、6月の日本対ブラジル戦を上回る最多観客記録を更新した。

メッシはアルゼンチン代表やバルセロナ(クラブW杯)で来日しているし、ネイマールも11年のクラブW杯ではサントス(バルセロナに0-4で敗退)で、15年にはバルセロナの一員として来日しており、先月もブラジル代表の一員として来日している。

その一方でキリアン・ムバッペはイベント出演での来日はあるものの、日本でプレーするのは初めて。そして、この3人が前線に顔を揃えるだけでなく、彼ら以外にも各国の代表選手がいるだけに、多くの観客が“真夏の夜の夢"をエンジョイしようと国立に足を運んだに違いない。

そんなPSGの来日は27年ぶりだという。1995年6月に来日し、名古屋と西京極総合運動公園で、鹿島と東京ドームで対戦している。たしか「ペプシカップ1995」という名称の大会で、西京極の試合には取材に行かなかったが、東京ドームでの試合は人工芝の上に天然芝を敷いたものの、天然芝の土の部分についている肥料の匂いがとても臭く、それがドーム内に充満したことを覚えている。

来日メンバーもダビド・ジノラ、ジョージ・ウェア、ライー、パトリック・エムボマら主力選手はほとんど来日しなかった。にもかかわらず、鹿島に3-2で逆転勝ちしたはずだ。

サッカーの試合が東京ドームで行われるのは、当時としてもかなり珍しかった。当時の首都圏にはサッカー専用スタジアムというと西が丘サッカー場(現味の素フィールド西が丘)、大宮サッカー場(現NACK5スタジアム)、三ツ沢球技場(現ニッパツ三ツ沢球技場)の3つしかなかった。しかし、どのスタジアムもキャパシティが限られる。

駒沢公園オリンピック競技場は2万人を収容できるが、ナイター設備がなく、道路を挟んで病院もあるため大がかりなイベントとなると騒音の問題もあった。このため国立競技場(旧)以外となると首都圏には大人数を収容できるスタジアムは皆無に近い。このため当時は東京ドームでの開催となった。

ただ、野球場でサッカーの試合が開催されたのは95年が初めてではない。まだ大学生だった1979年8月、東京12チャンネル(現テレビ東京)開局記念10周年だったと思うが、前年のアルゼンチンW杯で優勝したアルゼンチンと、準優勝のオランダを招待して「ワールドサッカー79」という大会が、東京ドームの前身である後楽園球場で開催された。

しかしながら、いまでもアルゼンチン代表とオランダ代表を同時に招待することは、かなりハードルが高いだろう。

実際に来日したのはオランダのFCアムステルダムとアルゼンチンのCAウラカン(1940年代にはアルフレッド・ディ・ステファノが所属)。そして、なんとか78年のW杯得点王であるマリオ・ケンペスを呼ぶためスペインのバレンシアを招待し、これに日本代表と日本ユニバーシアード代表、釜本邦茂氏やラモス瑠偉氏、ジョージ与那城氏ら日本リーグ選抜の6チームによる大会が広島、大阪、東京で開催された。

東京では後楽園球場で2試合が開催されたが、大阪も試合会場は大阪球場で、かつてはプロ野球の南海ホークス、近鉄パールズ、大洋松竹ロビンスが本拠地として使用していたらしい。現在は大規模複合商業施設の「なんばパークス」として賑わっていることからもわかるように、日本において歴史のある野球場は都心のど真ん中に造られているのは羨ましい限りだ。

その後も1989年8月にはマンチェスター・ユナイテッドが来日し(主力はクラブのレジェンドで、代表ではキャプテンを務めたブライアン・ロブソン)、神宮球場で日本代表(横山ジャパン)と対戦し、1-0の勝利を収めている。

こうして振り返ると、Jリーグ誕生以前は野球場がサッカーの試合に意外と利用されていることがわかるだろう。それだけ多くの観衆を収容できるスタジアムがなかったことの裏返しでもある(さすがに甲子園球場は使用できていない)。

試合を観戦した印象としては、どの野球場も傾斜が少なく開放感があるので、サッカーの試合を見ていてもノンビリしてしまった記憶がある。攻守がはっきり分かれていて、インターバルのある野球を観戦するのには、開放感のあるボール・パークが適しているのかもしれない。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた





◆PSGが27年前は東京ドームで試合~野球場でサッカーが開催された/六川亨の日本サッカー見聞録(超WORLDサッカー!)





2022年7月22日金曜日

◆もはや定番の『ドラえもんのうた』、船上で熱唱したのは、鹿島や大宮を指揮した監督(超WORLDサッカー!)






やはり日本と言えば『ドラえもん』なのだろうか。またしても日本人が歌唱する場面が生まれた。

「こんなこといいな できたらいいな〜」で始まる『ドラえもん』の主題歌である『ドラえもんのうた』は、日本人なら誰もが知っている曲と言って良いだろう。

秘密道具で野比のび太を助けるドラえもん。歌詞も「夢を叶えられる」という内容で、とても希望が持てるものとなっている。

2年前、レアル・マドリーからビジャレアルへと移籍した日本代表MF久保建英(レアル・ソシエダ)がチームメイトの前で歌ったことが大きな話題となり、その後にエイバルに加入した日本代表FW武藤嘉紀(ヴィッセル神戸)も披露。齊藤未月(ガンバ大阪)もルビン・カザンで歌っていた。さらにレガネスに加入した日本代表MF柴崎岳も歌わされそうになったが、イジって回避するなど、海外では定着しつつあるようだ。

そんな中、新たに『ドラえもんのうた』を歌った日本人がいる。それは、タイのブリーラム・ユナイテッドで指揮を執る石井正忠監督だ。

Jリーグでは鹿島アントラーズや大宮アルディージャを指揮し、2021年12月にブリーラムの監督に就任していた石井監督。クラブが公式インスタグラムに動画を投稿。船上で歌唱する石井監督の姿を公開した。

和やかなムードの中で歌い上げた石井監督。楽しそうに歌う姿が印象的だが、なかなか監督が歌う姿を見ることはできないため、とても貴重な映像になっているのではないだろうか。




◆ピトゥカが鹿島残留へ!ヴァイラー監督との不仲説で古巣復帰報道も…(FOOTBALL TRIBE)






 明治安田生命J1リーグの鹿島アントラーズに所属するブラジル人MFディエゴ・ピトゥカ(29)は、今夏退団が噂されていたが、残留がほぼ確実となったようだ。21日、ブラジルメディア『UOL』が報じている。

 ピトゥカについてはブラジルメディア『TV Cultura Litoral』は今月12日、本人がクラブ内で起こった複数の出来事に対して不満を抱いていると報道。これをきっかけに、ブラジル国内で同選手のブラジル1部サントス復帰が噂されていた。

 また『UOL』は今月13日、ピトゥカの代理人が来日していることにふれた上で「代理人は来週、鹿島アントラーズ幹部と会談を行う予定だ。そこで鹿島アントラーズに交渉する気があるのか把握する。サントスは代理人からの情報を待った上で、鹿島アントラーズのオファーを提示するかどうか決める」と伝えている。

 くわえてピトゥカの不満内容については「レネ・ヴァイラー監督と最高の関係を築けているとは言い難い」とし、指揮官との間に問題を抱えている可能性を指摘。

 その上で「サントスはピトゥカの復帰を夢見ているが、交渉は非常に難しいと考えている。鹿島アントラーズがレンタル移籍での放出を認めることが、サントス復帰の条件だ」と見解を示していた。

 すると21日になって鹿島アントラーズ残留が確実と報道。既報どおり、ピトゥカの代理人が鹿島アントラーズ幹部と交渉したものの、鹿島アントラーズ側が同選手の今夏退団を容認しない方針を選手サイドに伝えており、サントス復帰の可能性が消滅したという。

 なおピトゥカは昨年1月、サントスから鹿島アントラーズへ完全移籍。ブラジルメディアの報道によると、鹿島アントラーズは同選手との契約を2024年まで残しているほか、獲得時に移籍金として160万ドル(当時約1億7400万円)を支払ったという。




◆ピトゥカが鹿島残留へ!ヴァイラー監督との不仲説で古巣復帰報道も…(FOOTBALL TRIBE)


2022年7月21日木曜日

◆メッシ、日本でのゴールは何点目? バルセロナ時代には鹿島アントラーズからも1点(フットボールチャンネル)






川崎フロンターレから先制ゴール


 プレシーズンマッチの川崎フロンターレ対パリ・サンジェルマン(PSG)戦が20日に行われ、PSGが2-1で勝利を収めた。先制点はPSGのFWリオネル・メッシが記録している。

 メッシは前半32分、エリア右でアクラフ・ハキミが落としたボールに“逆足”の右で合わせて先制ゴールを記録。後半にも絶妙なワンツーで追加点の組み立てを演出し、日本ツアー白星発進の立役者となった。

 これまでにもメッシは、日本の地で何度かゴールを記録している。初ゴールは2004年、夏のツアーで来日したバルセロナが鹿島アントラーズに5-0の勝利を収めた試合でのゴール。当時まだトップチーム公式戦デビュー前の17歳だったメッシは、ロナウジーニョからのアシストでチームの5点目を挙げた。

 続いて2011年には、FIFAクラブ・ワールドカップ決勝で日本での公式戦初ゴールを記録。後にチームメートとなるネイマールを擁したブラジルのサントスから2ゴールを奪い、バルセロナを4-0の勝利とクラブ世界制覇に導いた。

 その4年後にも再びメッシはバルセロナの一員としてクラブW杯で来日。アルゼンチンのリーベルプレートと対戦した決勝で先制ゴールを挙げ、さらにルイス・スアレスが2点を加えたバルセロナが3-0で優勝を飾った。

 2010年にはアルゼンチン代表でも来日したことがあったが、日本代表が1-0の金星を挙げた試合で得点は無し。PSGではもちろん今回が初来日であり初ゴールとなった。

【了】




◆メッシ、日本でのゴールは何点目? バルセロナ時代には鹿島アントラーズからも1点(フットボールチャンネル)


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