http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20160328/415182.html
「カナザキは興味深い選手。よく動く頑張り屋だが、A代表では少し中央に残って得点を取れるゾーンに入ってきてほしい。特にゴールを取るという部分で、彼のクオリティが(日本代表に)いいものをもたらしてくれると思っている」
2018 FIFAロシアワールドカップ アジア2次予選のアフガニスタン戦とシリア戦に向けたメンバー発表会見で、日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、2月に鹿島アントラーズ復帰を果たした金崎夢生への大きな期待を口にした。
迎えた24日のアフガニスタン戦。彼は指揮官の評価に応え、鬼気迫るようなプレーでゴールを狙い続けた。出場した79分間で放ったシュートは9本。これには2トップを組んだ滝川第二高の先輩にあたる岡崎慎司(レスター/イングランド)も「夢生が貪欲すぎるので」と冗談交じりに笑ったほどだ。
その飽くなき得点への渇望が結実したのが、78分のチーム5点目だった。大分トリニータ時代の盟友・清武弘嗣(ハノーファー/ドイツ)が左サイドから上げたハイボールを途中出場のハーフナー・マイク(ADOデン・ハーグ/オランダ)がヘディングで落とした瞬間、一目散にゴール前へ飛び込みGKに激突しながら倒れ込む形で得点を決めた。喜びを爆発させた金崎はペナルティエリアを猛ダッシュで走り抜け、ピッチ上にひざから滑り込んでガッツポーズ。チームメートに祝福の嵐を受けた。「やっと入りました!」と試合後のインタビューで絶叫したのも、内に秘めていた喜びを抑え切れなかったからに違いない。この一発には大きな期待を寄せていた指揮官も「アカデミックなゴールではなかったが、それでも取ってくれたのは嬉しい」と頬を緩ませた。
ハリルホジッチ体制における日本代表で2戦2ゴールという結果を残している金崎。彼は2007年から約7年間にわたって大分と名古屋グランパスでプレーし、2013年夏に海外挑戦を選択したが、国内でプレーしていた頃と現在を比較すると、劇的にプレースタイルが変化していることが分かる。
当時は“万能型MF”という印象が強く、現在鹿島で2トップを組む赤崎秀平も「日本を離れる前はサイドとかボランチをやっているイメージだった」と言う。その金崎が2013年、2014年と2年間の欧州移籍を経て、完全なるストライカーへと変貌を遂げた。特に1年半の時を過ごしたポルトガル2部のポルティモネンセでの日々が非常に大きかったと本人も認めている。
同クラブの本拠地・ポルティモンは、ポルトガル南部・アルガルベ州にある人口5万5000人の小都市。大西洋に注ぐアラデ川沿いの散歩道はリゾート地らしい雰囲気を醸し出し、急坂の多い旧市街からは異国情緒も漂う。この町で過ごした1年半の時を、彼を宝物のように感じているという。
「名古屋から2013年の始めにニュルンベルクへ行って半年間プレーした後、ドイツに残る選択肢もありました。でも(ミヒャエル・ビージンガー)監督とは考え方が違った。監督に直接聞いて、もう必要とされていないと分かって『じゃあ、もういいや。出よう』と。結局、その監督は自分が出た後、解任されたんですけどね(苦笑)。そんな経緯があって日本に帰ることも考えたけど、せっかく外に出たし、『純粋にサッカーをやりたい』と思った。そこで新たに契約した代理人から紹介されたのが、ポルティモネンセでした。ポルトガル2部だし、いろいろ考えた結果、『とりあえず行ってみよう』という感じで。ノリだったのかな、その時は(笑)。スタジアム(ムニシパル・デ・ポルティモン=約6000人収容)にはお客さんが1000人もいないし、最初はビックリしたけど、意外と良かったんだよね。町を含めて雰囲気がいいし、ポルトガルのご飯もおいしかった。小さなクラブだけど、みんな変におごっていなくて、ホントに一生懸命だった。ポルトガル2部は未払いのクラブも結構ある。ポルティモネンセではそんなことはなかったけど、給料は安いし、勝利給もない。そんな状況でも選手たちは必死にやっている。ポルトとのアウェー戦なんてバスで8時間かけて移動したりしましたからね。そういう環境に行ってみたことで、『周りからどう見られたい』とか『変に個性を出そう』とは思わなくなった。ポルトガルにいれば日本人っていうだけで見た目から周りと違う。だからこそ飾ったりしないで、普通の素直な自分でいいのかなと感じました。日本を出る前は無意識にそういう感覚になっていた気がします」
ポルトガルで過ごした日々をしみじみと振り返る金崎。生まれ育った三重県津市でサッカーボールを楽しく追いかけていた少年時代に返るかのように、原点回帰の機会を得ることができたという。
ポルトガルではプレースタイルにおいても劇的な変化があった。2013-14シーズン当初にポルティモネンセを率いていたアンゴラ系ポルトガル人のラザロ・オリベイラ監督は彼をMFからFWへとコンバート。最前線に陣取るようになったことで相手を背負ってのプレーや体を張ってのキープなどFWとしての動きを叩き込み、2シーズン目には半年で9得点をマークするに至った。
「最初の監督はものすごく熱い人。僕も試合になると結構熱くなるんで、『あんまり熱くなりすぎるな。冷静になれ。退場するな』って言われたと思ったら、次の試合で監督が相手の監督を殴って退席処分になっちゃった(笑)。戦術はロングボール主体だったけど、自分はシーズン途中で中盤からFWになって、そこでプレーが変わったのかなと思います。向こうは一対一のシーンが多いんですよ。日本はパンパンとパスを回して展開を速くするスタイルだけど、ポルトガルはガッツリキープして攻める。そういう環境で鍛えられたのは事実だと思う。違いを口で説明するのはホントに難しい。一番は体験してほしいけど、できないですよね(笑)。僕は自分の言葉によってサッカーの見方が絞られるのが嫌なんですよ。僕の目線だけじゃなくて、いろんな考え方があるだろうし、あまり固定して受け取ってほしくない。ただ、僕は向こうでとにかく必死にやってきた。試合に勝ちたくて、そのためにどうしたらいいかを考えた結果、体をぶつけてキープしなきゃいけないと。それを一生懸命やってただけ。サッカーはまずは『戦うこと』が大事。それをやってから個性を出しなさいって、自分たちのサッカーをやりなさいって。だからハリルホジッチ監督の言ってることは正しいと思います」
地道にコツコツと自分と向き合い、ポルティモネンセの1部昇格に全力を注ぎ続けてきた金崎は、2015年2月に鹿島への期限付き移籍という形で約2年ぶりに日本へ復帰する。欧州内移籍はいったん諦め、自分がサッカーをしている姿を家族や応援してくれる人に見せたいと考えたからだ。気持ちを切り替えて戦った昨季の2015明治安田生命J1リーグでは27試合出場9得点をマーク。10月には約5年ぶりの日本代表復帰も果たした。
ハリルジャパンとして迎えた最初のチャンスとなったシンガポール戦で得点を記録したことは、非常にインパクトの大きな出来事。そこには隠されたエピソードがあった。
「実はあのゴールは慎司さんのおかげなんです。試合前日のご飯の時、『監督にいろいろ要求されるけど、どうしたらいいですかね』と相談したら、『好きなようにやったほうがいいよ』って答えてくれた。それで僕は『分かりました』と返して、翌日の試合で思い切ってやれました。慎司さんもいろいろな監督の下でいろいろ言われきた結果の答えなのかなと。慎司さんはいい先輩ですし、ホントに僕からすると助かる存在です」
尊敬する先輩と2トップを組んだ24日のアフガニスタン戦では2人揃ってゴールを決めた。岡崎は「夢生とは自分たちでそれぞれが勝手にやっている感じ。それが悪くないんですよね」と独特の言い回しで相性の良さを口にする。レスターでプレミアリーグ優勝争いの原動力になっている先輩が「異常なほどの結果を出すためには、やっぱり周りのことを気にするより、自分のことをまず考えていかないといけない」と語った真意を金崎は誰よりもよく理解し合っているはず。ゆえに、彼も代表だからといって肩ひじ張ることなく、自分流を押し出しているのだろう。
目下、その岡崎や大分時代の仲間である清武らと一緒にプレーできる機会は代表しかない。そこで楽しく充実した時間を過ごして結果を出し、代表定着、レギュラー奪取を果たしたいというのが、今の金崎の偽らざる本音なのだ。
今年1月にいったんポルトガルに復帰した際には、4~5つのクラブから興味関心を示され、ロシアの強豪であるゼニト・サンクトペテルブルク移籍が本決まりになりかけた。しかし外国籍選手枠の問題でビッグクラブへの移籍が叶わず、すぐさま鹿島復帰という道を選んだ。その決断を迅速に下すには大いなる勇気が必要だったに違いないが、本人は至って明るく前向きだ。
「欧州移籍について自分がやれることはすべてやった。(先方の)監督も評価してくれたから、それはそれで良かったと思っています。やっぱりサッカー選手にとって大事なのは『どこのチームでやるか』よりも『今いるところで何をするか』。僕はそう思っていますから。鹿島も自分のことを一生懸命諦めずに追いかけてくれたし、その思いはすごく伝わりました。今は鹿島の優勝のために本気で戦っています。もちろんこれまで過ごした大分、名古屋もそれぞれの良さがあるので、どこがいいとかではなくて。ただ、最初にプロとしての一歩を踏み出した大分に愛はあります。だって、去年の年末にJ2・J3入れ替え戦(対FC町田ゼルビア)を清武(弘嗣)と一緒に見に行った時も、最初は普通に観戦していたのに、最後はすごく熱くなって、『なんでそこで行かねえんだ!』って怒り始めたりとか(苦笑)。やっぱり大分に行ったから今があるし、名古屋も同じですよね。今はそういう日本のサッカーを盛り上げたい気持ちが強いです。代表もそういう自分の楽しみや充実の延長線上にあったら最高だし、ワールドカップももちろん行きたいですよ」
こう言って笑顔を見せた彼からは、清々しいほど“自然体”な雰囲気が感じられた。日本から離れ、自分自身を見つめ直し、“素”の自分を取り戻した金崎夢生は、FWとして、点取り屋として、ここからさらにブレイクする可能性を大いに秘めている。アルベルト・ザッケローニ監督時代から日本代表は本田圭佑(ミラン/イタリア)、岡崎、香川真司(ドルトムント/ドイツ)が「3大得点源」と言われてきたが、金崎がそこに加わってくれれば心強い限りである。
文・写真=元川悦子