常勝軍団・鹿島アントラーズがもがき苦しんでいる。ヴィッセル神戸戦で敗れてリーグ戦優勝の可能性が消滅し、2018シーズンを最後に5年連続「無冠」が確定した。タイトル奪回を掲げて約6年半ぶりに復帰した元日本代表MF柴崎岳も、状況を変えられないまま負傷離脱した。ヨーロッパからの復帰組が増えた鹿島が直面するチーム作りの難しさを、「柴崎の言葉」と「鹿島の歴史」の両面から探る。(ノンフィクションライター 藤江直人)
常勝軍団のはずが…
柴崎復帰の鹿島が「5年連続」無冠
10月21日の午後。クラブのワースト記録更新を告げる主審の笛が、5万3000人を超える大観衆が駆けつけた国立競技場に空しく鳴り響いた。首位のヴィッセル神戸に完敗し、リーグ戦を4試合残した状況で勝ち点差が14に広がった瞬間、逆転優勝にかけていた鹿島アントラーズの一縷(いちる)の希望が断ち切られた。
後半途中から投入されるも、劣勢を変えられなかったMF柴崎岳が試合後に静かに語った。
「僕が来てからの結果で言うと、ルヴァンカップも含めて、今シーズンのカギとなる試合で勝ち切れなかった。その試合で勝てば潮目が大きく変わっていたかもしれない。まさにポイントとなる試合をことごとく落としてきた流れを払拭(ふっしょく)できないまま、今日の試合に至ってしまった」
柴崎がスペイン2部レガネスを退団し、鹿島に復帰したのが9月上旬。この時点で天皇杯はすでに敗退していた。柴崎が「国内再デビュー」を果たしたのはYBCルヴァンカップ準々決勝の名古屋グランパス戦だったが、鹿島はここでも敗れた。
そしてリーグ戦でも、9月下旬の横浜F・マリノスに続いて神戸との上位対決で連敗を喫し、終戦を迎えた。これで2019シーズンから5年連続の無冠が決まった。03シーズン以降の4年間を上回る屈辱的な空白期間を、常勝軍団と呼ばれて久しい鹿島の歴史に刻んでしまった。
なお、この神戸戦で柴崎は左足のハムストリング筋を損傷。約8週間の離脱を強いられ、今シーズン中の復帰は難しい見通しとなった。
「タイトルを取りたい」と
強い思いを持って帰還した柴崎
スペインの4つのクラブでプレーしてきた柴崎は、青森山田高卒業後の11シーズンにプロの第一歩を踏み出した古巣・鹿島へ、約6年半ぶりに戻ってきた。復帰の際に、柴崎はこんな言葉を残している。
「鹿島に勝利をもたらすために帰ってきた。今いる選手たちと一緒にタイトルを取りたい」
さらにスペインにいた間も、鹿島へ特別な思いを抱き続けていたと明かしている。
「高校を卒業して最初に加入したクラブで愛着があるし、移籍した際も可能ならばいつかまた鹿島で、という思いがあった。スペインでプレーしていた間も常に鹿島を気にかけていたなかで、タイトルを取れずに何か苦しんでいるような、もがいているような感覚が見て取れていた。鹿島は2位や3位で満足するクラブではない。そうした現状を変えるために、僕は今ここにいる」
聞き覚えのある言葉だった。振り返れば“ウッチー”の愛称で親しまれたDF内田篤人も、ドイツでプレーした約7年半を経て鹿島へ復帰した18年1月にこう語っていた。
「ずっと帰ってきたいと思っていた。鹿島は常に勝たなければいけないクラブだし、ネットなどで負けたのを知ると、一人のファンとして『何をしているんだ』という気持ちになっていた」
欧州リーグ移籍後に
「出戻りできる」体制は魅力
けがもあって20年夏に引退した内田だけではない。今シーズンの鹿島では、一度ヨーロッパへ新天地を求めたFW鈴木優磨、DF安西幸輝、DF昌子源、DF植田直通が再びプレーしている。00年代にもFW柳沢敦、FW鈴木隆行、MF小笠原満男、MF中田浩二がヨーロッパ挑戦から復帰している。
ヨーロッパへ旅立った選手たちが、国内復帰にあたって古巣を選ぶケースの多さで、鹿島は他のクラブを寄せつけない。しかも全員が、異口同音に「鹿島にタイトルを取らせるために」という言葉とともに帰ってきた。何がそう思わせているのか。柴崎は鹿島の歴史を理由に挙げている。
「おそらくはこのクラブの生まれた経緯から、それ(ヨーロッパ経験者がタイトル獲得を目指して復帰する流れ)は生まれていると思う。99.9999%不可能と言われたなかでカシマサッカースタジアムができて、鹿島アントラーズが生まれた歴史で、タイトル獲得がこのクラブの唯一の存在意義だったところがまず始まりとしてある。それが代々の選手たちのスピリットやマインドとなり、現在に至るまで引き継がれてきている」
柴崎が言及した「99.9999%不可能」とは、93年5月に10チームで旗揚げされたJリーグ参入へ向けたヒアリングで、Jリーグの川淵三郎初代チェアマンから突きつけられた言葉を指す。
Jリーグ加盟が厳しい状況から
先行投資で這い上がった過去
鹿島の前身・住友金属工業蹴球団は当時、日本リーグ2部の所属だった。本拠地が都心から100km近くも離れており、人口も少なくて観客動員の見通しが立ちにくい状況がJリーグ側にノーと言わせた。そして、0.0001%に込められた条件が、当時の日本になかった屋根付きのサッカー専用スタジアムの建設だった。
そこから一転、鹿島は93年3月に完成した茨城県立カシマサッカースタジアムで条件をクリアしただけでなく、元ブラジル代表の神様ジーコを現役復帰させてチーム強化も図った。迎えた93シーズンのファーストステージ。当時の2強、ヴェルディ川崎と横浜マリノスを蹴散らして優勝したのは鹿島だった。
大きなインパクトこそ残したものの、ステージ優勝はタイトルにカウントされない。93シーズンの年間王者をかけたチャンピオンシップでヴェルディに敗れた鹿島は、続く94、95シーズンと無冠に終わった。しかし、この間に常勝軍団化を見すえて赤字を覚悟で先行投資を行っていた。
それが94年のW杯アメリカ大会を制したブラジル代表の主力、レオナルドとジョルジーニョの獲得だった。20年以上にわたって鹿島の強化責任者を務めた鈴木満・強化アドバイザーがこう振り返る。
「当時の社長がアントラーズのブランド作りを宣言して、外国人選手のビッグネームとタイトルの獲得を目標として掲げた。多少は無理をしてでもレオナルドとジョルジーニョを獲得して、96シーズンに初めて勝ち取ったリーグ優勝が、日本人選手を獲得できる環境が整った点で大きなターニングポイントになった。大物日本人選手が加入するようになったのが、96年の柳沢からなので」
外国人のビッグネーム不在が
「常勝」のチーム作りを狂わせた
97シーズンにヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)と天皇杯を制した鹿島は、98シーズンに2度目のリーグ優勝。00シーズンに史上初の国内三大タイトル独占を達成し、01シーズンにはリーグ戦を連覇した。当時のクラブ事情を、鈴木氏はこう明かしたことがある。
「当時の社長の判断の背景には、アントラーズがJリーグで生き残っていく上で大きな危機感が働いていた。かなりの金額の赤字も出したが、それでもタイトルを取り続けていけば02年の日韓共催W杯開催都市に選ばれ、そうなればカシマサッカースタジアムも大きく改修できる。
スタンドが大きくなればもっと集客アップを見込めるし、実際にそうならなければ地方の小都市をホームタウンにするアントラーズは存続していけない。そうした共通の思いがチームを立ち上げたときからあった」
07シーズンから達成した史上初のリーグ3連覇を含めて、これまでに何度か迎えた鹿島の黄金時代はクラブの存続へ抱く危機感と表裏一体を成していた。クラブ全体に脈打つタイトルへの飢餓感にみせられた柴崎も、スペインへ旅立つまでに5つのタイトル獲得に貢献した。
しかし、日本サッカー界を取り巻く環境の変化が、鹿島伝統のチーム作りを狂わせる。
外国人のビッグネームを柱とした90年代から、リーグ全体の財政健全化と身の丈に合ったチーム運営が叫ばれた00年代前半は、生え抜きの日本人選手を柱とするメンバー構成に切り替えられた。
そこへ、日本人選手のヨーロッパ移籍が相次いた00年代の後半以降を迎えた。高卒で加入した選手たちが主力に育った段階で、よりレベルの高い舞台への挑戦を望む。チームには痛手でも、鈴木氏は「一度限りのサッカー人生で、選手の夢を阻止するつもりはない」と快く送り出してきた。
それでも戦力をやり繰りし、鹿島は18シーズンに悲願のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を初めて制した。しかし、国内三大タイトルに限れば、リーグ戦と天皇杯を制覇した16シーズンを最後に、今シーズンを含めて7年間も無冠が続いている。17年1月に旅立った柴崎を皮切りに、選手たちのヨーロッパ移籍が加速した期間とくしくも一致する。
そうしたなか、ヨーロッパのシーズンが終わるタイミングなどを見計らい、鹿島は常にクラブ出身のヨーロッパ組とコンタクトを取ってきた。ファミリーのような一体感と、タイトル獲得へ抱く貪欲さが成長を促してくれるという思いが、いわゆる“Uターン”移籍を次々と後押しした。
そして前述の通り、現在の鹿島ではヨーロッパから復帰した選手たちが主軸を担っている。
ただし、ヨーロッパに旅立った選手たちの全員が鹿島に戻ってきたわけではない。ごくわずかなケースだが、タイミングや条件が折り合わず、Jリーグの別チームを復帰先に選ぶ選手も存在する。
タイミングや条件が合わなかった鹿島出身選手の例として、前ブレーメンのFW大迫勇也(現ヴィッセル神戸)や前バルセロナBのFW安部裕葵(現浦和レッズ)が挙げられる。
戦力がそろっているから
優勝できるわけではない
それでも鹿島を選んだ柴崎は、自身の移籍を含めて「個人の思い、といったものだけでは成り立たない」と振り返る。
「このタイミングで鹿島アントラーズが僕を必要としてくれた。双方の思いがタイミングよく合致したからこそ成り立ったと思うし、そうなってよかったと心の底から思っている」
いずれにしても、ヨーロッパから復帰した選手を中心にすえる、新しいチーム作りの段階を迎えている鹿島は、頭ひとつ抜け出すための強さをいまだに身にまとえない状況のなかでもがき苦しんでいる。
そして柴崎は悔しさを押し殺しながら、神戸戦後にこう語っている。
「(不振の)理由がわかっていたら苦労はしませんよね。ただ、戦力がそろっているからといって優勝できるわけでもなく、逆に個々がそうではなくてもやり方によっては優勝争いに食い込める時代というか、そういうレベルになってきたなかで苦しんでいる」
「それでも何かが劇的に変わるのではなく、メディアやファン・サポーターのみなさんには見えないところでの、自分たちの日常からの小さな努力の積み重ねでしか現状は変えられない。地道な作業が足りなかった、という点が今日の試合でも表れたと思うし、それらを真摯(しんし)に受け止めて、より向上していく気構えを保ち続けていかなければいけない」
だが冒頭で述べた通り、柴崎は神戸戦で左ハムストリング筋を損傷。今シーズン中の復帰が絶望となった。柴崎は神戸戦後に「100%でプレーできない。なかなか心苦しい状態にある」と明かしており、今は誰よりも忸怩(じくじ)たる思いを募らせているだろう。
獲得した国内外のタイトル数を、他のクラブの追随を許さない「20」に到達させてから鹿島の足踏みが続く。国内2冠を獲得した16シーズンの前回黄金時代を知る昌子や植田、鈴木、そして柴崎らの復帰組を中心に、いまは胸中に渦巻く悔しさや無念さを常勝軍団復活へののろしに変えるしかない。
◆常勝軍団のはずが…元代表・柴崎岳がケガで離脱、5年連続「無冠」鹿島アントラーズの過酷な現実(DIAMONDonline)
『鹿島が僕を必要としてくれた。双方の思いがタイミングよく合致したからこそ成り立ったと思うし、そうなってよかったと心の底から思っている』
— 日刊鹿島アントラーズニュース (@12pointers) October 29, 2023
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