
日刊鹿島アントラーズニュース
Ads by Google
2014年4月11日金曜日
◆【W杯で輝くサムライブルーの素顔】大迫、大食い伝説(サンスポ)
http://www.sanspo.com/soccer/news/20140411/jpn14041105020002-n1.html
ブラジルW杯で活躍が期待される日本代表を関係者の証言で徹底解剖する連載の第4回は、FW大迫勇也(23)=1860ミュンヘン。ドイツ2部リーグで屈強なDFを相手に奮闘を続ける大迫は、高校選手権で「半端ない」伝説を打ち立てただけでなく、卒業まで過ごした鹿児島に“大食い伝説”を残していた。2学年下で、中学、高校でともにプレーしたMF鮫島晃太(21)=J3長野=らが、その一端を明かした。
“半端ない”男は食いっぷりも半端ない。FW大迫は数々の「大食い伝説」を持っていた。鹿児島育英館中と鹿児島城西高の同僚で、大迫を兄のように慕うMF鮫島は、こう証言する。
「本当によく食べる人でした。食べ放題の『焼肉なべしま』では、ご飯を16杯もおかわりしたんです」
同店は九州の人気焼き肉チェーン。鹿児島城西高に近い伊集院店の松久保和浩店長によると、ご飯は茶碗(ちゃわん)1杯で220グラム。16杯だと3・5キロにもなる。炊いたご飯が1合約330グラムとすると、1食で1升もの米をたいらげた計算。1メートル82と身長こそ高いが、73キロの体重からは想像できない大食漢だ。
松久保店長は「城西の生徒さんはよくいらっしゃいます。大迫選手には卒業後もよく来ていただきましたが、赤字にならないかいつも心配で」と苦笑いした。
大食いの原点は、中学時代の「胃袋は燃料タンク。走り勝つにはタンクを大きくしろ」という指導方針だった。「昼は学食でどんぶり飯3杯がノルマ。合宿中は超山盛りご飯に分厚いとんかつ3枚、大量のイモの天ぷら、野菜が各自の大皿に盛られ、食べるのに3時間かかったこともある」と鮫島は振り返る。それでも大迫は涼しい顔で食べ続けたという。当時からW杯出場を夢見て、食べまくった。
中学、高校で指導した並松亨樹コーチ(31)によれば、大迫がプロ入り後の2012年夏に食事をした際、会計が3人で5万円もかかったことがあった。「店は1人3000~4000円の居酒屋。大迫は1人で4万円以上も食べたことになります」。空揚げなどの揚げ物やご飯物を次々と胃袋に収め、並松コーチを仰天させた。
大食いによって当たり負けしない体が培われ、大迫が「Jリーグでは負ける気がしない」と話すポストプレーは代名詞にもなった。現在はさらなる進化を求め、J1鹿島からドイツ2部に活躍の場を移したが、鹿児島城西高の小久保悟監督(46)は移籍決断までの舞台裏を明かす。
「ロンドン五輪は本大会直前で落選。私はW杯のメンバー入りを第一に考えて、本番直前の移籍に反対だった。でも本人の意識はさらに上で、『選ばれるだけじゃダメ。W杯で得点したいんです』と話していました」
ドイツデビューとなったデュッセルドルフ戦でゴールを決めるなど、ここまで10試合4得点とすでにチームの柱として活躍。海外でもまれながら日々進化を続けている。すべてはW杯のために-。大迫の視線はブラジルでの活躍を見据えている。(伊藤昇)
★お茶&果汁100%ジュースで炭酸断ち
鮫島は大迫の食べる量だけでなく、質についても指摘する。「意識が高くて、飲み物はお茶か果汁100%のジュースしか飲みませんでした。特に炭酸飲料は一切口にしなかった」。ただ、トマトだけは苦手だったようで、鹿児島・南さつま市立万世小時代に大迫を指導した池田昌正教諭は、「給食にトマトが出ると泣きながら廊下を逃げ回っていた」と懐かしそうに話した。
★体幹の強さ“押し相撲”で発揮
小久保監督は大迫の体幹の強さを表すエピソードとして“押し相撲”を挙げる。「グラウンドに土俵を描いて、相撲をやらせたんです。投げたり引いたりは禁止で、とにかく押すだけ。ところが大迫だけはビクともしない。大迫より身長の大きい当時のGKや、体重の重い中学時代の監督がやってもダメ」。DFを背負ってもプレーできる強さは当時から群を抜いており、「大食いで大きな体になったのがよかったのでは」と推し量った。
★半端ない大迫
準優勝した2008年度の高校選手権準々決勝で、鹿児島城西は兵庫・滝川二に6-2で完勝。2得点した大迫に、滝川二のDF中西隆裕主将がロッカールームで「大迫、半端ないって。あいつ半端ないって」と号泣するシーンがテレビ放映された。
悲しくもどこかコミカルな映像は動画投稿サイト「You Tube」で人気を集め、再生回数は4月10日現在で410万回以上を記録。大迫は結局、1大会最多の10ゴールで得点王に輝き、今でも活躍するとネット上に「大迫半端ない」の書き込みが増える現象が続いている。
大迫 勇也(おおさこ・ゆうや)
1990(平成2)年5月18日生まれ、23歳。鹿児島・加世田市(現南さつま市)出身。3歳からサッカーを始める。鹿児島城西高3年時に全国高校選手権に出場し、1大会最多記録の10ゴールで得点王。2009年にJ1鹿島入団。ことし1月に1860ミュンヘン(ドイツ)へ移籍した。昨年7月21日の東アジア杯・中国戦でA代表デビュー。ドイツ2部リーグ今季10試合4得点。代表通算7試合3得点。1メートル82、73キロ。
Ads by Google
日刊鹿島
- 14
◆【湘南戦で突きつけられた鹿島の現実】(サッカー批評)2025-02-16
- 26
◆《2025鹿島宮崎キャンプ》J1鹿島 練習試合に向け調整(茨城新聞)2025-01-23
- 34
◆J1鹿島、定位置争い激化 開幕まで1週間 奪冠へ準備着々(茨城新聞)2025-02-08
- 43
◆鹿島アントラーズ 新監督のもと宮崎キャンプ全体練習スタート(NHK)2025-01-15
- 67
★2025年03月の記事まとめ(日刊鹿島アントラーズニュース)2025-02-28
- 84
★【宮崎キャンプ終盤。金沢戦で見えた鬼木・鹿島の戦い方】(サッカー批評)2025-01-22
- 93
★2024年記事まとめ(日刊鹿島アントラーズニュース)2025-01-05
- 94
◆[プレミアリーグEAST]鹿島アントラーズユース登録メンバー(ゲキサカ)2025-04-03
- 96
◆明治安田J1第37節 鹿島快勝 C大阪に2-0(茨城新聞)2024-11-30
過去の記事
- ► 2024 (1133)
- ► 2023 (1261)
- ► 2022 (1152)
- ► 2021 (1136)
- ► 2020 (1404)
- ► 2019 (2168)
- ► 2018 (2557)
- ► 2017 (2892)
- ► 2016 (2193)
- ► 2015 (1859)
- ▼ 2014 (2464)