全身にみなぎる闘争心を隠そうとしない金髪の若武者は、相手との接触も負傷も厭わず、ガツガツとボールに食らい付く。競り合いでファウルを取られた後、判定に納得できない時には挑発的な笑みをも浮かべることがある。そんな姿を切り取れば、“破天荒な奴”と思われかねないだろう。特に相手サポーターから見れば“憎き存在”とも言えるかもしれない。浦和レッズ戦をはじめ、アウェイでの選手紹介で大きなブーイングが響き渡ることも増えた。
そんなゴールハンターだが、素顔はサッカーに真摯な22歳。練習や試合でピッチに入る時、そして退く時、グラウンドへの礼を欠かすことはない。厳しく規律を重んじる鹿島アントラーズユースで熊谷浩二監督の熱い指導を受け、フォア・ザ・チームの精神を叩きこまれている。ミックスゾーンでは早足で、とりわけ敗戦後には“できればしゃべりたくない”オーラを出しつつも、旧知の記者や関係者を視界に捉えると足を止め、頭を下げて挨拶をする。その流れで取材が始まることも少なくない。
小学校1年生の時から鹿島の下部組織でプレーし、今や不動のエースに成長を遂げた。鈴木優磨の名を一躍全国区にしたと言える試合は、2年前の冬だろうか。FIFAクラブワールドカップ2016、南米王者のアトレティコ・ナシオナルを3-0で破った準決勝だ。鈴木は85分にダメ押しのチーム3点目を決めた直後に歓喜の雄たけびを上げ、クリスティアーノ・ロナウド(現ユヴェントス)を真似たゴールパフォーマンスを披露したのだった。
それから2年、鈴木はもがき苦しみながらも成長を遂げてきた。背番号9を託されて迎えた昨季は明治安田生命J1リーグで6得点にとどまり、前年の8得点を下回る結果に。5月末に大岩剛監督が就任してからリーグ戦での先発はわずか1試合と、苦しい日々を送った。そして鹿島は最終節で首位陥落。無冠という屈辱を味わい、リベンジを期して今季を迎えることとなった。
「食事や体脂肪に気をつけています。“軽くなった”とは言われますね。去年は計りたくないくらいだったので」
そう言って見せた笑顔の裏には努力がある。鈴木は今季開幕前、昨季の反省を踏まえて走り込みを重ねたという。鍛え上げ、絞り込んだ体は強靭さを増した。両サイドに流れてボールを受けるポストプレー、ゴールキックのターゲットとしての空中戦、さらに高い位置からのプレスと、ゴール以外にも多くを求められる鹿島の前線にあって、そのタフネスは欠かせないものとなっている。今年7月にはFW金崎夢生がサガン鳥栖へ完全移籍。兄のように慕い、ライバルとしても切磋琢磨を続けてきた存在がチームを去ったことで、“新エース”としての自覚と責任も纏った。「夢生くんはチームを勝たせていた人。サポーターの期待も感じるけど、気負い過ぎずに“俺は俺らしく”やりたいです。あの人のようにチームを勝たせられる選手になりたいです」。そんな決意を結果で示し続け、明治安田生命J1リーグでは第32節終了時点で30試合出場11得点を記録。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝との兼ね合いもあってメンバーを大幅に入れ替えた直近2試合は出番がなかったが、フル稼働を続けてきた。
そしてついに届いた、日本代表初招集の知らせ。「クラブでのパフォーマンスが評価されたから代表に選ばれたということを常に忘れず……」という言葉もまた、チームへの献身を示すものだった。代表合流前の10日に行われたACL決勝セカンドレグのペルセポリスFC戦で、鹿島は悲願のアジア制覇を達成。鈴木は今大会で全14試合に先発出場し、優勝の立役者となった。得点数こそ2にとどまったものの、屈強なDF陣と渡り合って献身を続けた姿が評価され、大会MVPにも輝いている。レギュラーとして掴み取ったタイトルはこれが1つ目。選手として新たな勲章を手に入れた。ただ、この試合で相手選手と交錯し、右足関節ねん挫のアクシデントに見舞われて途中交代。戦いの舞台は日本代表へと続くはずだったが、負傷辞退を余儀なくされてしまった。しかし、しっかりとケガを治して再びピッチで躍動すれば、再びチャンスが訪れるはずだ。
もともと大の海外サッカー好きで、移動中や遠征先の宿舎でも、時間さえあれば試合映像を視聴している。昨年7月のセビージャ戦で2得点を挙げた後には「やっぱりヨーロッパはいいなと思いました」と繰り返した。将来的な欧州移籍もその視野に入っている。「本当に夏には信じられないほどのオファーが届きました。でも俺は鹿島でなんとしてでもACLのタイトルを届けたいと思い残留しました」とSNSで明かしたように今夏の移籍は封印したが、愛する鹿島で悲願を成し遂げた今、新たなチャレンジも選択肢に加わってくるかもしれない。
今回、森保一監督が選出したFWは3選手だった。FW大迫勇也(ブレーメン)と並び記された鈴木の名前を目にした鹿島サポーターは、感慨とともに喜んだに違いない。ルーキーイヤーに背番号34を着けた後、“9番”を託されてエースへと成長を遂げるという足跡を継承し、そして代表のメンバーリストに揃って名を連ねる日が訪れた。残念ながら今回は負傷辞退となってしまったものの、今季残りの天皇杯とリーグ戦、そして12月に控えるFIFAクラブワールドカップで輝きを放てば、再び森保監督から声がかかることだろう。年明けにはアジアカップも待っている。鹿島、アジア、世界と歩みを続けるストライカーが、サムライブルーを纏う日を楽しみにしたい。
文=内藤悠史