雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は3月27日に33歳となった内田篤人の5つの言葉を振り返ります。
<名言1>
本当にありがとうございます。
(内田篤人/Number1010号 2020年9月3日発売)
◇解説◇
2020年8月23日のガンバ大阪戦。内田にとって、この日が現役ラストマッチとなった。
試合後のセレモニーで花束を抱えながら、淡々と言葉を続けた。
引退の決断は、タイトル獲得に貢献してきた歴代の先輩が見せてきたような「選手生命を削りながら勝つために日々、努力する姿」を後輩に見せることができなくなったから。異例とも言えるシーズン半ばでの発表は、実に内田らしい引き際だった。
子供たちへのメッセージに続いて、「サッカーを通して出会えたすべての人たち」への感謝の思いでその場を締めた。
「ありがとうございました」ではなく「ありがとうございます」。
これからもずっと抱いて生きていく──そんな意思を感じる別れだった。
<名言2>
技術うんぬんよりも、結局、根性だと思う。
(内田篤人/Number961号 2018年9月13日発売)
◇解説◇
甘いマスクに秘めた内面は、正直で人一倍熱い男。サッカーファンなら誰もが内田のパーソナリティーを知っている。鹿島アントラーズや日本代表で疾走した右サイドバックは、シャルケ(ドイツ)でもレギュラーの地位をつかみ、ノイアーやラウールといったワールドクラスの選手からも信頼された。
「毎年のように同じポジションの選手を補強される覚悟、少しでも悪いプレーをしたら批判される覚悟を持っているかどうか」
内田の強い気持ちはファンにも伝わり、シャルケで愛される選手となったのだ。
2020年10月、自身のキャリアを終えた内田は近年の「欧州組の増加」について言及している(https://number.bunshun.jp/articles/-/845437)。
「ヨーロッパへ移籍するのなら、Jリーグでしっかり活躍して、クラブに移籍金を残して行くべき。それは僕の持論ですし、本音です。ただし、移籍金が発生しなくても“俺は海外でやるんだ”“サッカー人生を棒に振ってでもチャレンジするんだ”と考えるのは自由です。『内田篤人がこう言っているからやめよう』と思うくらいなら、最初から海外移籍なんてやめた方がいい。本気で行きたいヤツは、行きゃあいいんです」
欧州に「行く」ことよりも、「行った後」が大事。総勢50人近い欧州組のリストを見ながら、こう語り始めた。
「僕が知らない選手もたくさんいますね。みんな頑張ってるんだよ。言葉も、文化も違う。生活するだけで大変なんだから。でも、ヨーロッパでは“活躍する”ことより、“活躍し続ける”ことが難しいんです。むこうのクラブは資金も豊富な分、少しでもダメな時期があると、すぐに同じポジションの選手を補強しちゃうから。結局、選手を補強されても活躍し続けるには、根性が大事なんですよ」
その言葉には、世界で戦い抜いてきた自負が詰まっている。
<名言3>
オレは試合勘という言葉がよくわからなくて。感覚でサッカーはやるけど、勘でサッカーはやっていない。
(内田篤人/Number893号 2016年1月7日発売)
◇解説◇
ひざの痛みと格闘し、ひたすら身体を鍛えた2015年。
リハビリが“9合目”まで到達したその年の12月には、「いま戻ったとしても、ちゃんと力を出せれば試合に出られる」と自信をのぞかせていた。
とはいえ、長い期間ピッチから遠ざかっている。「内田は戻れるのか?」と周囲から“試合勘”を不安視する声が増えはじめていた。それでも「オレは試合勘という言葉がよくわからなくて」と言いながら、言葉を続けた。
「復帰したあとも、慣れればもっといいプレーは出来ると思うんだけど、大崩れはしない。むしろ、怪我をしている間は外から試合を見ているから、あそこにスペースがあるなとイメージをつかめる部分もあるかもしれない」
多くの監督、仲間たちから信頼されてきた理由がそこにある。
<名言4>
性格的な問題だと思うけど、負けたときにへこみすぎるのも、良くないと思うんだよね。「へい・じょう・しん」でしょ。
(内田篤人/Number831号 2013年6月27日発売)
◇解説◇
2013年のコンフェデ杯で日本はブラジルに0-3と完敗。まったく良いところがなかったが、落ち込む他の選手たちとは違い、内田は「次戦のイタリア戦はザッケローニ監督がイタリア人だから負けられない」と即座に切り替えていた。
「負けて、下を向いてたら、そのままズルズル行っちゃうから。それなら俺は、“空気を読めない”くらいの存在でいればいいんだよ」
チームにはこういう存在も必要だ。
<名言5>
いろいろと背負わせてごめんね。
(内田篤人/NumberWeb 2020年9月23日配信)
◇解説◇
現役引退を決めた内田は、その思いをすぐに周囲に伝えようとはしなかった。
鹿島アントラーズで主将を任されている三竿健斗がその知らせを聞いたのは、ラストマッチとなったガンバ大阪戦を控えたチームミーティングの時。選手全員の前で内田の口から報告したタイミングだった。内田は「健斗にはあえて言わなかった。感情が表に出るキャプテンシー、責任感が強い選手なので、先に言うとちょっと調子が狂うなと思った」という。
試合前のロッカールーム。ウォーミングアップを終えて控室に戻った三竿のもとに、内田がやってきた。
「いろいろと背負わせてごめんね」
高卒ルーキーとして常勝軍団の一員となり、日本代表でもすぐに主軸として国を背負った。世界を経験して古巣へ復帰したときには、これまでとは少し違う、闘う姿も見え隠れした。大きなプレッシャーと戦ってきたからこそ、その重みを誰よりも知っている。それを主将として引き継ごうとしている後輩を慮ったのだろう。
三竿は内田がクラブを去ったあと、こう話している。
「篤人さんは、ピッチにいるだけでみんなが安心する存在だった。でも、もういないので自分はもちろん、チーム全体でいい空気を作っていかないといけない。(個人的には)今や守備ではかかってこいって感じ。他の人に負ける気はない。避けられて他のところから攻められるようになってきたから、どんどん仕掛けてきてほしい。自信ありますよ。あとは得点に絡むところですね」
チームのために全身全霊を捧げてきた姿は、後輩たちにしっかりと伝わっていた。
◆【内田篤人33歳に】鹿島との別れ際に言った「ありがとうございます」後輩を気遣った試合直前の「ごめんね」(Number)