
日刊鹿島アントラーズニュース
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2018年5月15日火曜日
◆ロシアへ挑む/サッカーW杯(中)内田篤人選手(静岡新聞)

■苦悩の4年 戦線復帰
けがの影響で日本代表を離れて3年半。鹿島アントラーズの内田篤人選手(30)の立場は、選ばれて当然だった過去2大会とは違う。だが、諦めてはいない。4月21日の川崎フロンターレ戦後。「『内田、W杯(サッカーワールドカップ)にいける』って載せておいて」。笑顔でスタジアムを後にする表情に、長年苦しめられた膝の不安はもうなかった。
「代表に入ったら貢献できるという自信の表れ。そうでなければ否定するはず。復帰への絵は描けている」。10代の頃から内田選手を知るトレーナー冨田友也さん(41)は復活への太鼓判を押す。
2014年ブラジルW杯後から慢性的な痛みを抱えていた内田の右膝。15年6月、メスを入れた。骨化した靱帯(じんたい)を取り除き、すぐに復帰する予定が、治ると見込んだ半年間を過ぎても痛みが消えない。苦悩の始まりだった。治療で日本とドイツを行き来し、ようやくピッチに戻ったのは16年12月。だが、無情にもシャルケに定位置はなかった。復帰戦を最後にクラブで出番を失った。
リハビリ中の内田選手の頭には、引退がちらついた。冨田さんは「内田(選手)は孤独な戦いを強いられていた。自分の膝を恨むこともあった。強い思いがなくてはこの復活はない」と振り返る。先が見えない不安の中でも、内田選手からはサッカーへの情熱があふれ出ていた。
今年1月、内田選手は7年半ぶりに古巣鹿島に復帰した。自身3度目となるW杯を視野に入れた決断だった。今季開幕となる2月のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)初戦でフル出場。4月に入り、12日間で4試合をこなす連戦もこなした。「代表復帰? やれることが分かれば、気になってくれるはず」。淡々とアピールを続け、代表滑り込みを狙う。
10年南アフリカ大会は出番に恵まれなかった。14年ブラジル大会は1次リーグ3試合でフル出場を果たしたが、日本は1勝もできなかった。冨田さんは「4年前とは全く違うテーマを持っている。代表に貢献する準備はできているはず」と内田選手の心境を代弁する。
内田篤人(うちだ・あつと) 1988年3月、函南町生まれのサイドバック。2006年に清水東高からJ1鹿島アントラーズに加入し、リーグ3連覇に貢献。10年にドイツ1部シャルケに移籍し、欧州チャンピオンズリーグ(CL)で4強入りした。日本代表は08年にデビュー。10、14年W杯メンバーで、国際Aマッチ74試合2得点。

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